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2-10

 恭介は、赤子の義体が無いことに気づいてからようやく、自分の息があがっていることに気づいた。肺が乾きついたように痛み、とたん心臓が締め付けられるような感覚に陥る。膝に手をついて、恭介は大きく深呼吸した。

 一拍遅れて到着したエレンが、看護師を連れてやってきた。

「なにやってんのよ、アンタ」とエレン。

「義体がないんだよ」

「義体って?」

「アレだよ。ほら、彼女が楽器にしていた、赤ん坊の義体だ。それが感染源だったんだ。限りなく小林マリに近く、彼女が心を許しているもの……。きっとアレは、彼女と花咲の間に生まれた子供。それも、流産した子の緊急手術用ゼロ歳児義体だ。感染源はそこだ」

「どういうこと? 流産した子が楽器になってるって……?」

「赤子の義体は、花咲が引き取った。それが彼の記憶から見つけだした。そしてヤツは、義体をリサイクル加工会社に売りつけたんだ。でも、小林マリの執念は尽きてなかった。彼女は、我が子への贖罪として、そのリサイクルされた義体を血眼になって捜したはずだ。おそらく、それがあの楽器だ。彼女は我が子への贖罪と共に、再び夢を追いかけ始めたんだ……。でも、赤子の義体が正規ルートで出回るはずがない。おそらく花咲は裏ルートで、免許の無い義体技師にリサイクルを任せた。……だからあの楽器には、きっと電脳回路が一部残ってたんだ」

「たしかに……。死んだ人間の電脳をオリジナルとして、無理矢理に義脳を作る闇電脳技師は少なくないわ。格安で取引されるけれど、その場合義脳にエラーが発生する可能性が非常に高い。……じゃあ、今回のムシはそれが原因だっての……?」

「そうだ。赤ん坊の残留思念が、義脳の中でまだ動き続けている。それはきっと、純粋な感情の発露……きっと、怒りや悲しみといったものに近い」

「そうか。憤怒と謝罪って……赤子の義脳から触発された怒りの感情と、小林マリがそもそも持っていた子供への謝罪の念……ってこと?」

「だと思うんだ。だから……ギターがここに無いってことは、かなりマズい」

 小林マリは、そんな状況はつゆ知らず。まだ昏睡状態のままだった。もしも彼女が目覚めていれば、こんなことにはならなかっただろう。だが、過去を憂いてもどうにかなるわけでもない。

「すみません」と恭介は看護師の女性に言った。「ここにあったギターケース、知ってますか?」

「ええ。ご友人がどうしても面会させてほしいと言って、さきほど。お花を置いていくついでに、彼女の着替えと荷物を片づけると……」

「その人が誰か、分かりますか?」

「名前は分からないですが……。髪を金色に染めた男性でした。結構ガッチリとした体型だったと思います」

「ありがとうございます。エレン、行こう」

 証拠は出そろった。

 おそらく、面会を希望したのは小林マリのバンドメンバーの一人だろう。恭介は早速、オンラインストレージからバンドメンバーの調書を表示。その中から、金髪の男性を探し始めた。


 病院を出て駐車場に戻ることには、恭介もエレンも『ムシ』のおおよその居所がつかめていた。

 マリのギターを持ち帰ったのは、おそらく新津サトルという男。マリと同じバンドのベーシストで、二十三歳、フリーター。昼間はバイトを掛け持ち。夜もライブの無い日はアルバイトという、生活を送っている。

 万が一彼が感染し、そのまま表に出たとすれば……さらにマズいことになる。何より、ムシの根元は赤子の無意識だ。何をしでかすか分からなかった。

 擬装バンまで戻ると、隣に一台のバイクが停められていた。漆黒の大型電動バイク、HAL-1250Fだ。点検を終え、エレンのところまで戻ってきていた。

「あ、ハル。ちょうど良いところに。ムシの原因がつかめたから、これから急行するわ。アタシはハルと一緒に先行する。いい?」

「分かった。じゃあ、僕はあとから合流する。バックアップだな」

「あるいは、万が一の状態になったら、クロガネに乗ることね」

 エレンは言うと、ハルにまたがり、革ジャンの前を締めた。上着の襟元には、ファーのように瞬間膨張式のヘルメットが。万が一彼女が転倒したとき、頭を覆うエアバッグへと変形する。だが、全身義体サイボーグの彼女にとっては、ちょっとやそっとの無茶は朝飯前だった。

「やめてくれよ。あの機体に乗ると、とんでもなく疲れるんだ。頭の要領が吹き飛びそうになるんだよ」

「だからあのあと爆睡してたわけ?」

 イグニッションボタンに触れ、本人認証。電脳個体識別。ハルは、搭乗者がエレン・クロガネであると認めた。

「そういうことだ。……今回は君一人でもいいんじゃないか?」

「そうであることを祈るけど。ま、クロガネに乗ってきても良いわよ。アタシのジャマをしないって約束するならね」

 エンジンを蒸かす。電気モーターの静かな音色。

 直後、HAL-1250Fはエキゾーストノートをあたりに一面に響かせ、発進。あっという間に加速を続け、ついには豆粒のような大きさになり、消えてしまった。


     *


 状況は、雪だるま式に悪くなっている……恭介はそのように感じていた。

 自動運転のバン車内、彼は右目でN+システムを開きながら、左目では坂本部長との映話を続けていた。N+で追っているのはもちろん新津サトルである。幸いなことに新津は個人車両を有していた。無料タクシーを使っていたら、追いかけるのは容易では無かっただろう。しかし、やっかいなのは彼の職場にあった……。

《つまり、感染源は赤ん坊の義体の中に残されていた、電脳の残骸っていうこと?》

 坂本が映話で問う。

「だと思います。部長が経験した憤怒と謝罪というのは、義脳の中を周回し続ける赤子の残留思念とも呼べる電気信号と、それに対する小林マリの罪悪感だと思います」

《そして演奏のために有線したとき、小林マリの電脳に義脳を回り続けていた信号が分岐し、流れ込んできた……それがムシの正体?》

「ムシ、というべきかどうかは難しいところですが。しかし、その可能性は極めて高いと思います。さっきアスカに連絡してみましたけど……」

 と、恭介はまた別のタブでメーラーを開く。

 二瓶アスカからのメールは、件名に「あるとおもうよ」と打ち込まれただけの実に簡素なものだった。

「可能性はある、とのことです」

《で、問題は義体を回収してった男。新津サトルか》

「はい。彼はいくつかのバイトを掛け持ちしているみたいで。さっき彼の職場に片っ端から連絡を入れてみたんですが、どこも末端との連絡はテキトーな会社ばかりで……。おそらく今いるのは、工事現場の誘導員だと思います」

《もし重機のパイロットなんかにまで感染したら大変なことになるわね》

「あるいは、暴走した彼が現場の外装義体クグツ奪う可能性もあります」

《そうなったら最悪の事態になるわね……。わかった。とりあえず、二人はそっちの線を追って。私たちも合流する》

「お願いします」

 通話終了。

 左目に映していた坂本の顔を消し、全面にN+システムの衛星画像を表示する。

 そのとき、恭介は思わず生唾を飲み込んだ。

 上空から捉えた映像。そこからでも、クグツの様子はハッキリと捉えることができる。新津のクルマはビルの解体現場近くの駐車場に停められている。彼がそこの誘導員として働いていることは間違いない。であれば……

 そのとき恭介の目に映っていたのは、ビルを無茶苦茶に叩き回り、鉄骨を掴んでほかの作業機械を殴りつけるクグツの姿だった……。


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