2-8
店内は昼間だというのに真っ暗だった。窓一つない室内には、厨房から漏れる光だけが頼りだ。エレンと恭介は、足下に気をつけながら奥の階段を上がり、二階へ。
二階は確かに倉庫といった感じで、あるのはトイレとスタッフ・オンリーと札の下げられた部屋。そして一番奥の角部屋が花咲の間借りしている倉庫のようだった。
エレンは早速そのドアの前に立つと、豪快にノックを繰り返した。しかし、応答はない。
「……寝てんのかしら」
「夜の仕事だし、そうなんじゃないか?」
「昼夜逆転ってわけか。まあ、申し訳ないけど起きてもらおう」
ドンドンッ! と今度はドアが抜けるような勢いで。
するとさすがの花咲も起きたのだろう。ドアを挟んだ向こうで衣擦れの音がしてから、「まだ一時ですよ、てんちょおー!」という気の抜けた声がした。
それから扉が開かれ、寝癖だらけの男が現れた。花咲颯一。自慢のソフトモヒカン調の角刈りは、寝癖で蛇が這った跡みたいになっていた。
彼はすぐには状況を理解できず、二、三度目をしばたたいた。それからようやく視界上に映る拡張現実表示に気づいたのだろう。彼は飛び上がって、素っ頓狂な声をあげた。
「なっ! けっ、警察が何の用だ!?」
「あなたが花咲颯一さんで間違いないですか」
恭介は極力落とした声色で問うた。しかし、花咲の焦りようは収まらなかった。
「おっ、俺はなにもしてないぞ!」
「その反応でよく言えるわね」
「エレン、そんな風に言ったらダメだろ。彼は犯人と決まった訳じゃないんだぞ」
「あの反応は、どうせやってるわよ」
エレンは嘲笑するような吐息をもらし、壁に背をもたれる。
「だからそうと決まったわけじゃ……。あの、花咲さん、少しお話をうかがいたいだけなんです」
「そっ、そう言って俺を犯人に仕立てあげるつもりか!」
「いえ、そういうわけでは……。あの、小林マリさんはご存じですか?」
「し、知ってたらなんだっていうんだ?」
「彼女が昨日、ムシに感染しました。現在、緊急入院しています」
「それを俺がやったと?」
「そうは言ってませんが……ただ、何か知っていることをお話いただけないかと思いまして」
「俺はなにもやってないぞ」
「ですから、なにも花咲さんを疑っているわけじゃないんです。ただ小林さんをご存じの方に感染前の彼女について聞いているだけでして……」
「俺はやってないし、彼女のことも知らない!」
――これではどうにもダメそうだ。
恭介は、口先こそ穏やかだったが、内心今にも爆発寸前だった。
それもこれもエレンのせいだ。彼女の態度は無茶苦茶すぎる。容疑者に不用意な敵対心を抱かせてはならない。相手を緊張させ、情報を引き出しにくくさせるだけだ。なのに彼女は、のっけからこの調子だ。
知らないやってない……とそれだけを口にする花咲。この押し問答にいい加減恭介も飽きてきていた。
そんなとき、エレンが重い腰を上げた。
「バカね。こういう手合いは、こうやって締め上げんのよ」
彼女がそう言った、次の瞬間だ。
エレンは革ジャンの下にしまっていたテーザーハンドガンを取り出し、そのまま銃を持った状態で花咲の襟首をつかみ、豪快に背負い投げを喰らわしたのだ。その間、わずか一秒足らず。
背中から床に転がり込む花咲。エレンは彼を見下ろし、眉間に銃口を突きつけた。
「アンタが前に起こした事件については知ってんのよ。言いなさい。芸能プロと関わりがあるとか何とか言って、彼女をたぶらかしたんでしょ? 違うの?」
「なっ……なんでそれを……?」
「あらら、グーゼンね。テキトーにカマかけてみただけなのに当たっちゃうなんて。アンタ、相当なアホなんじゃないの」
「クソッ……このアマ……! 犯されたいのか……!」
「ごめんなさいね。アタシ、うるさい口には、さっさとチャックを閉めちゃう主義なの」
次の瞬間、銃口からテーザー弾が射出。電極の付いた弾丸が花咲の眉間に着弾し、電流を流した。花咲は一瞬で失神。ほこりっぽい床の上に伸びた。
*
花咲は、少女に背負い投げを喰らわされ、さらにとどめのテーザーで完全に意識を奪われ、今では床に伸びて白目を剥いている。ざまあないとは、このことだろう。
エレンは、そんな花咲のこめかみにコネクターを接続。外部記憶端末とつなげて、彼の記憶データをコピーした。結果は、クロだった。
花咲がマリに手を出したのは、ちょうど二年ほど前。マリが上京してきたばかりのころだった。
花咲は、「自分は芸能プロダクションの知り合いがいるんだ」と言ってマリに接触。そのまま彼女を自宅に連れ込み、ムシを使ってマリを昏睡状態に陥らせた。あとは言うまでもない。マリはムシに侵され、男に犯された。
しかし、どうにも解せないところがあった。
それは最初の犯行のあとのことだ。レイプしたあと、花咲はマリにアンチ・ウィルス・ワクチンを投与したのである。そして彼は、マリにこう言ったのだ。
『もしメジャーデビューをしたいなら、俺に従え。じゃないと、またムシを打つ』
まっとうな精神状態なら、そんな脅迫ぐらい看破できたはずだ。しかし、夢を追いかけて上京してきたばかりの少女だ。なりふり構わず目標に向かって、がむしゃらに進もうとしていたに違いない。マリは、二つ返事で花咲の脅迫に了承した。
それ以降、小林マリと花咲颯一のあいだには、『ムシを介さない』肉体関係が続いた。花咲も前回の犯行からある程度反省していたのかもしれない。彼はあくまでも、言葉巧みに少女を飼い慣らした。
しかし、そこがどうにも腑に落ちない点だった。
二年前に彼女がムシに感染したのは、花咲が原因だ。しかし、先日マリを暴走させたムシは誰から感染したのだ?
*
そのころ松本制作所の跡地では、松本澪がクロガネの整備に追われていた。
HALー1250Fの点検については、すぐに終わった。ハルの自己診断プログラムと、さらにそれを確認する澪の目が合わされば、半日足らずで終わってしまう。ハルにはこれといった異常はなく、タイヤとブレーキオイルさえ交換すれば、それで十分だった。
問題は、ART-X・クロガネだ。こいつに関しては、澪もサッパリだった。祖父のデータをひっくり返して、ようやく整備データを引っ張り出してきたが、それでもまったく理解が及ばなかった。
澪の祖父――通称オヤジ――は、昔気質な頑固オヤジであり、エレン曰く変態スケベオヤジである。そんな彼は手書きによる文字入力を好んで、死んでもそれ以外のデバイスは使わないと豪語していた。昨今ではボイスメモを文字起こしして自動でファイリングしてくれるソフトウェアまであるのに、未だにオヤジは手書きパッドのままだ。だから見つけた整備データにも、汚い字で書き散らされた象形文字らしきものがあるだけだった。それを他人が読み解けるはずがない。
「あー、もうどうすればいいのよー!」
澪はコンクリートの床に仰向けに倒れ、大の字になった。
ブラウンシュガーのように変色した天井。巨大なファンが回り、ぬるい空気を外へ追い出している。ゴウン、ゴウン……と羽根が鈍い音をさせて空を裂く。
《どうした、澪》
そう声をかけたのは、ちょうど再起動を終えたハルだった。落ち着いた女性の声は、ハルの漆黒のボディと相まってクールな印象を受ける。
《あ、ハル。目が覚めた? 調子はどうですか?》
《好調だ。君の整備の腕は、おじいさま譲りだな》
《いやいや、それほどでも。……でも、私にはこの子の修理は無理かも》
《クロガネ、か》
《うん。正直、この機体のシステムがどうなってるのか、よく分からないんです。メインシステムは義脳経由でパイロットに行くようになってるんだけど、問題はその義脳がどこにあるかわかんないってことで……》
《義脳の位置が分からない?》
《そう。コクピットからセーフ・モードを起動させて、義脳の点検をしてみようとしたんですけど……。この子、自分の義脳がどこにあるか教えてくれない。まるで秘密って言ってるみたいで。それで、おじいちゃんのデータを漁ってみたんだけど、何かいてあるんだかサッパリ》
《ではつまり、外側の修理ができないことはないが、内側の点検はサッパリと?》
《そう。たとえばハルだって、メーターが正常だって示したって、エンジンが正しく動いてるとは限らないでしょ? メーターが壊れてる可能性だってある。だけど、この子はエンジンルームがどこにあるかサッパリだから、メーターを信用するしかないの》
《……確かに妙な機体だな。本当に義脳がどこにあるのか分からないのか?》
《おおよそ見当はついてるけど、なんていうか、ブラックボックス化していて……》
《義脳が、か?》
《そう、義脳が》
《フムン……》
ハルは吐息を漏らすようにして――もちろんAIであるハルが呼吸をするはずがない――それから車体をゆっくりと動かし始めた。
《まあ、とりあえず私はエレンのもとに戻る。いいか、澪?》
《いいよいいよ。というか、むしろエレンにはあなたがいなくっちゃ。今はクロガネもいないんだし、あなたがいなきゃ心配だもん》
《そうか。……すまない、先に行かせてもらう》
HAL-1250Fは、そう言葉を残して自律起動。テールランプの軌跡を残して、工場から出て行った。
残されたのは、澪とクロガネだけ。これからは、一対一の勝負だ。




