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準警察組織の間では面倒なしきたりがあり、その一つというのは、はじめに事件を発見した企業がその仕事を務めなければならないというものだ。細分化によるセクショナリズムと、民営化による競争は、警察組織内での縄張り争いをさらに加速させた。このしきたりは、そんな縄張り争いがそのまま形だけ残り続けた結果、と言ってもいい。しかし、いまのエレンからすれば良い迷惑だった。
十分ほどして、坂本部長と呉石も到着した。現場はすでにスキャニングが完了し、鑑識を担当する企業のバンも到着していた。
店内からは、客も店員もみな追い出され、目撃者には事情聴取が続けられている。しかし、目撃者本人である一之瀬社からすれば、それは不必要なことかもしれなかった。
「じゃあなに、急に気が狂ったように暴走したっていうの?」
店のある路地裏から離れた通り。そこに一之瀬車のクルマが停めてある。坂本部長が乗り付けてきたセダンだ。
「そういうことになります」と恭介。「女性の名前は小林マリ。十九歳、飲食店アルバイト。長野県出身で、現在は東京に一人暮らしのようです」
「夢を追いかけて東京に出てきたバンド少女ってか」呉石が苦笑ともため息ともつかない吐息を漏らす。「今時そんな子がよくいたもんだ。……それで、感染経路は?」
「まだよくわかっていません。アスカに調べさせます。それと、僕のほうでもちょっと調べてみます」
「頼んだわ」と坂本。「それじゃ、とりあえず調査会社から結果が送られるまで我々は待機。再発防止と、ムシの原因究明につとめること。いいわね?」
了解、と三人の声が響く。
そして一之瀬社の面々は、各自自宅へと離散していった。
しかし、恭介だけは少しのあいだ立ち止まって、店の中を見ていた。ストレッチャーに載せられ、半地下から運ばれてきた一人の少女。小林マリ。彼女はギターを掴んだまま、全身を皮バンドで固定された状態で運ばれていった。
そうしてわき目に気を取られている間に、エレンもタクシーをひっつかまえて先に帰ってしまった。彼女は相当ダルそうなようすだったし――昨日の今日でまたムシがらみなのだから、仕方ない――早く帰りたいのももっともだった。
恭介は一人現場に残り、ぼんやりと店内を見下ろす。いったい何が少女を狂わせた? 人間の電脳には、元来ヒト自身の脳が有する『意志』とも言うべき防壁が存在する。それは電子計算機として脳の大半を電子化している現代にも存在し、他者と自己とを隔てる壁として機能している。また、ムシに対する最終防衛ラインとしても。意志が薄弱になると、人間は自己を見失い、他者に意識を乗っ取られる危険性が高まる。電脳以外でかつて存在した玲として、催眠・洗脳などがあげられるだろう。
しかし、それもそう簡単に出来るものではない。洗脳が長い時間をかけて、特定の状況での心理掌握を必要とするのと同じように。ムシが人間に侵食するのにも、かなりの条件を有する。まず、意志が薄弱。あるいは意志がアクセス者を許諾しなければならない。そして、電脳にプリセットされた九十九の多重電子防壁。これがアクティブになっている間は、どうやっても電脳へのアクセスは不可能なのだ。
つまり、犯人は小林マリと非常に親しい人間で、彼女への高度なアクセス権限を持つ者。あるいはウィザード級のハッカーに限られる。そのものが、ムシを創造し、彼女に植え付けた……。
恭介は、調査会社が出した当時店内にいたもののリストを開き、そのプロフィールごとに整理してみた。条件は、小林マリとの親しさ。すなわち、彼女との接触回数。上位に出たのは、言うまでもなくバンドメンバーだった。
では、バンドメンバーのうちの誰かがムシを植え付けたのか……?
恭介はそう考えつくと、上着のポケットからメモ帳を取り出し、そこへ書き付けた。犯人は、小林マリに親しい人間。バンドメンバー、友人か……? と。
すると、彼がメモ帳に書き殴っているとき、誰かが声をかけてきた。
恭介はいったん筆を止め、アイウェアの表示も解除。声のしたほうを振り向く。
しかし、そこには誰にもいなかったのだ。いや、正確にはいたのだが、恭介は完全に見過ごしていた。
アスファルトの上にうつ伏せになってズッコケている女性が一人。松本澪だった。
彼女は照れくさそうに鼻をこすりながら、立ち上がる。
「す、すみません。何度もお恥ずかしい姿を……」
「いや、別にいいんだけど。何か用ですか?」
「はっ、はい!」と、彼女は声を裏返す。
相当緊張しているようだった。作業着姿の澪は、指先をなにやらモジモジして、一分ほど唇を震わせていた。そうしてようやく、今度はボリュームの壊れたスピーカーみたく大きな声で叫んだのだ。
「あの、クロガネの整備! 私に任せてくれませんか!」




