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2-2

 特別行政区・新宿区シンジュク・ブロック。そこは日本の首都行政の中枢を担う場所にして、日本の闇を鏡に映し出す混沌の街でもある。特別行政区と名付けられているのはそのためで、この区画内には新宿区限定の準警察組織が配備されていたりもする。この街で起きる事件だけを専門で調べる者たちだ。しかしその実体は、犯罪組織との癒着を維持するためのペーパーカンパニーではないか、という話もある。ともかくこの街は、いわくつきの街だった。

 恭介とエレンの二人を乗せた自動運転車タクシーは、そんな新宿区の中でも特に混沌とした繁華街の中に乗り入れ、停車した。

 恭介は大学時代、何度か新宿に訪れたことは会ったものの、繁華街へまともに足を踏み入れたのはこれが初めてだった。

 エレンは呆然とする恭介を無視して、電子タバコ片手にツカツカと進んでいく。彼女の向かう先は、ホロ・サインの広告がひしめくさらに向こう。路地裏にある薄暗い店だった。


 エレンは、路地裏にある一軒の店で立ち止まった。飲食店の室外機に相対するような形で、地下へと続く階段だけが地上に露出した店舗。ホロ・サインの看板は壊れかけており、ジリジリと音を鳴らしていた。

 広告にはこう書いてあった。

『FRICTION ライブハウス』

「ほら、とっとと行くわよ」

 エレンは何のためらいもなく、薄暗い階段を下っていった。

「おい、ちょっと待て。なんでこんなとこに?」

「いいから、つべこべ言わずについてくる」

 仕方ない。恭介は、彼女のあとを追うことにした。

 階段を囲う壁には無数の落書きとチラシが付されていた。どうやらこれからのライブハウスの予定が書かれているらしい。見れば、今日はフーズ・ネクストというバンドが来ているようだった。

 ずん、ずん……と腹の底に響くような音が聞こえてくる。店の出入り口は重たい木の扉だったが、防音性はあまりないようだ。エレンが扉を押し開けると、一気に爆音が耳に飛び込んできた。叫び声のようなギターサウンドが轟いている。

「本当にこんなとこにそのオヤジとやらがいるのか?」

「そうよ。あと、ついでにアタシの用も済ませにきたの」

 エレンは不敵に微笑みながら、慣れた足取りで店内のカウンターバーへと向かった。

 店内は暗く、天井から降り注ぐ赤黒い光と、ステージを照らすスポットライトだけが唯一の光源だった。壇上には例の『フーズ・ネクスト』のメンバー三人が演奏を続けている。ドラムはスティックで機材を壊しまくるように叩き、ギターボーカルの女性はマイクをぶんぶん振り回している。そんな破天荒極まりないパフォーマンスを間近で見ようと、観客たちはステージに押し寄せて、カラダを勢いよく振っていた。しかし、観客の視線はステージから離れる事はない。コンタクト・カメラ――目に装着するタイプの端末――を使って、みなライブの様子を撮影しているのだ。近年では珍しい光景でもなんでもない。

 カウンターバーは、そんなステージと比べれば幾分落ち着いた雰囲気だった。バーテンダーの女性が器用にカクテルを注ぎ、それを受け取った客たちは遠目にステージを見ながら酒を嗜んでいる。

 エレンはカウンターにつくと、バーテンの女性と軽い挨拶を交わした。どうやら顔見知りらしい。しかし、バーテンは人見知りなのか、それ以上何か口にすることはなかった。

「アタシはいつもの。メドゥカ・トニックを」

 エレンは常連らしく指をパチンと慣らし、メニューも見ずに注文。そして電子タバコのスイッチを入れた。

「かしこまりました。そちらのお客様は?」

「僕は……えーっと……じゃあ、同じものを」

「はぁ? アンタ、メドゥカはサイボーグ用の感覚鈍麻剤スピリタスよ。アンタが飲んでも、マズくて吐くのがオチよ」

「じゃあ……えーっと、ビールを」

「かしこまりました」

 バーテンは一礼。ビールサーバーのほうへと捌けていく。

「じゃ、そのビールはアタシのおごりってことで。一応コンビ結成のお祝い」

「そのためにここへ呼んだのか?」

「まさか。例のオヤジと、もともとここで待ち合わせをする予定だったからよ」

「だからそのオヤジって誰なんだ」

「ウチの社長の古い友人。昔は腕利きのメカニックだったって話だけど、今は退職して遊び人をやってんの。でも、なんだか知らないけどウチの社長に恩義があるみたいでね。ウチの仕事だけは引き受けてくれるのよ」

「じゃあ、ハルの整備もその人が?」

「そういうこと」

 エレンがそう言ったところで、ちょうど二人分の飲み物が届いた。エレンのグラスには無色透明な感覚鈍麻剤スピリタスが。恭介のグラスには、琥珀色のビールが注がれていた。

「それじゃ、コンビ結成を祝して」

 二人は、ノイズじみた音楽を背景バックにグラスを交わした。


     *


 しばらくしてフーズ・ネクストの演奏が終わり、代わりに司会者らしき男性が登壇した。男は後ろで楽器の片づけがされるなか、冗談混じりのトークで間を持たせていた。

 恭介は、下戸というわけではないが、しかし定期的に飲酒を嗜んでいるというわけでもない。顔色は変わり無かったが、少し饒舌になっている気がしていた。

 一方エレンは黙りこくって、さっきから電子タバコを吸い続けている。

「なあ、本当にそのオヤジは来るのか?」

「来るわよ。だってちゃんと約束してあるもん。時間にルーズな男だから、もう少しかかると思うけど」

 エレンはそう言って電子タバコをひと吸い。それからメドゥカ・トニックを飲む。

「まあ、来るならそれでいいんだけど……。にしても、君の容姿でタバコと酒を嗜んでいると、変な感じがするよ」

「別にフツーでしょ。アタシ、十七のときに義体のリサイズをやめたのよ。これ以上老けた義体にするのもどうかと思ったし。最高の状態で肉体の成長を止められるなら、アンタだってそうするでしょ? 世間じゃ精神と肉体の乖離がどうこうって言ってるけど、アタシは新生児義体化手術を受けた人間だから、そんなこと分かんないし……。もう電脳アタマはもう二十二よ」

「じゃあ三個下か」

「アンタ、アタシより年上なんだ」

「いちおう大卒後に警察庁に三年弱勤めてたから。そういうエレンは? いつからこの仕事に? 学校とかは?」

「アタシは学校なんてロクに通ってなかった。ただ、十七の時に義体適正だけ認められて、この会社に拾われた。それだけの話よ。アタシの取り柄と言えば、このカラダぐらいなものだから」

 彼女はそう言うと、左手――電子タバコを持つ手とは反対側――の掌をぼんやりと見つめた。機械の掌。それはすべて作り物だ。白く透き通るような肌は、合成皮膚による模造品である。

「あーあ。やだやだ、なんだかセンチメンタルになっちゃった。ねえ、もう一杯ちょうだい」

 エレンは飲み干したグラスをカウンターに突き出した。

 バーテンの彼女はニコリともせずにグラスを受け取ると、「同じものを?」と問うた。

「ええ、同じのを」

「かしこまりました」

 彼女は再びグラスを片手に、メドゥカのボトルをとりにバーカウンターの後ろへ。


 そうして客人が来たのは、エレンの二杯目が届いた時だった。

 階段を駆け下ってきたその人物は、ずどん! と大きな音を立ててすっ転び、頭突きで扉を開けて入ってきた。

 そんなまぬけな登場をしたのは、一人の女性だった。焦げ茶色の髪をバンダナでまとめた彼女は、店には似合わないグレーの作業着姿で、片手にはライフルケースのようなものを携えていた。

 大きく前に転んだ体を起こし、彼女は顔を真っ赤にしながら立ち上がる。一瞬だけ観客の視線が彼女に行ったが、直後には壇上の司会者のジョークに戻った。

 エレンは、そんな彼女を見てアタマをもたげた。

「ああ、もう……なんでまた……」

「どうした? 彼女が何か?」

 すると、ずっこけて注目をかっさらった女性がエレンのほうを向いた。女性は何かに気づいたように目を輝かせると、エレンに向かって大きく手を振る。

「あ、いたいた! エレン! ご注文の品を届けにきたよ!」

 せわしない様子の彼女。

 長さ一メートルはあろう巨大なケースを片手に、彼女はエレンに駆け寄り、そしてまたずっこけた。


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