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1-16

 まずい状況だとは、彼女自信分かっていた。

 エレンの欠点を一つあげるならば、自分の能力を過信しがちな点である。彼女は生身を経験したことがない――新生児義体化手術を受けた――人間であり、義体カラダの使いこなし方については人一倍自信があった。だから彼女は、そのような戦闘技術が生かせる職に就いたし、自身の仕事にプロ意識を持ってやってきた。

 だが、彼女の欠点は、その意識の高さにある。自分を過信しすぎて、時に技量を超えたことをやろうとする。そのたびに義体を壊したり、建造物に被害を出すのがクセで、現に今日の昼過ぎにも道路を一本切り裂いている。あとで国交省から直々にお叱りのメッセージが届くことだろう。

 そんな欠点を、彼女自身よく分かっていた。しかし一度ついたクセというのは、そうそう直るっものではない。たったいまテーザーライフルを喰らった彼女の義体は、麻痺の状態にあった。視界上に映る自己走査スキャン結果がシステムエラーを表示している。左腕部、左脚部に致命的なエラー発生。電脳からの信号受付が一時的にパンクしている。信号に遅延ラグが生じて、彼女のカラダは思うように動かない。

《クソッ……!》

 エレンはそう口にしようとしたが、信号は電脳の中で収まり、意識下で発した言葉として心の中にとどまった。エレン一人には、もうどうしようもない状況だった。

 するとシャーロットJが、右腕を伸ばしてエレンのカラダをつまみ上げた。ハルから無理矢理に引き剥がし、そしてムシはエレンをカメラアイに捉えた。その光景は、まるでゴヤの描いたサトゥルヌスが我が子を喰らわんとする、その直前のようだった。

 ――これ以上はもうだめだ。

 右手を動かし、ブレードを振るい上げようとするが、しかし外装義体クグツの握力には、さすがのサイボーグといえども勝てるはずがない。押しつぶされるのを阻止するだけで精一杯だ。

 ハルに命令することも出来なかった。ムシの感染を避けるため、現在ハルとエレンの通信は接触回線に限定されている。離れた状況では、ハルが独自に判断する以外にはどうしようもない。それにエネルギー切れのハルが動いたところで、今の状況をどうにか出来るはずがなかった。

 ――万事休すか。

 両腕に力を込め、何とか万力に押しつぶされるのに耐える。ムシはあくまでもエレンを押しつぶすことだけを考えているようだ。有線接続で侵蝕しようなどとは考えていない。念のため展開していた九十九層の多重電子防壁は、一層たりとも侵蝕を受けていなかった。

 それはつまり、エレンの性能はシャーロットJ以下であると言っているようなものだ。このムシの特性は、より強い機体を選り好んで侵蝕するところにある。

 ――ムカつく。

 思い切り唾を吐きかけてやりたいと思った。だがそれも叶わない。苦痛だけが続き、意識が朦朧としていく。早くこの状況を打開する術を考えねば。

 ハルに搭載された義脳撹乱(ID)フレアを使えば、一瞬でも隙は作り出せる。ハルがそう判断すれば、あるいは――

 と、徐々にエレンの意識がとぎれとぎれになっていく、そのときだった。

 突如、上空から何かが落ちてきたのだ。空を裂き、荒れ狂う風神のような風鳴りと共に、それはやってきた。

 それは巨人だった。群青色をした、黄色い二つ眼の巨人クグツ。ART‐X・クロガネ。

 クロガネはハイウェイの中央分離帯に降り立ったかと思えば、そのまま二機残ったセントリーガンのうち一機を踏みつぶした。さらに続けざまに、もう一機のセントリーガンに接近、蹴飛ばす。一瞬の出来事だった。

「嘘でしょ、なんでクロガネが……」

 気づけばエレンは思いの丈を口にしていた。

 クロガネ。本来動かないはずの、三十年以上前の老兵。それがいま彼女の目の前に立ち、あまつさえ戦っているのだ。

 エレンは自分の眼を疑った。しかし、これは現実なのだ。

 セントリーガンが爆散。どす黒い煙をあげる。ART‐Xクロガネは、炯々たる双眼を黒煙の中に煌めかせて、そこにいた。


     *


 いまやれることを、すべてやるしかない。

 コクピット内部、デジタルアイウェアの下で黒田恭介の眼は忙しく動いていた。まるでレム睡眠中の急速な眼球運動(REM)のように。

 しかし彼は眠ってなどいない。むしろ覚醒していた。いままで人生で経験したことがないほど、完全に。人間とは、本来蛮族である。数世紀の間の戦争の歴史がそれを証明してきた。人間はひとたび戦いの場に出れば、アドレナリンを体中に放出し、自己のカラダを戦場に最適化させる。興奮状態を持続させ、戦闘に適した身体・心理状況を作り上げる。それは、生身の人間にも組み込まれた、生来のプログラムである。

 このときの恭介の肉体には、おそらくそれが働いていたのだろう。たとえマルチタスクが彼の特技であったとしても、これだけのことを一度にこなしているのは異常だった。失敗作の兵器を、ものの見事に乗りこなしているのだ。

 セントリーガンを全滅させると、恭介はいったん飛び退いてシャーロットJから距離を取った。まだエレンには余裕があるように見える。ことは一刻は争うが、急いては仕損じるだけとは、彼もよく知っていた。

「エレン、待ってろ。いま助ける」

 恭介はオープン回線で言った。

《何言ってんのアンタ。そんな機体で戦えるわけない。呉石が来るまで待ちなさい》

「待てない。やってみせる」

《命令よ。相棒バディが言ってるのよ》

相棒バディだからだろ。君が言ったんだ。自分の相棒なら、もう少し肝の据わった男になれって。……やつに対抗出来る武装は?」

 義脳に問う。

《現在オンラインの武装(1):スタンナックル》

 火器管制(FCS)から解答。

 表示された武装は一つだけ。いや、もとよりこのオンボロには、一つしか武器は装備されていなかったのだ。

 スタンナックル――両腕に装備した強力な放電装置。それで義脳ごとムシを焼き切る。あまりにもストレートで、シンプルな武装だ。だが、マルチタスクでパンク寸前の恭介には、ちょうどいい武器だった。

 補正された脚部。マスタースレーブで恭介の足の動きを読みとり、アスファルトを蹴りつける。アクセル全開。けたたましいエキゾーストノートとともに、シャーロットJとの相対距離を詰める。

 スタンナックル――オン。

 肘下に設けられた裾のような装甲が展開、拳に覆いかぶさる。そして、そこから対になった電極が伸びた。それはまるで音叉か、鬼の角か……。磨き上げられた鋼の刃が雷光を放つ。

 そして、クロガネはその拳をシャーロットJ・L型に突き刺した。

 一瞬の出来事だった。シャーロットJの黒い装甲の下から稲妻が落ちたような音がして、崩れた。カメラからは色が消え、機体はその場に力なく倒れる。

 ――次。


 恭介はひどく冷静だったが、しかし思考を放棄したと言っても良かった。眼球の動きで手脚の作動補正をかけながら、視線は次の敵を捉える。流れるような動きは、彼の意志からではなく、無意識からなる動きにも見える。

 エレンをつかむシャーロットJ。それが最後の敵だ。彼の視線は、そこへ集約する。

 しかしその光景を見た途端、恭介の頭のなかにふっと意識が蘇ってきた。そして、彼はこれが一触即発の状態であると気づいたのだ。

 いっときの感情と、アドレナリンという麻薬にそそのかされたカラダが、ここへ来て急におとなしくなった。ムシとて、阿呆ではない。人質の取り方ぐらい学習しているはずだ。

 ――どうすれば……?

 急に体が固まった。思考が止まる。クロガネの義脳が《戦闘を続行しますか?》と問うてくる。

 エレンは必死にもがいている。だが、これ以上は――

 そのときだ。エレンのカラダから力が抜けていき、右手からブレードがするりと落ちていった。

 ――まずい。

 恭介は飛び込み、彼女を救おうとした。

 しかし、その必要ははじめから無かったのだ。エレンはブレードを落としてしまったのではない。敢えて(﹅﹅﹅)落としたのだ。

《あとは任せて。隙を作ってくれたことは感謝するわ》

 エレンの声が聞こえたその直後だ。彼女は、手から落ちたブレードを右足でつかんだのだ。

 エレンのカラダは、上半身はガッチリと握られていたが、下半身はまだゆとりがあった。だから足でなら、まだブレードを振るう余裕があったのだ。

 彼女は右足の親指と人差し指とでブレードをつかむと、思い切り足を振り上げた。超音波で小刻みに振動する刃は、いともたやすくシャーロットJの手を切断。エレンは拘束を脱した。

 そして直後には、また一閃。斬撃はクグツの首を切り落とし、義脳と義体との接続を完全に切断カットアウトした。

 エレンは、ふうと一息。アスファルトの上に転がり落ちる生首を見送った。


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