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1-12

 その晩、一之瀬警備保障の社員には厳戒状態での待機命令が下されていた。いつ現れるかも分からないムシへの対処のためである。

 黒田恭介は、その間に一人でクロガネのマニュアルを読みふけっていた。

 ART-Xクロガネは、見れば見るほど目を疑いたくなるようなとんでもない機体だった。坂本も言ったとおり、基本的な操縦はマスタースレーブ方式である。両足は円筒の中に挿入し、筒内部のセンサーが筋肉の動きを感知。機体に反映する。聞こえは良いが、しかしそれもまだ完璧な技術ではなかった頃の品なので、相当なクセがあるようだった。

 さらに腕に至っては、足と同様にマスタースレーブコントロールなのだが、問題はその指先の操作だった。もちろん、クロガネは五本指のマニピュレータを有している。その操作もマスタースレーブであり、搭乗者の指の動きを検知、反映する。しかし問題は、ほかの火器管制(FCS)や人体に無い部分――たとえば背部に追加装備などを搭載するときなど――の操作もまた指先とアイ・トラック・コントロールで行うということだ。クロガネには脳波コントロールも搭載しているが、それはシステム上のイエス・ノー判断を行うためぐらいのもので、たいそうなものではない。ゆえに人体が持たない機構を操作する場合において、脳波コントロールで火器管制やウェポンラック操作などと指示を出しながら、同時にスイッチコントロール。ウェポンラックを展開させたり、武装を起動させたりしなければならない。そのうえ、実戦では常にアイウェアに映るモニター表示に気を配らなければならないはずだ。

 坂本部長が言っていた意味が、恭介には何となく分かった。この機体は、同時にやるべきことが多すぎるのだ。

 こんな機体が実戦でまともに動くはずがない。その意見には、恭介も賛成できた。

 デジタル・アイウェアを額まで押し上げて、恭介はホコリっぽい床の上に寝ころぶ。マニュアルを一気に読破したが、そのせいで妙な疲れがたまってしまった。配属初日からこんなだ。たまったもんじゃない。

 アイウェアの時刻表示に目をやった。時刻は七時を過ぎていた。腹の減るころあいだ。恭介は起きあがると、何か食べ物でも買ってこようと倉庫から出ようとした。

 しかしそのとき、彼は何かに蹴躓いて、盛大に転んでしまった。せっかくのスーツがホコリだらけ。起きあがって汚れを払っていると、彼は自分が何につまづいたのかわかった。それは、清掃用のロボットだ。

 円盤のような清掃ロボットは、証拠品袋でパウチされた状態のまま床をぐるぐると走っていた。そして、恭介の革靴に向かってコツンコツンと身をぶつけたのだ。

「おまえ、なんでこの状態で動けるんだ……?」

 恭介は清掃ロボを持ち上げ、機体下部の車輪を見やった。ビニール素材を巻き込みながら車輪はクルクルと回っている。

 おかしな話だった。証拠品袋に入れたとき、恭介は電源をオフにした。しかもこの袋には三次元スキャンを行うために、空気を完全に抜く。圧迫されて、誰も外側から電源ボタンを入れることは出来ない。入れようにも硬くて押せないはずだ。なのに、こいつは起動し、あまつさえ恭介のもとまで走ってきた。

「なんで動いてるんだ、おまえは……」

 と、また裏返して表向きに。表面のスイッチパネルを見る。

 パネルを見て、彼は驚いた。電源スイッチなど押し込まれていないのだ。なのに、こいつは動いている。考えられる要因は一つ。

 内側から勝手に再起動した。プログラムを、自ら書き換えて。

 恭介はこうしてはいられないと、清掃ロボを持ってオフィスまで駆け上がった。


     *


 ホコリまみれのスーツ姿で、恭介は強引に扉を開け放った。しかしオフィスは静寂に包まれており、破裂音のようなドアを開ける音だけが盛大に響いた。

 その音で振り向いたのは、エレンだけだった。事務イスに座って電子タバコを吹かしていた彼女は、肩をひくつかせて振り向いた。三つ並べたパイプイスの上で休眠状態スリープモードをとっている呉石は目覚めず、奥のデスクで作業中だった坂本部長は顔すらあげなかった。

「なにかあったの、黒田君?」と書類にサインを続けながら坂本部長。「あなたは生身なんだから、しっかり休んどかないとだめよ」

「それどころじゃないです、部長! これをアスカに頼んで調べてもらえますか?」

「それって……?」

 エレンがイスから立ち上がる。

 恭介が持っていたのは、むろんあの清掃ロボットだ。データは保存され、一応のコピーが捜査員に並列化されている。しかし、ただ部屋の中を転がっていたガラクタを進んで調べようとするものなどいなかった。

「もしかしたら、これが例のムシのオリジナルかもしれません。こいつ、独りでに動き出したんです。待機状態でパウチされていたはずなのに。おそらく内部からオンラインになった」

「まさか」

「そのまさかなんですよ。部長、これをアスカのもとに届けてもらえますか? もしかしたら、これでワクチンプログラムが作れるかもしれない」

「調べて見る価値はあるかも」とエレン。

 彼女は右手を虚空で振り、データを視界上に呼び出す。彼女が見ていたのは、証拠品袋がコピーした清掃ロボットのデータだった。

「わかったわ。ねえ、呉石君! クルマ出してもらえる?」

「は、はいっ! ただいま!」

 休眠から覚醒へ。飛び起きた呉石がオフィスを飛び出し、地下のガレージへ向かう。

 ――いよいよあわただしくなってきた。

 恭介は清掃ロボットを坂本部長に渡すと、一息つこうとデスクに腰を下ろした。そして、服についたホコリをはたき落とそうとした。

 しかしそれも束の間、一之瀬のオフィスにサイレンの音が響いたのだ。恭介のデジタル・アイウェア、並びにエレンたちの視覚野に警電。警視庁からの緊急通達だった。

 地下へ向かおうとしていた呉石と坂本も思わず足を止め、その通信に耳を澄ませた。

《警視庁より緊急入電。大田区、城北技術センターにムシの侵蝕を探知。駐機されていた司法機関向け外装義体(クグツ)二機が制御不能アウト・オブ・コントロール。契約企業は警察新法四十七条七項に基づいて治安維持活動を開始せよ。繰り返す。警視庁より――》

 ついに、恐れていた事態がやってきた。

 坂本は、無言で恭介とエレンを見つめると、静かにうなずいた。言葉にせずとも、二人には分かった。

 エレンはイスにかけていた革ジャンを羽織ると、言った。

「報酬は二倍ね」


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