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Gloomy Knight  作者: 小富範図(おふはんず)
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第4章

空白の日々が始まった。一方的に言われて何も言えなかった。本当はこっちにも言い分があった。でも怖くて言えなかった。


「浮気なんてしてねぇって、ハッキリ言えば良かったのに」


中居は必死で俺を励ましてくれるが、全く耳に入ってこない。教室では俺たちの険悪なムードがバレて、理由を疑う人も多くなった。

その教室に涼子ちゃんが入って来ようものなら、ますます俺の立場が無くなった。もちろん、その時は涼子ちゃんにも冷たく当たった。相手にしなかった。

無気力のまま毎日を過ごして一ヶ月が経った。この日は、連日の雨が止んで、涼しい日だった。


『急にで悪いんだけど、今から駅に来て』


涼子ちゃんからのLINEだ。学校で会っても素っ気なく、何度かのデートのお誘いも断っていたが、俺も天気の加減か、そろそろ何かから解放されたいのか、久々に会うことにした。


「お待たせ」


と普段着のまま駅に行くと、


「何その格好、ダサいよ〜」


と言われたが、放っておけって顔をして他所を見た。


「ごめんなさい。今日はうちの本当の姿を見て欲しいと思って、ここに呼んでん」


と真剣な顔になって、涼子ちゃんは言った。本当の姿?モデルしてる様子でも見せられるのか?


「こっちに着いて来て」


と言われた瞬間、俺の携帯が鳴った。液晶には柚木楓と表示されていた。


「もしもし!?」


慌てて大きな声が出た。涼子ちゃんは不安そうな目でこっちを見ている。


「私もうダメみたい、何か分かんないんだけど、夜騎士に電話してしまった」


と言って切れてしまった。楓はすごく小さな声で、鼻をすする音を混ぜながら言った。


「ごめん、涼子ちゃん! 俺の大切な人が泣いているんだ」


頭を下げて俺は言った。


「ダメ! もうフられてんのに、あの人のとこに行くとかは許さへん!」


と怒鳴るように言って俺の腕を掴んだが、もう一度、


「それでも、どうしても行かないといけないんだ。あの人は……、楓は信じてくれるはずなんだ」


とまるで戦場に行くような顔で言うと、涼子ちゃんは掴んでた手の力を少し弱めた。俺は振り払って、すぐさま電車に乗った。

どこに向かうべきか迷った、休みの日に楓の木の下はありえない。そして人目につくようなとこも考えられない。俺はとりあえず楓の家に行くことにした。

これでハズレたら、もう楓を諦めるなんて考えながら。

一度しか行ったことが無かったが何とか辿り着いた。インターホンを押すと、小さく返事が聞こえて、鍵が開いた。やっぱりここだった。

俺は入った瞬間、楓をそっと抱き寄せた。


「どうした?」


俺は優しく聞いた。楓はなかなか答えない。


「言ってくれるよな?」


ギュと強く抱きしめ直して言った。


「パパが亡くなったんだ」


俺の服に顔を埋めながら、楓は答えた。


「二ヶ月前、急に気分が悪くなったみたいで倒れて、そのままずっと入院してて」


二ヶ月前と言うことは夏休みか。遊びに行けなかったのは、こんなことがあったからだったと、俺はこの時初めて気付いた。


「ねぇ、私一人になっちゃった」


と言って、楓は俺から離れた。そして部屋に入ろうとした。


「どうして、どうして言ってくれなかったんだ?」


俺はその楓の背中に向かって、詰まりながら言った。


「夜騎士だって何も言ってくれないじゃない」


楓は立ち止まって、軽く息を吐くように言った。


「えっ?」


「いつも肝心なことは黙ってばっか、言いたいことがあるなら言えば良いじゃん! 何も言わず、傷付くことを言わないで、ずっと黙ってることが優しさだってのは大きな勘違いなの!」


何かに突き刺されたように心が痛かった。それは、俺はずっとそれが正しいと思って生きてきからだ。


「ごめん」


「またすぐ謝っちゃうし」


そう言って、また部屋に戻ろうとするから、


「言いたいことが言えないのは小さい頃からなんや! 親にも、誰にでも良い子に思われたい、だから妹にも優しくした。我慢をしてきた。そんな日々の繰り返しで、怒ったり、喜んだりが上手くできなかったんだ」


こんなこと、あんまり言いたくなかっだが仕方なかった。


「だからって……」


それでもまだそう言って、立ち去ろうとするから、


「でも!」


と俺は楓の言葉を掻き消すように言った。


「本当に楓のことが好きだったから。今こんなこと言うべきじゃ無いんかも知れんけど。夏休みに一緒に遊べなくても、図書館で誰か違う男の子と話してたのを見た時も信じるように努力した! 涼子ちゃんが言い寄って来た時も、楓のことしか考えて無かった! あの子が学校一可愛いとか俺にはどうでもええくて、ただ光をくれた楓が一番に好きやった! もう何も隠さへんから、だから俺に心を開いてくれ」


心の底から叫んだ。届くかどうかは分からなかったが、思い付く言葉のままを話した。


「そうやって、言えば良いじゃん。私だって距離を置こうって言った時、ものすごく寂しかった。一人になりたくなかった。図書館で話してた子は、ただの図書委員の男の子。こっちも同じようなことしててんよね、ごめんなさい」


積み上げたものの脆い部分から崩れるように、彼女は泣いた。


「これからは何でも話すようにしよう、お互いに」


俺はそう言って楓をまた抱きしめた。そして、流れる涙を拭って、そっと唇を重ねた。

俺の中ではこれがファーストキスだと思うことにした。あれは不可効力だから。これは自分からした、正真正銘のファーストキス。特別な気持ちだった。


「夜騎士、ありがとう。本当に出会えて良かった」


しばらくすると泣き止んで、楓は言った。


「俺だって感謝してもしきれねぇよ」


と言って、もう一度強く抱きしめてキスをした。


「夜騎士、お願いがある!」


柔らかくなった表情から一転、真剣な表情で、楓が言った。


「パパの病院にまだ行けてないの。信じたくなくて、だから一緒に来て欲しい」


「良いよ、行こうすぐに」


そう言って俺たちはすぐに病院に行った。そのバスの中で全部話してくれた。会社のリストラに詐欺、借金を作ってしまって自己破産、存分にダメダメな父親だったが、小さい頃に母親が男を作って逃げて、一人っ子の楓にとって、そんな父親でも大事な人だったそうだ。

キャバクラのバイトも、大学生と偽って生活のためにやっていたと言う。でも父親の知り合いがやっている店で、楓に接客や酒を飲ませたりはしなかったそうだ。

そうと知れば知るほど、今まで何も支えてあげられず、自分だけ幸せそうにしていたことが、情けなくなった。

でも、これからはそんな心配もいらないんだ。

病院に着いて案内されたのは、地下で光も入らず、誰もいない部屋だった。そこのベッドにポツンと置かれた楓の父親と、その前に何も言わず座って泣いている楓を見ると、俺も思わず涙が溢れた。


「今日はありがとう」


曇り空の帰り道、何か吹っ切れた顔で楓は言った。


「いや本当に残念やったな、楓はこれからどうするんや?」


「とりあえず、唯一の親戚のいる長野でお葬式をした後、そこで暮らすことになるかも。パパが亡くなった以上あの家はもう住めへんしね」


「ちょっと待ってくれ、学校はどうなるんだ?」


俺は何て言おうか頭で考えて聞いた。


「言いたいのは、そっちじゃ無いでしょう?」


何か誘導するかのように楓は質問を変えてきた。


「離れ離れになるのか?」


俺はグッと楓の手を掴んで言った。楓は黙って下を向いた。


「だから、ありがとうって言ったの」


グッと歯を食いしばり、泣くのを我慢しながら楓は言った。


「分かった、俺の家に住んでくれ」


「えっ? そんなのダメだよ……」


楓はかなり驚いた顔をした。


「どうして?」


「そんな高校生二人が一緒の家に住むなんて……。それに、夜騎士のお父さんや、お母さんに迷惑かかるし」


「俺が説明するから、一緒に居て欲しいんや」


「でも……」


俺は何度も言った。せっかく仲直りもできたのに、このまま楓がどこか遠くに行ってしまうのが考えられなかった。勝手なことを言っている。無茶なことを言っていることは分かったが、でも……


「うん、と言うまでこの手は離さない」


少し強引かも知れなかったが、俺は止められなかった。


「分かった。夜騎士、痛いから離して」


「ごめん」


俺はそっと手を話した。


「ちゃんと私から話して、夜騎士の両親に分かってもらう。いつまでになるか分からないけど、本当に良いの?」


「当たり前だよ」


まだ決まっても無いのだが、何となく俺はいける気がした。


「お願い! 父さん! 母さん!」


「勝手なこと言って申し訳ありません! お父さん! お母さん!」


俺と楓が頭を下げて言うと、父さんと母さんは顔を見合わせて、


「良いだろう。ただし、分かってる通り部屋は別々、客間を使ってもらう。そして不純なことは禁止だ」


父さんが優しく言った。


「ありがとうございます!」


二人は声を揃えて言った。

こうして、一つ屋根の下で過ごすことになったのだった。が、楓がお風呂に入っていたり、下着が干されたりするなんて考えると日々が煩悩だらけになりそうだったが。


十一月に入って、いよいよ冬の気配も感じられる日。葉っぱが綺麗に色付いた楓の木の下で、二人でお弁当を食べていた。

そこに顔面蒼白の状態の涼子ちゃんが、俺たちの前に立った。そして驚くことに彼女は、右ポケットからカッターを出した。


「付き合ってくれないと殺す、もしくは私が死ぬ」


かなり気が動転している。今までにこんな涼子ちゃんは見たことなかった。涼子ちゃんに限らず、こんな人の姿を見たことがなかった。俺はギュと楓の手を握りしめて、


「落ち着いて、話を聞かせてくれ」


俺は震える声で言った。


「話? そんなん無いよ! 何でうちじゃダメなんよ! キスもした! こんなに誘惑もしたのに! 何でこの女に落ち着くの! うちの方が可愛いのに! モデルやで?」


泣き叫んで言われたのに、うまく聞き取れなかったが、ただ事では無い様子だ。


「あの日、うちが見せようとしてたのは、ズタズタに切り裂かれた、うちん家の家庭環境、それを知って、あなたに守って欲しかったのに、結局どこかに行ってしまった。何度も何度も考えた。仕方ない、まだまだ我慢って……、でも、もう限界なの……

死んで、この世から消えて……」


涼子ちゃんはゆっくりと近寄ってくる。叫べば誰か来たんだろうが、なぜか二人とも叫ばなかった。こんな状況でも、彼女を庇おうと思う気持ちがあったのだろう。俺は楓を抱きしめ、そっと目を閉じた。


「ちょっと待って!」


俺の体を押して離れ、楓は涼子ちゃんに向かって叫んだ。


「カッターなんかじゃ、私たちは切り裂けない」


と言って、立ち上がって右足で涼子ちゃんの右手を蹴り上げた。カッターは宙を舞い、芝生の部分を越え、コンクリートに叩きつけられた。

涼子ちゃんはそのまま地面に崩れ落ちた。そして泣きじゃくった。


「家庭環境が悪くたって関係ない! 自分が生きてることに意味があるの、私がこんなこと言っても頭に入らないと思うけど、あなたのその家族はまだ生きてる。その人たちのために何か自分で行動することで、見え方が変わると思うの。私がそうだったように」


楓は涼子ちゃんの両肩に手を置いて言った。父親のことをしっかり支えた楓だから言える言葉だ。


「もう無理だよ。だって私犯罪者だから……」


「このことは黙っておくから」


楓は俺の方を見て確認した。俺はコクリと頷いた。


「違うの、人を、この手で殺してしまったの……」


絶望に満ちた様子だった。


「どういうこと?」


楓は優しく聞いた。


「あの男を殺してしまったの、この手で……」


俺は信じられなかった。そんな、涼子ちゃんが人殺しなんてあり得ないと思った。ただ、嘘は言ってないのは分かった。


「分かった。警察に行って事情を話そう、な?」


泣きじゃくる涼子ちゃんの頭を優しく撫でて俺が言うと、


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


と涼子ちゃんは何度も繰り返し言いながら泣き続けた。そして落ち着いてから一緒に警察に行った。

後日聞いた話だが、涼子ちゃんは母親の再婚相手に性的な嫌がらせを受けていたようだ。

その事件の朝、こんな関係を断ち切りたいと打ち明けたところ、迫られたので突き飛ばし、棚から落ちて来た花瓶が後頭部に当たり倒れたらしい。

意識を失っていただけみたいで、男もその事実を認め、涼子ちゃんの罪は無いも同然になった。

しかし、それから涼子ちゃんは、俺たちの前にも、学校にも二度と現れることは無かった。


「あの子はあの子で頑張ってたのに、私は酷いことを言ってしまってんな」


またとある日に、楓の木の下で俺たちは話をした。


「人はやっぱり何か支えが必要なんかなぁ」


俺は空を見上げて言った。


「人は辛い時も楽しい時も、誰かと共有したいんやろうな。涼子ちゃんの場合は助けが欲しかったんやろうけど。誰かの支えになって、やっと気付くこともあるんやな」


こうして楓は横にいてくれてるが、あのまま涼子ちゃんの方を選んでいれば、俺は彼女を守れたのかなと考えなから言った。


「どういうこと?」


「俺も言っててさっぱり分かんないんだけど、楓の言葉はきっと彼女の支えになると思うってこと」


そう言って俺は、首を傾げている楓の頭を撫でた。すると笑って頷いていた。


それからの毎日は順調に進んで行った。十二月十四日は楓の誕生日、プレゼントにはペアの指輪を渡した。そして、月末のクリスマス。聖なる夜に二人は初めて結ばれた。

新年も家族みんなで迎えて、学年末テストを乗り切り春休みになった。


まだ冬の寒さが残る三月。楓は俺に夢の話をしてくれた。


「あの日、初めて会った日に言ったこと憶えてる?」


「うん」


近所の公園のベンチに座ると、楓は話し始めた。


「声を届けられる仕事がしたいって言ったの、本当に憶えてた?」


「もちろん、あの日のことを忘れるわけ無いだろ」


あの時俺が言った恥ずかしい言葉も思い出した。


「良かった。私ずっと考えたんだけど、その夢を追うことにしたの」


楓は嬉しそうに言った。


「そうなんだ、どういう仕事にしたんだ?」


「声優にしたの」


「そうなんや、じゃあ専門学校とかに行くんだな」


と言うと楓は黙って下を向いた。何かさっきとは違う表情になったので、


「隠さずに言ってくれ」


と俺は何を言われるか怖かったが聞いた。


「怒らない?」


「あぁ、だから言って」


俺は唾を飲んだ。


「半年くらい前、父親の知り合いの人にその業界の人がいて、とあるアニメの本当に小さな役のアフレコを体験させてもらったの。それで昨日、急にその時のスタッフさんから連絡があって、今すぐうちの事務所に来て欲しいって、編入できる高校はこっちで探すからって……」


楓は泣いていなかった。嬉しかったからだろう。もちろん寂しそうな目はしていた。それにしても突然過ぎて、俺は唖然とした。


「何て答えたんだ?」


「とりあえず保留ってことにしておいた。夜騎士に言わずに決めることが今の私には全く考えられなかったから。何でも話すって約束したし」


俺は悩んだ。ここでどう言うべきなのか……。


「行った方がええよ。そんなこと、なかなかあるもんじゃないし、うん」


「それ本気で思ってる?」


俺は心の奥から言えていなかった。もちろん言えるはずもないのだが。俺は一息ついて、


「本当に思ってない。思ってないけど、この言葉が出たのは多分、楓のことが大切だから。その夢を叶えて笑っていて欲しいから、だから……」


気が付けば泣いていた。誰かの前で涙を見せることなんて無かったのに……。ダメだ、こんなんじゃ楓が行ってくれない。


「私、行かないよ……?」


楓も泣き始めた。


「それじゃダメなんだよ……。この涙は、楓へのエールの涙なんだよ……」


お互い涙が止まらなくなった。別れと仲直りを何度もして来たが、こんな風な幸せな別れに、どうしようもない感情が溢れ出た。喜んであげなきゃダメなのに…


「私は止めて欲しかったのに……」


「嘘、その気持ちはあったかも知れへんけど、背中を押して欲しかったんだろ……」


今まで楓のいろんな面を見てきた俺には分かってしまった。


「もうちょっと待ってもらうように」


それでも楓は決心が付かず言った。


「今すぐ、今すぐ行った方が良い。俺はきっと遠距離でも大丈夫。楓が東京に行って、カッコいい男の人に出会っても大丈夫。大丈夫じゃ無いけど大丈夫……」


カッコ良い言葉では無かった。でも、とりあえず胸の内をさらけ出したかった。心で会話がしたかったから……。


「夜騎士は本当に強くて弱い人。どちらの面も素敵なんだ、私はそんなとこが大好きや」


と言って、楓は俺の頭を撫でた。プライドの高い俺は、どうして俺が慰められてるのかと、少し腹が立ったが、楓の優しさなんだと感じて身を任せることにした。この幸せもいつまで味わえるか分からないから。


「行って来い! 必ずまた一緒に居られる時がくるまで!」


顔を上げて笑って言った。


「ありがとう、必ず掴んでくるから」


楓もまた笑って言った。納得はいっていない。でも止められなかった。これを機に、自分も夢について考えるようになった。


別れはあっと言う間だった、新学期には東京に行くと言う。荷物をまとめている楓の背中を見るたび、応援したい気持ちよりも引き止めたい気持ちが強くなった。

そして三月二十日、いよいよ出発の日が来た。その日は朝から春の嵐だった。


「こんな日に出発だなんて気味が悪いわね」


母さんは言った。


「ちょっと母さん、そんな旅立ちの日に言うことじゃ無いでしょ」


と言って真心が母さんの肩を叩く。俺と楓は和やかな雰囲気に微笑んだ。


「いつでもここに帰ってらっしゃい」


母さんが言うと、


「お姉ちゃんはいつでも、真心のお姉ちゃんだから」


と真心も言う。


「ありがとうございました。本当にお世話になりました。大きくなって帰って来ます」


楓は頭を下げた後、笑顔でそう言った。俺もその時は笑顔でいるしかなかった。弱さを見せないために。

別れが惜しく、しばらく沈黙のまま立ち竦んでいたが、


「行こっか?」


と俺が言うと、


「いってきます!」


ともう一度頭を下げて楓が言った。

昼前のちょうどその時間は、朝からの豪雨もマシになっていた。


「雨止んできたみたいだね」


「そうだね」


土の匂いがする田舎道をたわいもない会話をしながら進んでいく。すると楓が自分の持っていた傘を畳んで、俺の傘に入って来た。


「初めて一緒に帰った日。夜騎士とこうやって一つの傘の中で話せた日。本当に嬉しかった。それから夜騎士は私の悲しみの雨にも、そっと傘を出してくれてた」


ニコニコしながら楓が言う。


「俺は、人に無関心の性格やった。今でもそうなんかも知れへん。でも楓にだけは最初に会った時から惹かれていた、本当に不思議やな」


そうだ、楓に出会ってからずっと、楓のことを考えなかった日は無かったんだ。そんな楓が遠くに……


「ねぇ、やっぱ私行かないよ東京」


「どうして?」


まるで心が読まれたように、急にそんなことを言い出した楓に驚いた表情で言った。


「だって、夜騎士から離れることなんかできないよ! 今のまま離れるなんて!」


楓は立ち止まって、傘の柄をギュと持って言った。その頃には雨は完全に止んでいた。


「今さら、そんなことは言わさないよ」


全ての決心が付いた俺はそう言って、楓の手を持って駅まで走った。


「ちょっと待って、まだ電車は大丈夫だし、私行かないよ〜」


と言う楓の言葉には耳をくれず走った。そして駅に着いて、俺はコインロッカーに預けていたギターケースを取り出した。


「これで二十分は余裕ができたな、聴いて欲しい歌がある……」


俺は荒れる息を整えながら、そう言ってギターの準備をした。そして俺は彼女に言い聞かせるように、また自分に言い聞かせるように歌った。


“夢なんてものは簡単に掴めるものじゃない。だからもらったチャンスは捨てちゃダメ。形はどんな形でも掴みに行かないと。だから真っ直ぐに前を向いて突き進んで、最後にもし力尽きたなら、すぐに帰っておいで。君は一人じゃないから”


思いの丈を綴った、フルコーラス七分の歌を歌い切った。楓に向かって歌っていたので気付かなかったが、辺りには平日の昼過ぎにも関わらず三十人近くの人が集まっていた。

そして驚くことに、楓の拍手が伝染して、駅中に響き渡る拍手が俺に送られた。

信じられなかった。まるでどこかのステージに立っているかのような感じだった。今までに味わったことのない、新しい感覚だった。


「何か、こんなに力強く言われると、東京に行かず、夜騎士とずっと一緒にいるってのを誕生日プレゼントにしようと思っていた私がバカみたいね」


完全に忘れていた。楓のことに必死で自分の誕生日なんて気にもして無かった。


「分かった! 必ず夢を叶えることを誕生日プレゼントにする! 本当に勝手だけど」


楓は満面の笑みでそう言った。


「おう、最高のプレゼントだ!」


俺も作り笑いじゃなくて、心から笑って言った。


「それで、夜騎士も夢についてしっかり考えて、私に負けないで!」


と言って楓は俺にグッと抱きついて、


「いってきます」


と言うので、


「いってらっしゃい」


と俺は彼女の背中を軽く二回叩いた。そして、楓は電車の改札を通った。振り返ることなく。俺はその背中が呼んでいるように見えた、近い将来、こっちに来いよって……。

ボーッと彼女の姿が亡くなるまでホームを見ていると、


「すいません、もうちょっと歌ってくれませんか?」


と止まって聴いてくれた人から言われた。そんなこともまた初めてだったので嬉しくなって歌った。声が枯れるまで歌った。その時はまるで夢のようだった。


新学期になってクラス替え。三年生は中居と優希ちゃんと同じクラスになった。もちろん楓はいない。


「まぁ素直に喜ばなあかんって、俺らがこれからは夜騎士の光になるし」


「そうそう、うちら毎日話すから」


新しい教室で、別にそんなに寂しそうな顔をしていた訳でもないのに、中居と優希ちゃんが慌てるように言った。


「お前ら、その事については触れないって選択肢は無かったのか?」


呆れたように俺は言った。そしたら、二人はあっと言う顔をして、


「ごめん!」


と口を合わせて言った。


「何で謝るんだ?」


「いやいや、その選択肢全く無かったから」


中居が言った。俺はそんな二人が、あまりに可笑しくて、


「やっぱりな、まぁ気にしてないって言ったら嘘になるけど、しっかりケジメは付いてるよ」


と笑って言うと、


「とりあえずカラオケ行こうぜ夜騎士! お前の歌を聴きたくなったぜ!」


「うちもよ夜騎士くんの歌が聴きたい!」


とまた慌てて話を変えるように二人は言った。本当に正直で、友達思いの最高の友達だ。

まだまだ高校生活も楽しめそうだと俺はこの時思った。

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