8 西園寺回
昼休み。
教室。
弁当の匂い。
購買のパン争奪戦から戻ってきた男子たち。
ジュース。
笑い声。
一九九二年の高校は、妙に騒がしかった。
「のだっ♡」
レイは机をくっつけ、母親の弁当を食べていた。
卵焼き。
唐揚げ。
ウインナー。
白米。
「うまぁ……」
五十歳で孤独死した男には、家庭の弁当がいちいち刺さる。
コンビニ飯とは違う。
ちゃんと“誰かが作った味”がする。
「のだぁ……」
その時。
「いや〜でもさぁ、俺ん家もうパソコンあるから」
教室の中央で声が響いた。
「マジで?」
「すげー」
「Windows?」
「いや、まだ98じゃねぇけど」
得意げに話していたのは、西園寺誠だった。
父親が地元企業の社長。
金持ち。
ブランド物。
妙に髪型を気にしている。
そして。
典型的“マウント男子”だった。
「この前も親父とホテル行ってさぁ〜」
「どこの?」
「ヒルトン」
「うわ出た」
「のだぁ……」
レイは弁当を食べながら、その光景を眺めていた。
微笑ましい。
実に微笑ましい。
「…………」
前回人生の高校生レイは。
西園寺が嫌いだった。
自慢ばかり。
金持ち。
偉そう。
ムカつく。
そう思っていた。
だが。
五十歳まで生きた今。
「可愛いのだぁ……」
「は?」
隣の友人が振り向く。
「何が」
「西園寺なのだぁ」
「どこが?」
「マウント取りたくて仕方ないのだぁ」
「そりゃそうだろ」
レイはしみじみしていた。
なぜなら。
五十歳になると理解するからである。
高校生のマウントなんて。
大体“背伸び”なのだ。
「のだぁ……」
パソコン。
ホテル。
ブランド。
家柄。
高校生にとっては大きなステータス。
だが。
社会に出ると。
もっと恐ろしいマウントが始まる。
年収。
役職。
不動産。
株。
結婚。
子供。
学歴。
コネ。
老後資金。
「高校生のマウント、平和すぎるのだぁ……」
「お前今日も変だな」
「うむ!」
レイは唐揚げを食べながら頷いた。
「若者は可愛いのだっ♡」
「同級生だろお前」
その時。
西園寺の話がさらに加速した。
「あとさぁ、今度海外行くわ」
「えっマジ?」
「ハワイ」
「うわ出たよ」
「のだぁ……」
レイはニコニコしていた。
前回人生ではイライラしていたのに。
今は違う。
「うむうむ」
「何笑ってんだよ」
「いやぁ……」
レイはしみじみ言った。
「西園寺、人生で一番楽しい時期かもしれないのだぁ」
「急に重い」
「高校生くらいの時期って、自分が世界の中心だと思える最後の時代なのだぁ……」
「だから何なんだよその中年みたいな台詞」
中年なのである。
しかも孤独死済み。
「のだっ♡」
その時。
西園寺がこちらに気づいた。
「田中、お前笑ってんじゃねぇよ」
「のだぁ?」
「どうせお前ん家パソコンねぇだろ」
「うむ!ないのだっ♡」
「即答かよ」
「だが未来ではパソコンだらけになるのだぁ」
「また未来人ごっこしてる……」
女子たちが呆れていた。
だが。
レイは本気で感慨深かった。
一九九二年。
まだインターネット前夜。
スマホもSNSもない。
皆。
未来を知らない。
「のだぁ……」
西園寺は今。
家が金持ちなことを誇っている。
でも。
未来では。
父親の会社が傾く。
本人も苦労する。
知っている。
全部。
「…………」
だが。
レイは何も言わない。
言う必要がない。
未来を知ってるからって偉いわけでもない。
むしろ。
知らないからこそ全力でイキれる時期って、ちょっと幸せなのだ。
「のだっ♡」
レイは微笑みながら弁当を食べ続けた。
「田中、何ニヤニヤしてんだよ」
西園寺が言う。
「気持ち悪ぃぞ」
「うむ!」
レイは真顔で答えた。
「お主、十代って感じがして良いのだぁ」
「は?」
「マウント取れる時にいっぱい取っとくのだっ♡」
「何その上から目線」
「社会に出ると皆ボコボコにされるのだぁ♡」
「怖ぇよ」
教室に笑いが起きた。
西園寺も呆れながら笑っている。
「最近のお前ほんと意味わかんねぇ」
「のだっ♡」
その時。
橘彩音が近づいてきた。
「田中君」
「のだっ♡」
「昨日貸してくれた傘ありがと」
「のだぁ♡」
「あとこれ」
小さな紙パックジュース。
「お礼」
「!!!!」
レイ、停止。
「のだぁ……」
青春。
完全に青春。
しかも。
周囲の男子がざわついている。
「えっ」
「橘が田中に?」
「マジ?」
「のだぁぁぁぁ♡」
レイは顔を真っ赤にした。
だが。
その瞬間。
西園寺がニヤッと笑った。
「おい田中〜?」
「のだ?」
「お前最近調子乗ってね?」
「のだっ♡」
「橘さんと距離近くない?」
「うむ!」
「殺すぞ」
「怖いのだぁ!?」
教室、大爆笑。
レイは笑いながら思った。
こういう。
どうでもいいやり取り。
学生時代は面倒に感じていた。
でも。
五十歳まで生きるとわかる。
こういう時間。
実は二度と戻らないくらい貴重だったのだ。




