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孤独死したおっさん、高校時代へタイムスリップ  作者: 雪だるま
橘彩音ルート

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7 優しい周囲

 放課後前。


 数学。


 眠気。


 黒板。


 チョークの音。


「ここ、テストに出るぞー」


 教師が淡々と数式を書いていく。


 教室には微妙に気だるい空気が漂っていた。


 一九九二年。


 まだ“昭和の空気”がかなり残っている高校。


 窓際では男子が半分寝ている。


 後ろでは女子が小声で雑誌の話をしている。


「…………」


 そして。


 レイは死んでいた。


「のだぁ……」


 ノート真っ白。


 目が虚無。


 なぜなら。


 五十歳まで生きても数学をほぼ使わなかったからである。


「なんで高校数学って急に意味不明になるのだぁ……」


 前回人生。


 レイはここで諦めた。


 わからない。


 恥ずかしい。


 聞けない。


 放置。


 さらにわからなくなる。


 典型的転落ルートである。


「のだぁ……」


 教師の声が遠い。


「はい、じゃあこの問題解けるやつ」


「…………」


 静寂。


 誰も手を挙げない。


 レイは思った。


(うむ!吾輩はもちろん無理なのだっ♡)


 だが。


 教師の目がレイを捉えた。


「田中」


「のだぁ!?」


「やってみろ」


「死刑なのだぁ!?」


「いいから来い」


 数分後。


 レイ。


 黒板の前。


 数式。


 意味不明。


「…………」


 教室が静かだった。


 レイはチョークを持ちながら思った。


(五十歳にもなって高校数学で公開処刑されるとは思わなかったのだぁ……)


 そして。


「のだっ♡」


 適当に書いた。


 当然。


 間違えた。


「違う」


「のだぁ」


 教室から笑いが漏れる。


「レイ全然わかってねぇ」


「お前昨日まで妙に大人ぶってたのに」


「のだぁぁぁ……」


 レイはしょんぼりしながら席へ戻った。


 少し恥ずかしかった。


 五十歳精神でも。


 やはり人前で馬鹿を晒すのは地味に痛い。


「…………」


 前回人生。


 こういう瞬間。


 レイは勝手に傷ついていた。


 “自分は駄目なんだ”と思って。


 距離を取って。


 ひねくれて。


 そのまま孤立。


「のだぁ……」


 だが。


「おいレイ」


「のだ?」


 隣の男子がノートを見せてきた。


「ここ、こうだぞ」


「のだぁ?」


「だからこの式変形して……」


 別の男子も混ざる。


「お前そこからわかってねぇのかよ」


「うむ!」


「堂々と言うな」


 女子まで後ろから覗いてきた。


「田中君、途中式飛ばしすぎ」


「ここ先に整理すると楽だよ」


「のだぁ……?」


 レイはぽかんとしていた。


 優しい。


 普通に。


 みんな。


 思ったより。


「…………」


 前回人生のレイは。


 “皆敵”みたいに思っていた。


 見下されてる。


 馬鹿にされてる。


 そう思い込んでいた。


 だが。


 今見ると。


 別にそこまで悪意だらけではない。


 もちろん嫌な奴もいる。


 マウント取る奴もいる。


 だが。


 普通の人間は。


 案外普通に助けてくれる。


「のだぁ……」


「何だよ」


「みんな、吾輩が思ってたよりずっと優しいのだぁ……」


「は?」


「急に何」


「感動してるのだぁ……」


 友人たちは困惑していた。


「レイ最近マジで変だな」


「青春に目覚めたのだっ♡」


「そのワード便利だな」


 だが。


 レイは本気で感動していた。


 五十歳まで生きた結果。


 レイは。


 “どうせ誰も助けてくれない”と思い込む癖がついていた。


 だから。


 聞かない。


 頼らない。


 一人で抱え込む。


 そして潰れる。


「のだぁ……」


 でも。


 高校生くらいの時期って。


 意外と。


 まだ人間関係が柔らかい。


「ここ、こうやるんだよ」


「のだぁ?」


「だからxを移項して……」


「移項って何なのだぁ?」


「そこからかよ!?」


 教室に笑いが起きた。


 だが。


 嫌な笑いではなかった。


「田中君、ほんと数学苦手なんだね」


 女子が笑う。


「うむ!人生でほぼ使わなかったのだっ♡」


「未来人みたいなこと言うなよ」


「のだっ♡」


 レイは笑った。


 その時。


 前の席の黒沢隼人――サッカー部イケメンが振り返った。


「田中、ノート貸す?」


「のだぁ?」


「昨日のとこ抜けてるだろ」


「…………」


 レイは少し固まった。


 前回人生。


 レイは勝手に黒沢を敵視していた。


 イケメン。


 人気者。


 モテる。


 自分とは違う世界の人間。


 そう思っていた。


 でも。


 実際の黒沢は。


 普通に良い奴だった。


「のだぁ……」


「何だよ」


「お主、良い奴だったのだぁ……」


「は?」


「青春主人公だから性格悪いと思ってたのだぁ」


「意味わかんねぇよ」


 黒沢は笑った。


「ほら、ノート」


「のだっ♡ありがとうなのだっ♡」


 レイはノートを受け取った。


 綺麗だった。


 読みやすい。


 真面目。


「うむ……」


 レイは思った。


 こういう奴が。


 社会で普通に勝つのだ。


 勉強だけじゃない。


 人当たり。


 清潔感。


 気配り。


 継続力。


「のだぁ……」


 そして。


 レイは少し反省した。


 前回人生。


 レイは。


 “世の中が悪い”で思考停止していた部分がある。


 もちろん時代運もある。


 氷河期もキツい。


 だが。


 人間関係を投げ続けたのも事実だった。


「…………」


 その時。


 教師が言った。


「じゃあ次の問題、田中」


「のだぁ!?」


 教室が笑う。


「今度はできるだろ」


「プレッシャーなのだぁ!!」


「頑張れ田中ー」


「のだぁぁぁ……」


 レイは再び黒板へ向かった。


 だが。


 今度は少し違った。


 後ろから。


「そこ先に整理!」


「符号逆!」


「頑張れー」


 声が飛ぶ。


「のだぁ……」


 レイは少し笑った。


 青春って。


 恋愛だけじゃないのかもしれない。


 こういう。


 どうでもいい教室の空気も。


 実はかなり貴重だったのだ。

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