5 両親への肩揉み
夜。
田中家。
テレビではバラエティ番組が流れていた。
九十年代独特の騒がしいテロップ。
芸人の大声。
笑い声。
「いやぁ〜今日の雨すごかったな」
父親が麦茶を飲みながら言った。
「洗濯物全部やり直しよ」
母親はため息をついている。
「…………」
その後ろで。
レイはじっと両親を見ていた。
「のだぁ……」
前回の人生。
五十歳になったレイは、ほとんど実家に帰らなかった。
帰省してもスマホばかり見ていた。
会話も少ない。
母親が料理を作っても「ふーん」で終わる。
父親とも微妙に気まずい。
そして。
ある日。
母親の葬式。
次に父親の葬式。
「…………」
レイは今でも覚えている。
火葬場の匂い。
静かな待合室。
骨になった両親。
「のだぁ……」
思い出すだけで胸が痛かった。
だから。
レイは突然立ち上がった。
「うむ!」
「何よ急に」
「肩揉むのだっ♡」
「は?」
レイは父親の後ろに回り込んだ。
「のだっ♡のだっ♡」
揉み始める。
「おぉっ!?」
父親が変な声を出した。
「な、何だ急に」
「親孝行なのだっ♡」
「気持ち悪ぃな……」
「のだっ♡」
レイは妙に嬉しそうだった。
なぜなら。
五十歳になってから知ったからである。
親は。
永遠にはいない。
「のだのだっ♡」
ぐいぐい揉む。
「おぉ……」
父親がちょっと真顔になる。
「……うまいなお前」
「のだっ♡」
レイは得意げだった。
当然である。
五十歳まで生きた男。
倉庫バイト。
肉体労働。
中年。
肩こり。
マッサージ屋。
謎に知識が蓄積されている。
「ここなのだぁ?」
「お、おぉそこだ……」
「のだっ♡」
レイ、さらに押す。
「ぐおぉぉぉ……」
「パパ、めちゃくちゃ凝ってるのだぁ……」
「仕事してりゃこうなるんだよ」
「…………」
レイは少し黙った。
知っている。
父親はこの時代、毎日残業していた。
朝早く出て。
夜遅く帰る。
景気が悪くなり始めていた頃で、職場もピリピリしていた。
でも。
当時のレイは何も知らなかった。
ただ。
「うるさいオヤジなのだぁ」くらいにしか思っていなかった。
「のだぁ……」
「どうした?」
「ありがとうなのだぁ」
「は?」
「働いてくれてありがとうなのだぁ」
「…………」
父親が固まる。
「お前今日マジでどうした」
「のだっ♡」
レイは誤魔化すようにさらに肩を揉んだ。
「気持ち悪いわねぇ」
母親が呆れていた。
「ママもやるのだっ♡」
「えっ、いいわよ別に」
「やるのだぁ!」
強引だった。
レイは今度は母親の後ろへ回る。
「のだっ♡のだっ♡」
「ちょ、ちょっと強い!」
「のだぁ?」
「いやでも気持ちいいかも……」
母親の肩は思った以上に硬かった。
「…………」
レイは少しショックを受けた。
前回人生では。
母親なんて“家にいる人”くらいにしか思っていなかった。
だが。
違う。
家事。
洗濯。
料理。
パート。
掃除。
近所付き合い。
全部やっていた。
「ママも大変だったのだぁ……」
「そりゃ大変よ」
「のだぁ……」
「何よその顔」
母親は笑っていた。
「最近ほんと変ねぇ」
「うむ!」
レイは真顔で言った。
「吾輩、急に家族が大事になったのだっ♡」
「怖いわ」
「宗教か?」
「違うのだぁ!!」
レイは叫んだ。
「吾輩は悟ったのだぁ!!」
「何を」
「家族がいるご飯は美味いのだぁ!!」
「…………」
両親は顔を見合わせた。
「まあ……」
父親がぼそっと言う。
「思春期で荒れてるよりはマシか」
「それはそうねぇ」
「のだっ♡」
レイは嬉しそうだった。
その時。
テレビで恋愛ドラマが流れ始めた。
若い男女。
駅。
雨。
抱き合う。
「のだぁ……」
レイは真顔になった。
「どうしたの?」
「吾輩も青春してるのだぁ……」
「は?」
「今日は橘と相合傘したのだっ♡」
「ぶっ!!」
父親、麦茶を吹く。
「なっ!?」
母親が目を見開く。
「橘さんってあの可愛い子!?」
「うむっ♡」
「えぇぇぇぇ!?」
田中家、騒然。
「お、お前いつの間に!?」
「青春力なのだっ♡」
「意味わかんないわよ!」
「うむ!」
レイはドヤ顔だった。
「しかもサッカー部のイケメンを妨害して勝利したのだぁ!」
「最低じゃない!?」
「恋愛は戦争なのだっ♡」
「誰に似たのよこの子!」
「お前じゃないか?」
「失礼ね!」
「のだっ♡のだっ♡」
レイは妙に幸せそうだった。
前回の人生。
こんな会話は、ほとんどなかった。
食卓も静か。
テレビだけ。
だが今は違う。
笑い声がある。
家族がいる。
「のだぁ……」
レイは肩を揉みながら思った。
成功も欲しい。
金も欲しい。
恋愛もしたい。
でも。
それ以前に。
この時間を失いたくなかった。
「のだっ♡」
レイはさらに力を入れた。
「ぐおぉぉぉぉっ!!」
「強い強い!!」
「壊れる壊れる!!」
「親孝行なのだっ♡」
「加減しろぉ!!」
田中家に、久しぶりに大きな笑い声が響いていた。




