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九月。
放課後。
空は真っ黒だった。
ゴロゴロと雷が鳴っている。
「うわ、最悪……」
「雨やばくない?」
生徒たちが窓を見ながらざわついていた。
そして。
教室の後ろ。
レイは机に突っ伏しながら震えていた。
「…………来たのだぁ」
運命の日。
絶対に忘れない日。
五十歳まで生きたレイは、この日のことを妙に覚えていた。
なぜなら。
ここが“分岐点”だったからである。
クラスのマドンナ。
名前は橘彩音。
黒髪。
清楚。
成績上位。
しかも性格まで良い。
男子人気が異常に高かった。
そして。
今日。
雨。
帰りが遅れる。
傘がない彩音。
そこに。
サッカー部のエース。
高身長。
爽やか。
イケメン。
コミュ力最強。
しかも自然に女に優しい。
名前は黒沢隼人。
「…………」
レイは知っている。
ここで。
「橘、傘ないなら一緒に帰る?」
これが発生する。
そして。
自然に会話。
自然に距離が縮まる。
自然に付き合う。
青春イベントである。
「ふざけるなのだぁ……」
レイは低く呟いた。
前回人生。
レイは何もできなかった。
ただ見ていた。
教室の隅から。
羨ましそうに。
嫉妬しながら。
でも話しかける勇気もなかった。
「今回は違うのだぁ……!」
ガタッ!!
レイ、立ち上がる。
「のだぁああああああ!!!」
「うわっ!?」
「レイ!?」
教室がざわつく。
だが。
レイはもう走っていた。
廊下。
階段。
全力疾走。
「のだぁあああああ!!急ぐのだぁあああ!!」
目的地。
自転車置き場。
なぜなら。
そこに予備傘を隠しているからである。
昨日のうちに準備していた。
完璧。
未来知識の勝利。
「吾輩に隙はないのだぁ!!」
豪雨。
校庭は水浸し。
運動部すら撤退している。
レイはびしょ濡れになりながら自転車置き場へ突っ込んだ。
「のだぁぁぁぁ!!」
そして。
傘を掴む。
「勝ったのだっ♡」
その瞬間。
「レイ君?」
「のだぁ!?」
後ろから声。
振り向く。
いた。
橘彩音だった。
濡れていた。
白いブラウスの肩が少し雨で透けている。
黒髪が頬に張り付いている。
そして。
困ったような顔。
「……何してるの?」
「の、のだぁ……」
レイ、固まる。
近い。
美少女が近い。
しかも濡れてる。
高校生男子には刺激が強い。
「お主こそ何してるのだぁ!」
「傘探してたの。でも忘れちゃって……」
「のだぁ!!」
来た。
運命の分岐点。
あと数分で黒沢隼人が来る。
そして青春イベント開始。
「だ、駄目なのだぁ!!」
「え?」
「今日は吾輩が送るのだぁ!!」
「……は?」
彩音が目を丸くする。
「のだっ!!この傘を使うのだっ♡」
「え、でもレイ君は?」
「吾輩は走るのだぁ!!」
「いや無理でしょ」
「若さがあるのだぁ!!」
「何それ」
彩音、ちょっと笑う。
その笑顔を見て。
レイの心臓が跳ねた。
「のだぁ……」
やっぱり可愛い。
高校時代のレイが十年以上引きずっただけある。
その時。
遠くから男子の声。
「橘ー?」
「っ!!」
来た。
黒沢隼人。
サッカー部。
青春の化身。
レイの目がギラつく。
「邪魔してやるのだぁあああああ!!」
「えっ」
レイは即座に彩音の手を掴んだ。
「行くのだぁ!!」
「え、ちょ、待って!?」
ダッシュ。
豪雨の中を爆走。
「のだぁああああ!!」
「レイ君!!滑る!!」
「青春は戦争なのだぁあああ!!」
「意味わかんない!!」
後ろで黒沢が困惑していた。
「……何なんだあいつ」
だが。
レイは止まらない。
校門近く。
屋根のある場所へ到着。
「はぁっ……はぁっ……」
彩音が息を切らす。
「急に引っ張らないでよ……」
「のだぁ……」
レイも息切れしていた。
四十代以降の肉体ではない。
だが。
精神は五十歳。
全力疾走すると妙に「心臓大丈夫なのだぁ!?」という気持ちになる。
「……ふふっ」
「のだ?」
彩音が笑っていた。
「レイ君って、最近ほんと変だよね」
「のだっ♡」
「前まで全然女子と喋んなかったのに」
「うむ!」
レイは真顔で言った。
「人生は短いと気づいたのだぁ」
「高校生が言う台詞じゃないよそれ」
「本当なのだぁ」
雨音。
近い距離。
制服。
湿った空気。
青春である。
「…………」
彩音はレイを見た。
「でもありがと」
「のだっ♡」
「傘貸してくれて」
「うむ!」
「……レイ君も入る?」
「のだぁ?」
「相合傘」
「!!!!」
レイ、停止。
脳が止まる。
「の、の、のだぁ……!?」
「そんな驚く?」
「のだぁぁぁぁぁ!!」
レイの顔が真っ赤になる。
五十歳まで生きた男。
だが。
相合傘耐性はなかった。
「い、行くのだぁ……」
「ふふっ」
彩音は笑いながら傘を開いた。
二人。
並ぶ。
近い。
めちゃくちゃ近い。
「のだぁ……」
レイは緊張していた。
肩が触れそう。
シャンプーの匂い。
女子の体温。
「レイ君」
「のだっ!?」
「そんな固まらなくてもいいでしょ」
「む、無理なのだぁ……」
「なんで?」
「お主が美少女すぎるのだぁ……」
「っ……!」
彩音の顔が赤くなる。
「そ、そういうの急に言わないでよ……」
「本当なのだぁ」
レイは真顔だった。
五十歳にもなると。
変な駆け引きより、思ったことを言った方がいいと知る。
もちろん空気は読む必要がある。
だが。
何も言わないまま終わるよりはマシだった。
「…………」
彩音は少し黙った。
そして。
小さく笑った。
「……レイ君って変だけど、なんか最近面白いね」
「のだっ♡」
レイは嬉しそうに笑った。
そして心の中で叫ぶ。
(阻止成功なのだぁあああああ!!)
黒沢隼人との青春イベント。
完全破壊。
大勝利。
なお。
翌日。
クラスで「レイと橘が相合傘してた」という噂が広まり、男子たちからめちゃくちゃ睨まれた。




