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孤独死したおっさん、高校時代へタイムスリップ  作者: 雪だるま
橘彩音ルート

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 図書館。


 二階閲覧室。


 静かだった。


 紙の匂い。


 ページをめくる音。


 窓から入る秋の光。


 一九九二年。


 まだスマホもない時代なので、図書館にはちゃんと学生がいた。


「…………」


 そして。


 その一角。


 田中レイは死にかけていた。


「のだぁ……」


 数学。


 数式。


 関数。


 意味不明。


「なんで数字にアルファベット混ぜるのだぁ……」


「それ言ったら終わりだから」


 橘彩音が苦笑していた。


 ノートを広げ。


 鉛筆を持ち。


 普通に勉強している。


 可愛い。


 めちゃくちゃ可愛い。


「のだぁ……」


 レイはぼーっと見ていた。


「田中君」


「のだ?」


「手止まってる」


「お主が可愛いからなのだぁ……」


「しっ!」


 彩音が慌てて周囲を見る。


 図書館なので静かにしないといけない。


「もう……」


 顔が赤い。


 だが。


 嫌そうではない。


「ちゃんと勉強するんでしょ?」


「うむぅ……」


 レイはしょんぼりしながらノートを見た。


「数学怖いのだぁ……」


「そんな怯える?」


「吾輩、社会と国語で生きていきたいのだぁ……」


「高校生で文系極まりすぎでしょ」


 彩音は笑った。


 その笑顔を見て。


 レイはまたちょっとぼーっとした。


「のだぁ……」


 青春。


 強い。


 強すぎる。


「…………」


 その時。


 彩音がレイのノートを見た。


「うわ」


「のだ?」


「途中式めちゃくちゃ」


「感覚派なのだっ♡」


「数学で感覚派やめて」


 彩音は苦笑しながらノートへ手を伸ばした。


「ここ、こうやるの」


「のだぁ?」


 近い。


 めちゃくちゃ近い。


 髪の匂い。


 シャンプー。


 柔らかい声。


「のだぁぁぁ……」


「聞いてる?」


「美少女なのだぁ……」


「田中君?」


 だが。


 その瞬間。


 レイの脳内で何かが弾けた。


「…………」


 五十歳まで生きた男。


 孤独死済み。


 そして今。


 マドンナと休日勉強会。


「のだっ♡」


 レイは突然。


 彩音の左手を握った。


「…………」


 静止。


 空気停止。


 彩音の顔が固まる。


「…………え?」


 レイは非常に自然だった。


 あまりにも自然。


 まるで昔から握っていたかのような堂々さ。


「のだっ♡」


「…………」


 彩音、完全停止。


「た、田中君?」


「のだ?」


「な、何してるの?」


「手を握ってるのだっ♡」


「見ればわかるよ!?」


 声を抑えているせいで余計慌てていた。


「な、なんで!?」


「安心するのだぁ♡」


「知らないよ!?」


 だが。


 レイは離さない。


 しかも妙に自然。


 中身五十歳なので、変にキョドっていない。


「のだぁ……」


 レイは数学を見ながら真顔だった。


「恐ろしいのだぁ……」


「数学が?」


「うむ……」


 レイは彩音の手を握る力を少し強めた。


「数字がいっぱいなのだぁ……」


「子供!?」


「怖いのだぁ……」


「だからってなんで手握るの!?」


 彩音の顔は真っ赤だった。


 周囲を気にしながら小声で抗議している。


 だが。


 振り払わない。


「のだっ♡」


 レイは普通に問題を解こうとしていた。


 片手で。


「うむぅ……」


「いや解きづらくない!?」


「安心感があるのだぁ♡」


「知らないってば!」


 だが。


 レイは本気だった。


 五十歳まで生きるとわかる。


 人肌。


 温もり。


 これ、かなり精神安定に効く。


「のだぁ……」


 前回人生。


 最後の方。


 レイは何年もまともに人と触れていなかった。


 握手すら少ない。


 だから。


 今のこの状況。


 めちゃくちゃ幸せだった。


「…………」


 彩音は最初パニックだった。


 だが。


 少しずつ落ち着いてきた。


「…………」


 レイの手。


 温かい。


 しかも。


 妙に自然。


 変にいやらしくない。


 本当に“安心したいから握ってる”感じなのだ。


「…………変なの」


「のだっ♡」


「普通こんな堂々と手繋がないよ」


「そうなのだぁ?」


「そうだよ!」


「うむぅ……」


 レイは少し考えた。


「だが吾輩、お主好きなのだぁ」


「っ!!」


 彩音の顔がまた真っ赤になる。


「だから手くらい握るのだっ♡」


「そ、そういうの静かに言って!!」


「図書館なのだぁ♡」


「そういう意味じゃない!!」


 彩音はもう完全に混乱していた。


 だが。


 嫌ではない。


 むしろ。


 心臓がうるさい。


「…………」


 そして。


 もっと困るのが。


 レイが妙に真剣な顔で数学と戦っていることだった。


「のだぁぁぁ……」


「だからそこ、x先に出して」


「無理なのだぁ……」


「頑張って」


「お主がいないと生きていけないのだぁ……」


「重い!!」


 でも。


 彩音は笑っていた。


 そして。


 ふと。


 周囲を見る。


 図書館。


 静かな空間。


 高校生カップルっぽい距離感。


「…………」


 彩音は思った。


 なんでこうなったんだろう。


 少し前まで。


 田中レイなんて。


 ほぼ喋ったことない男子だったのに。


 でも今は。


 隣にいる。


 手を握られてる。


 しかも。


 妙に幸せそうなのだ。


「のだっ♡」


 レイは突然顔を上げた。


「橘ぃ」


「な、何」


「吾輩、数学嫌いだけど」


「うん」


「今日は結構楽しいのだぁ♡」


「…………」


 彩音は少し黙った。


 そして。


 小さく笑った。


「……私も」


「のだっ♡」


 レイの顔が一気に明るくなる。


 その瞬間。


 嬉しさで手を握る力が強くなった。


「痛い痛い!!」

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