15 勉強会
土曜日。
朝。
田中家。
「…………」
静かだった。
だが。
レイの部屋だけ異常だった。
「のだぁぁぁぁぁ……!!」
服が散乱している。
鏡。
整髪料。
雑誌。
謎に積まれたファッション研究資料。
「違うのだぁ!!これだと頑張ってる感出すぎなのだぁ!!」
バサッ!!
「うわぁぁぁ!!こっちはダサいのだぁ!!」
バサバサ!!
「のだぁぁぁぁぁ!!」
完全に修羅場だった。
なぜなら。
本日。
橘彩音との勉強会。
実質デート。
五十歳まで独身だった男には、あまりにも重大イベントである。
「人生がかかってるのだぁあああ!!」
レイは鏡の前で震えていた。
「吾輩の結婚生活がぁあああ!!」
まだ付き合ってすらいない。
だが。
中身五十歳のレイにはわかる。
若い頃の“ちょっとした接点”が未来を変える。
「のだぁ……」
しかも相手は橘彩音。
クラスのマドンナ。
前回人生では遠くから見て終わった存在。
「失敗できないのだぁ……!」
レイは真剣だった。
前回人生。
レイは“どうせ無理”で全部諦めた。
だが今回は違う。
「うむ!」
レイは最終装備を選んだ。
白シャツ。
黒系ジャケット。
細めのパンツ。
一九九二年としてはかなり頑張っている。
「のだぁ……」
さらに。
髪。
前髪。
整える。
「うむぅ……」
五十歳まで生きると知る。
清潔感は重要。
超重要。
「のだっ♡」
その時。
襖が開いた。
「…………」
母親だった。
「…………」
「…………」
沈黙。
母親はレイを見た。
整髪料。
服。
鏡。
異常な気合い。
「……あんた」
「のだぁ?」
「今日デート?」
「勉強会なのだっ♡」
「はいはい」
「違うのだぁ!!」
だが。
耳まで赤い。
「うわぁ……青春」
「のだぁ……!」
レイは真顔だった。
「ママぁ……」
「何よ」
「吾輩、怖いのだぁ……」
「は?」
「若い女の子と休日に会うの怖いのだぁ……」
「高校生でしょあんた」
「心は老兵なのだぁ……」
「意味わかんないわよ」
だが。
母親はちょっと笑った。
「ちゃんとハンカチ持った?」
「のだっ!」
「財布は?」
「のだっ♡」
「変なこと言わないのよ」
「無理なのだぁ!」
「即答すな」
父親まで新聞越しに笑っていた。
「頑張れよ」
「のだぁぁぁ……」
レイは本気で緊張していた。
その後。
家を出る。
秋の空気。
少し涼しい。
「のだぁ……」
レイは歩きながら深呼吸した。
駅前図書館。
待ち合わせ。
青春。
「…………」
五十歳まで生きたレイは知っている。
若い頃。
こういう日って。
人生の一大イベントなのだ。
周囲から見たら小さい。
でも本人には大きい。
「のだぁぁぁ……」
レイは途中でコンビニのガラスに映る自分を確認した。
「うむ!」
悪くない。
かなり頑張った。
「のだっ♡」
だが。
次の瞬間。
「待てなのだぁ」
レイは真顔になった。
「香水強すぎるかもしれないのだぁ」
焦る。
匂い確認。
「のだぁぁぁ!!」
さらに。
「髪崩れてるのだぁ!?」
駅のトイレへダッシュ。
「青春怖いのだぁあああ!!」
十分後。
図書館前。
「…………」
レイは到着した。
まだ早い。
だが。
落ち着かない。
「のだぁ……」
ソワソワ。
行ったり来たり。
完全に不審者。
その時。
「……田中君?」
「のだぁっ!?」
振り向く。
橘彩音だった。
「…………」
レイ、停止。
白いカーディガン。
ロングスカート。
自然な髪型。
高校生らしい薄いメイク。
「のだぁ……」
可愛い。
めちゃくちゃ可愛い。
しかも。
“頑張りすぎてない感じ”が強い。
「お、おはよう」
「のだぁぁぁぁ……」
「……田中君?」
「可愛すぎるのだぁ……」
「っ!!」
彩音の顔が一気に赤くなる。
「ちょ、ちょっと!」
「のだぁ……」
レイは頭を抱えた。
「吾輩、今日無理かもしれないのだぁ……」
「何が!?」
「もう緊張してるのだぁ……」
彩音は困ったように笑った。
「田中君ほんと最近変だよね」
「お主が可愛すぎるのが悪いのだぁ……」
「そ、そういうのサラッと言わないでよ……」
耳まで赤い。
だが。
嫌そうではない。
「のだっ♡」
レイは少し安心した。
その瞬間。
ふと。
彩音がレイを見た。
「…………」
「のだ?」
「今日、服ちゃんとしてるね」
「!!!!」
レイ、硬直。
「のだぁぁぁぁぁ!!!」
「うわっ!?」
「気づいてくれたのだぁぁぁ!!」
「そんな叫ぶ!?」
「吾輩、朝から二時間悩んだのだぁぁぁ!!」
「二時間!?」
彩音、大爆笑。
「そんなに!?」
「人生がかかってるのだぁ!!」
「勉強会で!?」
「結婚生活がぁぁぁ!!」
「早い早い!!」
図書館前。
高校生男女。
笑い声。
秋風。
「…………」
レイはふと思った。
前回人生。
こういう日を、自分は一度も作らなかった。
怖くて。
恥ずかしくて。
でも。
今。
ちゃんと来ている。
「のだっ♡」
レイは少し笑った。
「行くのだぁ♡」
「うん」
二人は並んで歩き始めた。
その後ろ姿は。
完全に青春だった。




