11 浮かれるレイ
深夜。
田中家。
静かだった。
父親は寝ている。
母親も寝ている。
テレビも消えている。
一九九二年の夜は、まだ本当に暗かった。
スマホもない。
SNSもない。
部屋にあるのは、小さな机と、漫画と、ゲーム機くらい。
「…………」
その部屋で。
レイは布団の中を転がり回っていた。
「のだぁぁぁぁぁ♡」
完全に浮かれていた。
「勉強会なのだぁ♡」
ゴロゴロ。
「橘と二人なのだぁ♡」
ゴロゴロゴロ。
「図書館なのだぁ♡青春なのだぁ♡」
めちゃくちゃニヤけていた。
前回人生。
女子と二人で休日に会うなど、ほぼなかった。
そもそも。
誘う勇気がなかった。
断られるのが怖かった。
気まずくなるのが嫌だった。
「のだぁ……」
だが。
今。
マドンナと勉強会。
しかも。
嫌がられてる感じではない。
「…………」
レイは天井を見た。
そして。
突然。
「結婚するかもしれないのだぁ」
真顔になった。
「のだぁ!?」
自分で言って驚いた。
「い、いやいやいやなのだぁ!?」
だが。
想像してしまった。
橘彩音。
大人になった姿。
結婚。
子供。
家庭。
「のだぁぁぁぁぁ♡」
レイ、再び布団を転がる。
「青春強すぎるのだぁぁぁ!!」
五十歳まで孤独だった男には刺激が強すぎた。
「うむ!」
だが。
その瞬間。
レイは急に真顔になった。
「…………」
現実。
結婚には。
金がいる。
「のだぁ」
五十歳まで生きたレイは知っている。
恋愛だけでは結婚は維持できない。
生活。
家賃。
食費。
教育費。
病院。
保険。
老後。
「のだぁぁ……」
しかも。
この時代はもうすぐ氷河期である。
甘くない。
「うむ……」
レイは腕を組んだ。
普通に就職。
もちろん悪くない。
だが。
競争が激しい。
しかも。
レイは自分を理解していた。
「吾輩、普通の会社員向いてないのだぁ……」
上司に怒られる。
人間関係で疲れる。
満員電車。
毎日同じ仕事。
そして。
逃げる。
前回人生がそれだった。
「のだぁ……」
もちろん。
全部社会のせいではない。
だが。
自分の性格が“雇われ向きじゃない”のも事実だった。
「うむ!」
レイは突然起き上がった。
「起業するのだぁ♡」
静かな部屋で、一人だけテンションが高い。
「稼がなきゃですのだぁ♡」
レイの目がギラつく。
未来知識。
一九九二年。
ここから。
インターネット。
携帯。
パソコン。
投資。
大量の市場が生まれる。
「のだぁ……!」
しかも。
今はまだ皆わかっていない。
「うむうむ!」
レイはノートを広げた。
そして。
震える手で書き始める。
『将来儲かりそうなもの』
「のだっ♡」
『インターネット』
『携帯電話』
『パソコン』
『ゲーム』
『オタク文化』
『秋葉原』
『ネット通販』
『動画』
「のだぁ……!」
レイは興奮していた。
未来を知っている。
これは大きい。
「うむ!」
だが。
レイは冷静でもあった。
「未来知識だけじゃ駄目なのだぁ」
なぜなら。
五十歳まで生きて知っている。
“知ってるだけ”の人間は山ほどいる。
実行する奴が少ない。
継続する奴がさらに少ない。
「のだぁ……」
しかも。
人脈。
これが重要。
レイは前回人生で、それを痛感した。
コネ。
紹介。
信用。
これが社会では異常に強い。
「うむ!」
レイは拳を握った。
「今回は人間関係から逃げないのだぁ!」
前回人生。
嫌なことがあるとすぐ距離を取った。
連絡しない。
辞める。
消える。
その繰り返し。
「のだぁ……」
だが。
今のレイにはわかる。
多少気まずくても。
多少失敗しても。
繋がりを維持する奴の方が強い。
「うむうむ!」
レイはさらに書く。
『人脈作る』
『逃げない』
『清潔感』
『筋トレ』
『投資』
『結婚』
「のだぁ♡」
そして。
最後に。
でかく書いた。
『橘を幸せにする』
「のだぁぁぁぁぁ♡」
レイ、また転がる。
完全に浮かれていた。
まだ付き合ってすらいない。
だが。
五十歳独身男性には、青春イベントが致命傷なのだ。
「のだぁ……」
その時。
ふと。
襖が開いた。
「…………」
母親だった。
「うわぁ!?」
「何してんの夜中に」
「の、のだぁ……」
母親はレイのノートを見た。
『起業』
『金』
『投資』
『結婚』
『橘を幸せにする』
「…………」
静寂。
「……あんた」
「のだぁ?」
「思春期こじらせすぎじゃない?」
「違うのだぁ!!これは人生設計なのだぁ!!」
「気持ち悪いわねぇ……」
「のだぁぁぁ!!」
母親は呆れながら襖を閉めた。
「ちゃんと寝なさいよ」
「のだぁ……」
部屋に静寂が戻る。
だが。
レイはノートを見つめながら、小さく笑った。
「…………」
前回人生。
将来のことなんて、まともに考えたことがなかった。
何とかなる。
その場しのぎ。
逃げ続けた。
でも。
今回は違う。
「うむ」
レイは真顔で呟いた。
「吾輩、今度はちゃんと生きるのだぁ」
その目だけは。
少し本気だった。




