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幽明の民 1

 明かりに導かれた先には、小さなあばら家があった。玄関に戸はなく開放されており、その脇の古びたかがり火台にて火が燃えていた。ただし薪や炭などの燃料は置かれておらず、火だけがその場に浮いていた。おそらくは、トパゾが魔法もとい精霊の力を行使して灯したものだろう。


 中のつくりは長の家とさほど変わらないが、こちらは断然小さく狭く、板間に置かれている丸テーブルとマットもみずぼらしいものだった。ここには祭壇などの宗教色を感じさせるものは無く、代わりに奥には灰のたまった火桶が設置されている。今は寒い季節ではないから、よほど夜が冷え込まない限り、あえて使う必要はないだろう。


 マオを先頭にあばら家に入った三人は、取りも直さずテーブルの周りに座った。奥側へ行ったマオは、腰を据えるなりテーブルに突っ伏してしまった。伏せたままテーブルに指を立てて引っかくように動かし、なにやらぶつぶつと独り言も漏らしている。


 コルトは不穏なものを感じ、なんとなく床に降ろした背負い鞄を正面に抱きかかえた。ラフィスも膝を抱いているが、そわそわと落ち着かない風だ。共になにも言わず、対面に居るマオの様子をうかがっていた。


 やがてマオは深々とため息をつくと、のっそりと顔をあげた。


「いけないですよね、わたしがこれでは……対策を打たないと……」

「対策って?」


 コルトの問いかけに返事は無い。マオは部屋の四方を見回しながら、長衣の合わせ目から手を入れつつ立ちあがる。そして懐から取り出した物は、怪しい紋様の描かれた札の束であった。それがあらわになった瞬間、ラフィスがきゅっと目を細めた。


「待って、それはなんですか?」

「お師様からいただいた護符です。目には見えない脅威から身を守るためのものですよ」

「目には見えないって……もしかして精霊様のことが脅威だって言うの」

「現に被害を受けているではないですか」


 むう、とコルトは口を固く結んだ。山越えの邪魔をする霧は、トパゾの口ぶりでは精霊の機嫌が関係しているようだった。それに泉で聞こえたあの声によって、事実、水の中へ引きずり込まれるところだった。これで被害を受けていないとは反論できない。


 マオは護符を室内の四隅と入り口に置いて回った。本当に特別なことはしない、筆で模様が書かれた厚紙を床に置くだけであった。その軽さもそうだし、書かれている紋様もただの落書きみたいに見えるし、なかなかうさんくさいものがあった。少なくともトパゾの力とは違い、目に見える現象がないから、全然信じられない。


 コルトは眉間に皺を寄せてマオの動作を見ていた。彼女にしろ札を作った師匠とやらにしろ、化け物退治をするなんて言うくらいなのだから、なにかしら力があってもおかしくないが。トパゾと同じく精霊信仰をする民で同じような魔法じみた力を使えるのなら、もっとどうにかできる気もする。第一、霧が精霊の悪意によるものだとわかっていて、それに対抗する護符まで持っているなら、どうしてもっと早い段階で対処しようとしなかったのか。


 ――マオさんは、僕たちのことを罠にかけようとしているのかもしれない。


 こちらにも益があるなら利用されたっていいが、わけもわからないまま一方的に被害を受けるのは願い下げだ。とにかくマオの本性を暴きたい。


 コルトは身を固く構えて正座した。そして向かい側にマオが再び座った瞬間に、まずは探りを入れようと問いかけた。


「マオさん、精霊ってなんなんですか」

「部族によってとらえかたは異なりますけど、簡単に説明するなら、そうですね……自然そのものだと考えておけば、おおむね間違いありません」

「神様とは違うの?」

「神の定義にもよります。信仰の対象との意味では同じですが、ルクノール個人のことを指すならば違いますね。実体のあるものか、概念のみの存在か……どうしましたか?」


 口元には笑みをたたえたまま、マオは軽く首を傾げる。対してコルトは怖い顔をしていた。ラフィスも少しばかり棘のある視線を送っている。


「僕には神様のことを話すなって言ったのに」

「ああ! 今は大丈夫ですよ。お師様の護符で結界を張ったので。わたしたちの話し声は、外のものには届きません」


 マオはあっけらかんと、息をする延長線にあるように語ったが、コルトの訝しみは解けない。少し彼女に都合がよすぎるではないか、と。護符の効果もマオの言葉もどちらも疑わしい。とりあえず、何があっても最低限身を守れるよう、コルトはそっと腰に帯びたマチェットへ手を添えた。


 話を続けてもよいかとマオに問われ、コルトは真面目な顔で頷いた。


「つまり、イオニアンの創世神とされるルクノールと精霊とはまったく別物です。そして信仰のかたちも、教会が聖典を定めて布教するルクノール信仰とは異なり、各部族によって大きく差があります」

「マオさんも精霊を信仰する部族の人なんですよね?」

「よく覚えていましたね。その通り。ただしわたしの生まれた部族と、この地の幽明の民とは思想がかなり異なります。彼らの思想はなんというか……えぐい」

「えぐい?」


 マオは眉を下げて頷いた。


「ただの信仰対象ではなく、彼らは自身が精霊の一部であると信じています。言わば、生まれながらに人であることを否定している。なおかつ外の世界の人より崇高な存在と思い込んでいる。だからこそ、彼らは簡単に命を投げ出すし、投げ出させる。精霊の力による秩序を保つためならば、使命としてどんなことでもやります」


 コルトの全身に鳥肌が立った。思わず隣のラフィスに抱きついた。人が消える地、霧、歓迎、底の見えない泉、誘う声、精霊の怒り、色々な事象が繋がった。


「もし、もしあの時ラフィスが引き戻してくれなかったら……」


 マオは吐息混じりに笑った。


「そう、にえです」

「トパゾがそんな悪いこと考えるやつだなんて。だって、長って言ったって、僕と同じくらいの歳なのに」

「彼には疑問も悪意もありません、幼少のころから当然のことと刷り込まれて来たのでしょうから。贄にされるのは、単に精霊のもとに還るだけだ。純粋にそう笑うのです、死に踏み込むその時まで」

「こっちはたまったもんじゃない!」

「ええ、救いがない。……いや、まあ、彼らにとっては救いであるのですけど」


 マオはくすくすと笑った。それでコルトはむっとした。幽明の民の是非とは別に、やはりこの人も少し感覚がおかしい気がする。それも信仰の違いだと言われてしまうとどうしようもないが。


「笑えないよ。死んだら終わりなんだぞ、周りの人もみんな悲しむんだ」

「おや。神ルクノールのもとでは、余程ひどい者でない限り、使徒エイチェルによる魂の輪廻が約束されているはずでは。だから死後の救済を求め、神に信仰を捧げるものと思っていたのですが、違いましたか?」


 コルトは村の教会で習った記憶を一生懸命絞り出した。どうしてかマオには熱心な宗教家と思われている節があるが、あいにくコルトは不真面目だった。聖典を教本に文字を書く練習がてら、司祭が説いていた、それくらいの内容しか覚えていない。


 確か、こんな感じだ。人は死んだ後、輪廻を司る神の使徒・エイチェルによって魂を鑑定される。生きている間の行いで魂の清らかさが決まり、転生先をふるい分けされる。清らかな魂には幸福を、汚れた魂には罰を。そしてまったく曇りのない魂は神ルクノールの居る天上へ昇天させられ、神の世界で永遠の幸福が約束される。一方で暗き魂の持ち主、すなわち存在自体が世界を穢すものは、神の手で魂が滅ぼされる。だから生きている内から絶対の主に祈りを捧げ、忠誠を誓い、清く正しく生きるべし。


 正直なところコルトは信じていない。死んだら終わりだ、本当に次があるのならあんな風にみんな泣かないし、怖くもないはずだ。ただ、今は自分の意見を問われているわけでなく、教会の教えの内容をたずねられているのである。だからコルトは首を縦に振った。


「……そうですね。神様に悪い人だって思われたら、滅ぼされちゃうから」


 平静に言うものの、心はちくりと痛む。どうしても故郷の村でのことや、エスドアのことが頭に浮かんでしまう。


 ――でも、それはおかしなことだと僕は思うよ。


 心の中で続けながら、コルトはラフィスのことを見た。彼女は神妙にマオを見つめたままだった。


 マオは得心が行ったように笑うと、テーブルに肘を置いて少し姿勢を崩した。それから、ぽつりと呟いた。


「そういえば、使徒エスドアも元々は精霊を信仰する民でしたね」


 まるで泉に石を投げ込まれたような心地だった。そうだ、ラフィスの記憶で見たエスドアは、自分に刃を立てる直前に笑っていた。あれも死をいとわぬ信仰がなせる技だったのか。


 ――違う、いま大事なのはそんなことじゃない。


 コルトはおずおずと、しかし睨むようにマオを見た。彼女は軽く目を細め、妙に挑発的に感じる笑みを浮かべていた。どことなく雰囲気が変わったような。


「マオさん。どうして今のタイミングでエスドアの名前を?」

「『悪い人』の筆頭と言えば、彼女のことだと思いましたけど。お気に触りましたか」


 マオは眉を下げて苦笑いをした。だが目は泳がない、しっかりコルトのことを見ている。まるで値踏みするようだ。思えばノスカリアでも似たような目つきで見てくる女性がいたものだ。マオの場合はあそこまで高圧的でないが、ともかく。


 ――怪しい。とっても。


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