表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
90/148

幽明の民 2

 思い返せば、出会った時から少しおかしかった気がする。マオはラフィスのことを見ても特別な興味を示さなかった。良くも悪くも、亜人であるというだけで目立ち、実際、コルトが会って来た人々は必ず一度はラフィスに目を奪われていた。それなのに、マオは驚き顔ひとつすら見せなかった。そして一緒に居た時間もそれなりにあったのに、これまでラフィスについて何かを聞かれることもなかった。言葉が通じないことや、そもそもどういう出自の種族なのか、その辺りは疑問を抱いて当然だろうに。


 疑問を浮かべない理由があるとしたら。マオがとてつもなく懐が広いか、本当は気になっているのをあえて口をつぐんでいるだけか。いいや、もしかしたら、出会う前からラフィスのことを知っていたのではないか? そう、「化け物退治」の対象として。仮に教会からの刺客だとしたら、エスドアの名を出してこちらの様子をうかがっている現状も不思議じゃない。


 敵かもしれないと思うと、つい感情にかられて騒ぎそうになる、それをコルトはどうにか抑えた。深い呼吸をひとつ、ふたつ。まだ敵と決まったわけじゃない、今のは全部推測だ、そう自分を静めた。確証もないのに悪者扱いしたら、間違っていた時にとんでもないことになる。特に今は。


 もう一つ、ラフィスの態度がコルトのブレーキになってくれる。危険をはらむ相手なら、彼女は警戒心を剥き出しにする。だが今の彼女は、膝を崩して座っているだけ。マオのことは信用できなくても、ラフィスのことは信頼している。だから自分が勝手に疑心暗鬼になっているだけかもしれないと思い込める。


 いいだろう、そちらが探りを入れてくるならば、こちらも尻尾を掴んでやるだけだ。コルトは正面切ってマオのことを見て、逆に問いかけてみた。


「マオさんは、ルクノール様のことにとても詳しいんですね。異教徒なのに、不思議です」

「お師様から、よく勉強するよう言われましたので」

「じゃあ黙示録の終末の章は知ってる?」

「もちろん。『黄昏を告げる道化が舞い踊り、封じられた災厄が目を覚ます。理は狂い、因果律は崩壊し――』まだ続けた方がよろしいですか」

「いいえ、もういいです」


 にこっと笑うマオに、コルトは舌を巻かされていた。全文を読み上げられたところで、コルトには答え合わせができない。そんな異教の聖典の文章をそらんじられるくらいだ、よく勉強しているというのは本当なのだ。


 ただ今やりたいのは暗記自慢などではなく別のこと。コルトは単刀直入に切り出した。


「その黙示録について、マオさんはどう思いますか」

「どう、とは?」

「実はもう身近なところで起こっていることだとは思いませんか」

「はあ……」

「ええと、その、たとえばお師匠さんがマオさんに退治しろって言った化け物が、黙示録の『災厄』の化け物だったりするんじゃないかって」


 マオはきょとんとして瞬きを繰り返した。コルトはそんな彼女の瞳の動きを注視していた。ごまかしながら逸らさないか、揺れないか、と。


 だが疑心に反して、マオの瞳は迷いなくコルトへ向けられたままだった。ラフィスには一回たりとも向かないし、後ろめたく逃げられることもなかった。


 そしてマオは、堪えきれなくなったように吹き出し、机に突っ伏しながら腹を抱えて笑った。今度はコルトがきょとんとする番であった。


「そんな、まさか! いくらなんでも過大評価です、確かにいつも無茶を言うお師様ですけど、そんなたいそうな事をわたし一人にさせたりしませんよ」

「ちゃんと考えてよ。気づいてないだけで実は、って可能性もあるでしょ」

「コルト君、あなたは意外と難しいことを考えるのですね」

「えぇ?」


 マオは毒気の無い笑みを浮かべていた。


「わたしは、自分の使命をそのように難しく考えたことありません。未熟な身ですし、お師様を信じていますから。お師様がやれと言ったことをやるだけです。そしてお師様が任せてくれるのなら、わたしにできる範囲のことに決まっています。ご心配、ありがとうございます」

「はあ……」

「それとも怖くなりましたか? どんなとんでもない化け物かって」

「そっ、そんなことないよ!」


 心配していたわけではないのだが、どうにも意図が通じていない。しかし裏を返せば、ラフィスのことに関してやましいことが無いという証だろう。よほどの名役者か、とてつもなく察しが悪いのでない限り。


 少なくとも敵視する必要はなさそうである。もしマオがこちらへ危害を加えようと思っているのなら、こうして会話をしている間のどこかでラフィスがそれを察知して、気を張った動きを見せてもおかしくない。だが彼女は動かなかった。大人しくマオの話しぶりを見つめているだけだった。信頼しているラフィスもそう言うなら、と、コルトはマチェットから手を離した。


 ややして、マオが深く息をついた。軽く伏せられた目には、明らかな憂いの色が浮かんでいる。


「しかし、気持ちだけではどうにもなりませんからね……どうにか取り返さないと……」

「そんなに大事な笛なの?」

「ええ。わたしにとっての武器ですから」


マオは口元に手をやり考えこむ。静かだ。あちこちから隙間風が吹き込んでくる音が聞こえるほどに。


 やがてマオは立ちあがった。真剣なまなざしでコルトを見おろしている。


「わたしはもう一度笛を返してもらいに行ってきます」

「外は危ないんじゃないの?」

「危ないです。なので、あなた方は絶対に外へ出ないように。いいですね。今はここは安全ですから。ただし――」


 マオはすっと部屋の隅を指さした。さっき護符を置いた場所だ。目を凝らすと、護符の縁が焦げていることに気づく。少し見ている間ではわからないくらいゆっくりと、音もない変化だった。


「もしも護符が燃え尽きるまでにわたしが戻れなかったら、あなた方はすぐに逃げてください」

「逃げろって言われても!」

「集落を出て、来た道を戻り山をおりて。もし道がわからなかったら、とにかく霧の薄い方へ。足止めする相手があちこち散っていたら、向こうの手も緩むでしょうから、逃げ道は必ずできますよ」

「だめだ、マオさんを一人で残しては行けないよ」

「大丈夫です。わたしが消息を絶ったなら、お師様……シャヤク様が必ず探しに来るでしょう。お二人のところへも来るはずです。その時は、わたしの代わりに事情を説明してください。それでは、行ってきます」

「ちょっと!」


 コルトは弾みで立ちあがった。ラフィスもマオの背に何事か言いながら一緒に立ちあがる。しかしマオは振り返りもせず、足早にあばら家を出て行ってしまった。長の家の方へ向かったようだが、濃霧に阻まれてあっという間に影を追えなくなった。


 ため息ともうめき声ともつかない音がコルトの口から漏れた。頭をがりがりとかきながら、もとのテーブルへ戻って床に沈む。


 どうしたらいいんだろうか。隙間風の音がいやにおどろおどろしく聞こえる中で、コルトは深呼吸をして考える。睨めつけた護符はじりじりと焦げているが、燃え尽きるまでは当分かかりそうだ。


「マオさんを信じてしばらく待とう。もう、なにがなんだかわかんないよ……」


 ラフィスもそっとコルトの隣に腰をおろした。心配そうにコルトの顔を覗き込んでいるが、彼には空元気を返す気力はなかった。


 幽明の民のこと、精霊と霧のこと、そしてマオのこと。いずれの件もすっきりとした考えに至れず、それこそ霧の中でかすかな影を追っているような気分だ。


 ただなんとなく、この集落に来たのは偶然ではないとコルトは感じていた。神の導きか精霊のいたずらか、それとも誰ぞ生きる人の意思なのか。理由がはっきりするのは、きっとこの霧が晴れた時となるだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ