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かりそめの安息 3

 頬傷の男は倒れているアイルへ追撃を加えんと床を蹴った。人外の脚力だ、床板がえぐり取られている。その力で狙っているのは倒れている黒い頭、真横に立って膝を高く掲げた。


 アイルはとっさに体を後ろへ転がして避けた。敵の足は床板を踏み抜き、すさまじい音と共に穴を開けた。


 床から足を引き抜く瞬間だけ隙ができる。そこでアイルは立ち上がりながら、跳びすさって頬傷の男と距離を取った。すぐ後ろが聖堂の隅だ、一見するに追い詰められているようだ。


「コルト、先に行け! 後ろから拾う!」


 緊迫した叫び声。聞かされた方には、でも、と少し迷いが生じた。


 しかしコルトの心配をよそに、アイルはすぐに槍を創り出して攻めに転じた。これまでとは目つきも違う、ぎらぎらとした殺気じみたものをたたえていて、真剣さがより増している。


 ――僕が残った方が邪魔だ。


 コルトは判断した。入り口をすり抜けようとして彼らに近づくのも危険だ、ここはさっき見たキッチンの裏口から外に出て、アイルを待つことにしよう。そしてコルトはラフィスの腕を引いた。


「行くよラフィス……ラフィス?」


 彼女は頑として動かず、挙句の果てに腕を払いほどかれた。


 ラフィスもまた、妙に気迫がこもった目で男たちが交戦する光景を見ている。そして視線は彼らの頭上、高天井へと移り変わった。


「ラフィス、なにをしているの――」


 コルトの声も届いていないようだ。ラフィスは天井に向けて両目を見開き、風のような小さな声で呪文を唱える。さらさらと言葉を流し、最後に両手を斜め上方へ突き出した。すると、手のひらから光が発生し、キラキラとまっすぐに空中を進んだ。


 光は天井にぶつかり、刹那、紫電の爆発が起きた。その爆風は傷んでいた天井の一部を崩落させた。大小のがれきが戦う男たちの頭上へ降り注ぐ。


 対峙する彼らの向きが重要だった。ラフィスが呪文を唱えた時、頬傷の男は祭壇側に背を向け、アイルは祭壇側を向いていた。だからアイルはラフィスの行動を視界にとらえていた。天井へ何か細工をしようとしている、それがわかっていたから、彼は爆発の音がした瞬間に、崩落に巻き込まれないよう素早く離脱できた。


 一方で頬傷の男にしてみれば、爆発音は突然のこと。まず驚き、何事かと天井を見上げてから、危険を知って後ろへ回避する。天井落下に巻き込まれこそしなかったが、このわずかな反応の差が命取りとなった。


 体勢を整え切れていない男の前から、アイルが銀の槍を構えて迫る。同時に後ろからラフィスが雷の槍を放つ。先に到達したのはラフィスの攻撃だった。まぶしい光が弾け、男が頑健な全身を引きつらせた。そしてそのまま床にバタンと倒れ、投げ出された四肢をぴくぴくと痙攣させた。しばらく待っても立ち上がろうとする気配はない。


 アイルは槍を引きつつヒュウと口笛を吹いた。そしてダウンしている男に目をやりつつ、コルトたちのところへ走って来る。


「助かった、ありがとうな」


 声をかけられたラフィスは、先ほどまでの強気さはどこへやら、スカートをぎゅっと手でつかんで引っ込みがちにしている。そして上目づかいでアイルに言葉を返した。


「シー、アイル……アイルサン」

「名前も覚えてくれたのか。ありがとう、でも、無理するなよ」


 アイルは自然にラフィスの頭に手を伸ばし、優しくポンポンと叩いた。ラフィスは特に嫌がりも喜びもしていない。


 一連の光景をコルトは呆けた顔で見ていた。胸に少し嫌な感じのざわざわがあるのはなんだろう、うまく説明できない感情だ。


 それとは別に、気づきも一つ。


「そういや、ラフィスが僕以外の名前を呼んだの、初めてだ」

「へえ、そいつはますます嬉しいな」


 軽快に笑いつつ、アイルは裏口に続く扉を指さした。頬傷の男は一人で先行して来たらしく、次の敵はまだ現れない。脱出するなら今のうちだ。コルトは強くうなずいた。



 教会の裏口からコルトたちは飛び出した。来た時同様、獣に変じたアイルの背に二人乗りだ。


 目指すはノスカリアの市街地である。道なき野にルートを取りミヤノスカは大きく南に避ける方針だが、町を繋ぐ街道が視界に映る程度の迂回にたもっている。これはシェリと行き違いにならないための措置だ。


 そして事件が起こったのは、教会とミヤノスカの中間あたりを進んでいる時だった。


 静かに歩いていたならば、寸前にシュッと風を切る音が聞こえただろうが、あいにく疾走中、こちらの風音でかき消されてしまった。だから、アイルの左上腕に矢が突き立った後に初めて、ボウガンで狙撃されたことに気づいたのだ。


 射られた前足の力が抜け、半ば横転するように倒れ伏す。スピードを出していた、慣性で引きずられる距離も相応に長い。


 背に乗っていた二人のうち、ラフィスはしかと体をくっつけてしがみついていたから、アイルとほぼ一体になって倒れた。一方でほぼ手の力だけで掴んでいたコルトは、遠心力に耐えられず手が滑り、一人だけ離れて遠くへ投げ出された。悲鳴をあげる暇もなかった。


 アイルが起き上がりざまに人型に戻った。膝立ちの姿勢で上腕に斜め前の角度で矢が突き刺さっていることを視認すると、歯噛みしつつ軸を根元でへし折った。矢尻は刺さったままにして、傷口の栓として出血を抑えている。それでも身動きするとシャツに赤い染みができる。


 放り出されたコルトも軽く手足をひねった。だが一過性の痛みで済む程度だ。地面に横になり痛みを逃がしつつ、あたりを見回して敵の様子をうかがった。


 だが、どこにも射手が見えない。角度からして北東の方だが、そちらは見通しのよい野原と耕地があるばかりで人影はない。ずっと直線を伸ばしていくと、最後にぶつかるのは、まだ遠くのミヤノスカ市街地にある背の高い鐘楼だが。


「まさか……」


 その、まさかである。釣鐘を背中に誰かが動いた、遠すぎて姿かたちはわからないが、とにかく人がそこに居ることは間違いない。


 直後、二本目の矢が飛んでくる。またアイルを狙っている。だが今度は予想ができており、なおかつ距離も遠いから、ハッとした瞬間に横に避ければ十分に避けられた。空を切った矢は地面に深々と突き刺さった。


 こちらは真っ先にラフィスが立ち上がって反攻を開始していた。教会でしたように、鐘楼へ向かって呪文を唱える。だがさっきより長いし、言葉尻も強かった。


 詠唱を終えたラフィスの手元には球状に凝縮された雷があり、それを彼女は鐘楼へ向かって思い切り突き飛ばした。雷球は閃光となり宙を駆け抜け、鐘楼の手前で大きく爆発する。ミヤノスカの住民からしたら、青い空に突然花火が上がったようにでも見えただろうか。


 四方八方へ炸裂した電撃は一本も鐘楼に届かず、まったく傷をつけていない。だが威嚇には十分すぎた。鐘楼にあった人影は、雷がおさまった後には逃げ去っていた。


 雷の炸裂を横目に見ながら、コルトはアイルたちのもとへ這い戻ろうとしていた。まだひねった手足がじんじんと痛むが、自分よりももっと心配だ。


「アイルさん、大丈夫ですか!?」

「ああ、心配するな、これくらい……」


 ここで三人ともが黙った。全員が、駿馬が北から向かってくる事に気づいたからである。しかもただの馬ではなく、騎馬だ。乗っているのは見覚えのあるワインレッドのフロックコートに、金茶色の髪の男。フォウト=ラスバーナ本人が、自ら一騎でやってきたのだ。


 ラフィスが瞬時に攻撃の矛先を変えた。今までの怒りが込められたような激しい雷光を、フォウトを正面から押しつぶさん勢いでぶつける。まばゆい光があたりを明るく照らした。巻き込まれたわけでないコルトやアイルですら、身をすくめてこわばらせるすさまじさだった。


 だが。直線的に迫った雷光は、騎馬の鼻先まで届くと、ロウソクを吹き消したようにパッと打ち消された。もちろん騎馬は無傷である。


 ラフィスが驚愕の顔でたじろいだ。焦ってもう一度細い電撃を放ったが、結果は同じ。相手に届く一歩手前できれいに消えてなくなってしまう。フォウトは顔色一つ変えておらず、馬も異常な興奮状態で一直線に突撃してくる。全員まとめて踏みつぶさん、と。


 アイルがとっさにラフィスのことを引き倒し、抱きこんで受け身をとった。刹那の間のことだ、離れていたコルトのことまでは同時にどうしようもなかった。だからコルトは自力で逆側に飛び退いた。


 馬は二組の間を割って猛スピードで通り過ぎた。どこまでもまっすぐ、南へ延々と駆けていく。ただ、その背にはもう誰も乗っていなかった。


 乗馬していた人物は、目標を通り過ぎる直前に飛び降りていたのである。ゆらりと佇むその手には、抜き身の剣が握られていた。


 その剣は、より近くに、しかも一人で尻餅をついていたコルトの額へと突きつけられた。あわあわと後ろに下がっても、剣は離れてくれない、むしろより深く眉間をチクリと刺す。


「ラスバーナの物を盗み、そのまま逃げおおせられると思ったか、馬鹿めが」


 冷酷に燃える青い目をコルトは顔を白くして見つめていた。ちょうど西に降りてきた夕陽がフォウトの背中越しに見えるが、今までにないほど冷たく感じられる太陽だった。

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