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婚約破棄された悪役令嬢は、有能すぎました  作者: 夜嶋朔


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第54話 届かない

 政宗が安土城から出られなくなって、三日が経った。


 牢へ入れられたわけではない。


 部屋もある。


 食事も出る。


 城内を歩くことも許されている。


 ただ。


 門だけは通れなかった。


「最悪の客扱いだな」


 政宗は廊下の柱へ背を預けた。


「客ではない」


 横から声がする。


 秀吉だった。


「囚われ人じゃ」


「もっと悪いじゃん」


「笑い事ではないぞ」


「笑ってねぇと殴りに行くから」


「それはやめろ」


「何で」


「今のおぬしが殿を殴ったら、本当に斬られるぞ」


 政宗は笑わなかった。


「……だろうな」


 少し前なら。


 殴れば殴り返された。


 そのまま取っ組み合いになって。


 最後には、どちらからともなく終わった。


 でも。


 今は違う。


 信長は。


 政宗を対等な相手として見なくなり始めていた。


 天下人と。


 従うべき者。


 そんなふうに。


 二人の間へ。


 勝手に上下を作り始めている。


「市は?」


 政宗が聞いた。


「寺におる」


「戻ってねぇ?」


「少しずつじゃ」


 秀吉の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「萌呼殿と離れておる時間が長いほど、自分のことを話せるようになってきた」


「じゃあ効いてるじゃん」


「あぁ」


「それ信長にもやればいい」


「問題は」


 秀吉が安土城の奥を見る。


「殿が、萌呼殿から離れようとせぬことじゃ」


「……」


「それどころか」


「何」


 秀吉は。


 少し言いづらそうにした。


「昨日、また一人」


「家臣?」


「あぁ」


 政宗の顔から表情が消える。


「何した」


「萌呼殿の意見に反対した」


「それだけ?」


「それだけじゃ」


「で?」


「蟄居」


 政宗がゆっくり秀吉を見る。


「何に反対した」


「処刑じゃ」


「……誰の」


「城下の男だ」


 秀吉の声が低くなる。


「萌呼殿を侮辱したらしい」


「侮辱?」


「道でぶつかって、謝らなかった」


 政宗は。


 何も言わなかった。


 数秒。


 本当に。


 何も。


「……は?」


「萌呼殿が転びかけた」


「それで?」


「男は気づかず、そのまま行った」


「それで処刑?」


「家臣が止めた」


「当たり前だろ」


「殿は」


 秀吉が目を伏せる。


「その家臣を蟄居させた」


 政宗は。


 柱から背を離した。


「どこ」


「政宗」


「信長どこ」


「待て」


「どこだよ」


 秀吉が政宗の腕を掴む。


「今行ってどうする」


「話す」


「話して戻らなかったら」


「殴る」


「だから!」


「じゃあどうすんだよ!」


 政宗の声が廊下へ響いた。


 秀吉も黙る。


「市みたいに離せねぇ」


「……」


「萌呼が横にいる限り、どんどんおかしくなる」


「……」


「このまま放っといたら」


 政宗は。


 奥歯を噛んだ。


「本当に誰か死ぬぞ」


 秀吉は。


 政宗の腕を離した。


「……評定の間じゃ」


 政宗が歩き出す。


「儂も行く」


「あぁ」



     *



 評定の間には。


 重い空気が漂っていた。


 信長は上座にいる。


 そのすぐ近くには。


 萌呼。


 周囲には家臣たちが並んでいたが。


 誰も。


 以前のように自由に意見を言っていなかった。


「次」


 信長が言う。


 家臣が一人。


 恐る恐る口を開く。


「城下の男についてですが……」


「処刑せよ」


「殿」


「何じゃ」


「故意ではなかったとの証言もございます」


「関係ない」


「ですが」


「萌呼へ無礼を働いた」


 萌呼が。


 少し困ったような顔をする。


「信長様」


「何じゃ」


「私は、そこまでしなくても」


「おぬしは優しすぎる」


「……」


「だから余が決める」


 政宗は。


 入口で。


 その言葉を聞いた。


「何決めてんだよ」


 全員が振り返る。


 信長の眉間に皺が寄った。


「……政宗」


「人一人殺す話」


 政宗は評定の間へ入る。


「そんな軽く決めんの?」


「余が決めた」


「理由は」


「言ったじゃろ」


「萌呼にぶつかったから?」


「あぁ」


「馬鹿じゃねぇの」


「政宗!」


 家臣たちが息を呑む。


 信長の目が鋭くなった。


「今、何と言った」


「馬鹿だって言った」


「……」


「聞こえなかった?」


 政宗は。


 そのまま信長の前まで歩いた。


「どけ」


 近くの家臣が止めようとする。


「政宗殿」


「いい」


 秀吉が静かに止めた。


「行かせろ」


 政宗は。


 信長の正面に立った。


「もう一回聞く」


「何じゃ」


「その男」


「殺す必要ある?」


「ある」


「何で」


「余がそう決めたからじゃ」


「それ理由になってねぇ」


「余は天下人じゃ」


「だから?」


「余の決定が、この国の決定じゃ」


 政宗の顔が。


 ゆっくり変わった。


「……お前」


「何じゃ」


「そんなこと言う奴だった?」


「昔の話はするな」


「する」


 即答だった。


「何度でもする」


「政宗」


「お前が忘れてるから」


「黙れ」


「忘れてんだろ」


「黙れ!」


 信長が立ち上がった。


 政宗は動かない。


「天下取ったら何したかった」


「……」


「国どうしたかった」


「……」


「道作って」


「……」


「商い増やして」


「……」


「腹減ってる奴減らして」


「……」


「お前」


 政宗は信長の目を見る。


「そういうことしてたじゃん」


 信長の目が。


 僅かに揺れる。


「なのに今」


「……」


「人がぶつかっただけで殺す?」


「萌呼への侮辱じゃ」


「それが何だよ」


 萌呼の表情が変わる。


「政宗様」


「今お前に聞いてねぇ」


「……」


 政宗は信長だけを見る。


「吉法師」


「その名で呼ぶな」


「梵天丸だよ」


「……」


「俺」


 信長の目が揺れる。


「お前が天下取った時」


「……」


「負けたって言ったよな」


「あぁ」


「でも」


 一歩。


 近づく。


「こんな奴に負けた覚えねぇぞ」


「……」


 信長の唇が僅かに動いた。


「俺が負けたのは」


 政宗は続ける。


「必要なもん見て」


「決めた責任、自分で背負って」


「誰に何言われても」


「自分で考えてた信長だ」


「……」


「お前じゃねぇ」


 信長の顔が。


 歪んだ。


「黙れ」


「戻れよ」


「黙れ」


「目ぇ覚ませ」


「黙れ!」


 信長が政宗の胸倉を掴んだ。


 家臣たちがざわめく。


 政宗は。


 抵抗しなかった。


「殴れよ」


「……」


「昔みたいに」


「……」


「腹立ってんだろ」


「……」


「殴れ」


 信長の拳が。


 僅かに震える。


 政宗は。


 その拳を見る。


 まだ。


 いる。


 どこかに。


「信長」


 静かに呼ぶ。


「帰ってこい」


 信長の目に。


 一瞬だけ。


 昔の光が戻った。


「……梵」


 声が。


 漏れた。


 政宗の目が見開かれる。


「信長」


「……」


「今」


「……」


「俺の名前」


 萌呼が。


 立ち上がった。


「信長様」


 黒い炎が。


 大きく揺れる。


「……っ」


 信長の顔が苦痛に歪む。


 政宗が胸倉を掴んでいた手を握る。


「信長!」


「離せ!」


「嫌だ!」


「離せ!」


「戻れ!」


 信長が政宗を突き飛ばした。


「政宗殿!」


 秀吉が支える。


 信長は。


 頭を押さえながら。


 荒く息をしていた。


「……余は」


「信長」


「余は」


 萌呼が。


 その腕へ触れる。


「大丈夫です」


「……」


「信長様は、間違っておりません」


 政宗の顔が強張る。


「萌呼」


「皆様が」


 萌呼は信長だけを見る。


「信長様を否定しているだけです」


「……」


「信長様は天下人です」


「……」


「誰より強くて」


「……」


「誰より正しい」


 黒い炎が。


 ゆっくり。


 信長へ絡みつく。


「だから」


 萌呼は。


 微笑んだ。


「逆らう人の言葉など、聞かなくていいのです」


「……そうじゃ」


 政宗の目が。


 ゆっくり見開かれる。


「信長?」


 信長が顔を上げた。


 さっきまであった迷いが。


 消えていた。


「余は天下人じゃ」


「……」


「余に逆らう者は」


 信長は。


 冷たい目で政宗を見る。


「敵じゃ」


 評定の間が。


 静まり返った。


「……俺も?」


「あぁ」


 政宗が笑った。


 乾いた。


 信じられないものを見るような笑いだった。


「マジか」


「余に従わぬならな」


「……」


「政宗」


 信長の声が低くなる。


「最後に聞く」


「何」


「余に従うか」


 政宗は。


 一秒も迷わなかった。


「従わねぇ」


 信長の目が細くなる。


「なら」


 政宗は。


 信長だけを見る。


「何」


 信長は。


 ゆっくり。


 言った。


「殺せ」


 誰も動かなかった。


「……」


 秀吉の顔から。


 血の気が引いた。


「殿」


「聞こえなかったか」


「……」


「伊達政宗を」


 信長が言う。


「殺せ」


 政宗は。


 何も言えなかった。


 怒りも。


 恐怖も。


 最初には来なかった。


 ただ。


 頭の中に。


 昔の信長が浮かんだ。


 どっちが先に天下を取るか。


 笑って。


 競って。


 負けたら認めろと。


 子どものように。


 言い合った。


 天下を取った日。


『わしの勝ちじゃったな』


 そう笑った。


『あぁ。俺の負け』


『なら、わしに仕えよ』


『嫌だね』


『何故じゃ!』


『俺は俺の国作るから』


『勝手にせい!』


 あの時。


 信長は笑っていた。


 従わない政宗を。


 殺そうとはしなかった。


 むしろ。


 それが政宗だと。


 分かっていた。


「……お前」


 政宗が。


 低く言う。


「何言ってんだ」


 信長は答えない。


「俺だぞ」


「……」


「梵天丸だぞ」


「……」


「お前と」


 政宗の声が。


 僅かに震える。


「ずっと競ってきた」


「……」


「俺だぞ」


 信長の顔は。


 動かなかった。


「目ぇ覚ませよ」


「……」


「こんなの」


 一度。


 息を吸う。


「お前じゃねぇだろ」


 信長は。


 冷たい目のまま。


 言った。


「殺せ」


 それだけだった。


 政宗の中で。


 何かが。


 音もなく。


 崩れた。



     *



 その場で政宗が殺されることはなかった。


 秀吉が止めた。


 家臣たちも動かなかった。


 さすがに。


 天下人の命令とはいえ。


 伊達政宗を。


 理由もなく斬ることはできなかった。


 信長は怒った。


 逆らった者を全員処罰すると言った。


 それでも。


 誰も刀を抜かなかった。


 政宗は。


 何も聞いていなかった。



     *



 夜。


 政宗は。


 城の高い場所に一人で座っていた。


 逃げようと思えば。


 できたかもしれない。


 兵を倒して。


 壁を越えて。


 馬を奪えば。


 でも。


 しなかった。


 まだ。


 信長がいる。


 ここに。


 置いていけない。


「……馬鹿」


 小さく呟く。


 誰に言ったのか。


 自分でも分からなかった。


「殺せって」


 笑おうとした。


 笑えなかった。


「お前」


 空を見る。


「俺殺したら」


 一度。


 声が止まる。


「誰と勝負すんだよ」


 返事はない。


 当然だった。


 政宗は。


 膝へ腕を置き。


 額を預けた。


 何度も。


 言った。


 昔の話もした。


 怒った。


 ぶつかった。


 市のことも。


 国のことも。


 天下を取った時のことも。


 全部。


 それでも。


 届かなかった。


 自分では。


 届かなかった。


「……」


 頭の中に。


 黒い姿が浮かんだ。


 煙草。


 刀。


 気だるそうな目。


 誰にも従わず。


 でも。


 誰も見捨てなかった男。


 信長が。


 あの男の前では。


 時々。


 妙に素直だったことを思い出す。


 自分も。


 何度も。


 あいつの言葉を思い出した。


 いつからか。


 何かを決める時。


 何かを失いそうな時。


 勝手に。


 頭に出てくるようになっていた。


 政宗は。


 長い間。


 何も言わなかった。


 やがて。


 夜の安土城で。


 たった一言だけ。


 名前を呼んだ。


「清司……」

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