第52話 俺が決める
市が寺へ残ってから。
萌呼は、以前よりも政宗を見るようになった。
廊下ですれ違えば。
庭にいれば。
評定へ顔を出せば。
必ず。
視線が追ってくる。
政宗も気づいていた。
だからといって。
気にするつもりはなかった。
「また来たのか」
安土城の廊下で。
信長が、露骨に嫌そうな顔をした。
「来た」
「帰れ」
「嫌だ」
「おぬしの国はどうした」
「ちゃんと治めてる」
「ならそちらへおれ」
「お前がまともに戻ったらな」
信長の眉間に皺が寄る。
「余はまともじゃ」
「それ自分で言う奴、大体まともじゃねぇよ」
「政宗」
「何」
「本当に斬るぞ」
「前のお前なら、とっくに斬りかかってきてる」
「……」
「口だけになったな」
「喧嘩を売りに来たのか!」
「半分」
「半分は何じゃ!」
「お前見に来た」
信長が黙った。
政宗は、その顔をじっと見る。
怒っている。
面倒そうにしている。
でも。
まだ。
ここには信長がいる。
「……何じゃ」
「別に」
「気色悪い」
「うるせぇ」
ほんの一瞬。
昔と変わらない会話だった。
だから。
政宗は余計に腹が立った。
戻れる。
まだ。
こんなふうに話せる。
なのに。
「政宗様」
後ろから声がした。
萌呼だった。
信長の目が。
一瞬でそちらへ向く。
「萌呼」
「信長様」
政宗の顔から。
少しだけ表情が消えた。
やっぱり。
ここで変わる。
*
「政宗様」
萌呼は、政宗の前へ立った。
「少しお話しできませんか」
「嫌」
「即答ですか」
「用件言えば」
「二人でお話ししたいのです」
「もっと嫌」
萌呼の笑みが固まる。
信長が不機嫌そうに政宗を見る。
「話くらい聞いてやれ」
「何で」
「萌呼が望んでおる」
「だから?」
「政宗」
「俺が嫌なんだけど」
信長が黙る。
萌呼は。
その言葉に。
胸の奥が痛くなるのを感じた。
嫌。
そんなふうに。
はっきり拒絶されたことが。
悲しい。
腹が立つ。
それでも。
欲しい。
「では」
萌呼が言った。
「ここで構いません」
「何」
「私のこと」
一度。
息を吸う。
「嫌いですか」
政宗が。
少しだけ目を瞬かせた。
「好きではねぇ」
「……」
「嫌いかどうかは」
一瞬考える。
「今はかなり嫌い寄り」
「政宗!」
信長が声を荒げる。
「何だよ。聞かれたから答えただけだろ」
「言い方があるじゃろ!」
「嘘つけって?」
「少しは気を遣え!」
「何で俺が」
萌呼は。
信長が自分のために怒っているのに。
嬉しくなかった。
見ているのは。
政宗だった。
「……どうしたら」
小さな声が出る。
「ん?」
「どうしたら、好きになってくださいますか」
政宗が。
今度こそ。
少し驚いた顔をした。
「何で俺に好かれたいの」
「……」
「信長いるじゃん」
萌呼の顔が揺れる。
信長も。
僅かに表情を変えた。
「信長様は」
一度。
言葉を止める。
「大切です」
「じゃあいいだろ」
「よくありません」
「何で」
「政宗様にも、私を見てほしいからです」
政宗の眉が寄る。
「見てるよ」
萌呼の顔が少し明るくなる。
だが。
「危ない奴として」
すぐに消えた。
「……」
「市おかしくした」
「してません」
「信長も変えた」
「違います」
「俺にも何かしようとした」
「……」
「だから見てる」
政宗は。
まっすぐ萌呼を見る。
「止めるために」
萌呼の唇が震えた。
「違う……」
「何が」
「そういう目じゃなくて」
「じゃあどんな目」
「信長様を見る時みたいに」
その言葉で。
政宗の顔が変わった。
「……は?」
「信長様が少し変わっただけで」
萌呼の声が。
少しずつ強くなる。
「すぐ気づいて」
「何度追い出されても戻ってきて」
「怒って」
「心配して」
「昔の話までして」
政宗は。
何も言わなかった。
「どうして」
萌呼の目に。
涙が浮かぶ。
「私には、そうしてくださらないのですか」
「……」
「私だって」
一歩。
政宗へ近づく。
「あなたに、大切にされたい」
政宗は。
しばらく萌呼を見た。
そして。
静かに言った。
「無理」
萌呼の顔から。
色が消えた。
「何で」
「何でって」
政宗は。
少し困ったように眉を寄せる。
「俺が決めることだから」
「……」
「誰大事にするか」
「誰好きになるか」
「誰のために動くか」
一つずつ。
はっきり言う。
「全部、俺が決める」
萌呼の指先に。
黒い炎が灯った。
信長が。
それを見ても。
何も言わない。
「それが」
萌呼が聞く。
「清司様に教わったことですか」
政宗の目が。
僅かに動いた。
「……何で今あいつ出てくんの」
「政宗様の中に」
萌呼は。
政宗の顔を見る。
「ずっといるから」
「……」
「信長様の中にも」
信長の眉が寄る。
「萌呼」
「だって」
萌呼は信長を見る。
「時々、同じ目をするでしょう」
「何の話じゃ」
「清司様のことを思い出した時だけ」
信長が黙った。
政宗も。
何も言わなかった。
萌呼の胸が。
また痛くなる。
自分が。
これだけ二人の近くにいるのに。
いない人間が。
ずっといる。
「……嫌」
萌呼が呟いた。
「何が」
政宗が聞く。
「嫌です」
「だから何が」
「私の知らないところに」
萌呼は。
二人を交互に見る。
「清司様がいるのが」
政宗の目が細くなる。
「……お前」
「私だけを見てほしい」
「信長様にも」
一度。
政宗を見る。
「政宗様にも」
「無理だって言ってんだろ」
「嫌です」
「知らねぇよ」
「嫌!」
黒い炎が。
一気に大きくなった。
「萌呼!」
信長が声を上げる。
政宗の身体へ。
黒い炎が向かう。
けれど。
触れた瞬間。
また。
消えた。
「……」
萌呼が固まる。
政宗は。
自分の胸元を見る。
何も起きない。
「やっぱ効かねぇ」
萌呼の呼吸が。
早くなる。
「何で……」
「知らねぇ」
「何で!」
「俺に聞くなよ」
「市様にも」
萌呼の目から涙が落ちる。
「信長様にも効くのに」
「何で政宗様だけ」
「何で」
政宗は。
しばらく萌呼を見ていた。
「……だからじゃねぇの」
「え?」
「俺が」
一度。
言葉を止める。
「自分で決めるって決めてるから」
「……」
「それだけ」
萌呼には。
その言葉が。
一番残酷だった。
*
その日の夕方。
信長の部屋で。
萌呼は泣いていた。
「……私」
信長は。
黙って話を聞いている。
「政宗様に嫌われています」
「気にするな」
「でも」
「昔から、あやつはああいう男じゃ」
「信長様には違う」
「……」
「信長様には」
萌呼は顔を上げる。
「あんなに必死になる」
「……」
「私にはならない」
信長の表情が。
少しだけ曇る。
「私」
萌呼は。
信長の袖を掴んだ。
「政宗様にも、ここにいてほしいです」
「……」
「私たちの側に」
「政宗は従わぬ」
「なら」
萌呼が。
小さく言う。
「従うまで、帰さなければいいのではありませんか」
信長の目が。
ゆっくり萌呼へ向く。
「何?」
「城から出られなくしたら」
「……」
「ずっと」
萌呼は。
涙を拭う。
「ここにいてくださいます」
信長は。
何も言わなかった。
けれど。
萌呼の指先で。
黒い炎が揺れた。
*
翌朝。
政宗が城を出ようとすると。
門の前に。
兵が並んでいた。
「何」
誰も答えない。
「退け」
「申し訳ございません」
兵の一人が頭を下げる。
「殿からの命でございます」
「信長?」
「はい」
「何て」
兵は。
一瞬。
言いづらそうにした。
「伊達政宗様を」
一度。
息を飲む。
「城外へ出すな、と」
政宗は。
しばらく。
何も言わなかった。
「……は?」
後ろから。
足音がした。
振り返る。
信長が立っていた。
その隣に。
萌呼もいる。
「何してんの」
政宗が聞く。
「見れば分かるじゃろ」
「分かんねぇから聞いてる」
「おぬしには」
信長が言う。
「しばらく安土にいてもらう」
「何で」
「余の判断じゃ」
「理由」
「必要だからじゃ」
「何に」
「……」
「言えねぇの?」
信長の眉が寄る。
「政宗」
「何」
「余の命令に従え」
政宗の顔から。
笑みが消えた。
「またそれか」
「……」
「俺、お前の家臣じゃねぇって」
「知っておる」
「じゃあ何で命令してんの」
「天下人の命じゃ」
政宗は。
信長を見た。
「……吉法師」
信長の目が。
僅かに揺れる。
「その名前で呼ぶな」
「何で」
「今は信長じゃ」
「知ってるよ」
政宗は。
一歩。
近づいた。
「だから聞いてんだよ」
「天下取ったら」
「俺を閉じ込めるような奴になるって」
「昔のお前、言ってた?」
「……」
「梵天丸に勝ったら」
「次は従わせるって」
「そんな勝負だったか?」
信長の目が。
揺れた。
「……」
「違うだろ」
政宗は。
静かに言う。
「どっちが先に天下取るか」
「それだけだった」
「お前が勝った」
「あぁ」
「俺は負けたって認めた」
「……」
「でも」
政宗の声が低くなる。
「俺までお前のもんになった覚えねぇぞ」
信長は。
何も言えなかった。
その瞬間。
また。
頭の中に。
黒い服の男が浮かぶ。
『人を自分のもんみたいに扱うな』
そんな声が。
聞こえた気がした。
「……清司」
信長の口から。
小さく。
名前が漏れた。
政宗の目が見開かれる。
萌呼の顔が変わった。
「信長様?」
黒い炎が。
揺れる。
信長が。
こめかみを押さえた。
「……っ」
「信長!」
政宗が近づこうとする。
「来るな!」
信長が叫んだ。
政宗が止まる。
「……」
信長は。
苦しそうに息をする。
そして。
もう一度顔を上げた時。
目は。
さっきより冷たかった。
「政宗」
「何」
「部屋へ戻れ」
「嫌だ」
「これは命令じゃ」
「従わねぇ」
「……」
「何回言わせんだよ」
政宗は。
信長を見たまま。
言う。
「俺は」
一度。
萌呼を見る。
「こいつのもんでも」
もう一度。
信長を見る。
「お前のもんでもねぇ」
萌呼の手が。
強く握られた。
政宗は。
門の前に並ぶ兵を見る。
「どけ」
兵たちは動けない。
信長の命令。
逆らえない。
政宗は。
小さく息を吐いた。
「……分かった」
信長の表情が。
僅かに緩む。
「今日は戻る」
「……」
「でも」
政宗は。
信長の横を通り過ぎる前に。
足を止めた。
「覚えとけ」
「何をじゃ」
「次」
政宗の片目が。
鋭くなる。
「俺に命令するなら」
一度。
声を落とす。
「ちゃんと信長の頭で考えてから言え」
信長の顔が強張る。
政宗は。
それ以上何も言わず。
城の中へ戻った。
*
その背中を。
萌呼は見ていた。
閉じ込められた。
これで。
政宗様は。
ここにいる。
いつでも会える。
どこにも行かない。
なのに。
嬉しくなかった。
政宗様は。
こちらを一度も振り返らなかった。
信長様の言葉にも。
自分の力にも。
従わない。
それが。
悔しくて。
苦しくて。
どうしようもなく。
惹かれた。
「……政宗様」
萌呼は。
小さく呟いた。
「絶対」
指先に。
黒い炎が灯る。
「私を見てもらいますから」




