第5話 強さの意味
天下取りの勝負をしたあとも。
梵天丸の毎日は、何も変わらなかった。
朝は早い。
学問。
兵法。
武芸。
礼法。
領地のこと。
人のこと。
覚えることは、いくらでもあった。
吉法師と天下を取り合う約束をしたからといって、急に強くなるわけではない。
むしろ。
梵天丸は前より、少しだけ真面目になった。
「若君」
「なんだ」
「本日は兵法の講義です」
「分かってる」
「昨日も夜遅くまで書物を読んでおられたとか」
「読んでた」
「お休みも必要でございます」
「寝た」
「何時間ほど」
「知らねぇ」
「……若君」
「寝たって言ってんだろ」
傅役は、深く息を吐いた。
梵天丸は気にせず机へ向かう。
広げられた地図。
駒。
川。
山。
城。
道。
兵の数。
食糧。
全てが繋がっている。
「ここ」
梵天丸が地図を指差す。
「この道、狭いだろ」
「はい」
「兵を通しすぎたら詰まる」
「その通りです」
「じゃあ、分ける」
「どのように」
「前と後ろ」
「もう少し詳しく」
「考える」
「それでよろしいのです」
梵天丸は口を尖らせた。
「答え教えてくれねぇのかよ」
「若君が考えるための時間です」
「めんどくせぇ」
「ですが、楽しいのでしょう?」
「……まあな」
傅役は少しだけ笑った。
梵天丸は。
できないことを嫌った。
けれど。
分からないことは、嫌いではなかった。
分からなければ、調べればいい。
知らなければ、覚えればいい。
失敗したなら、次に変えればいい。
片目が見えにくくなった時も。
最初は、腹が立った。
距離感が変わる。
足元がずれる。
木刀が少し外れる。
字を読む時も、前より疲れる。
「くそ」
庭で木刀を振りながら、梵天丸は舌打ちした。
「若君」
「もう一回」
「少しお休みを」
「もう一回」
「ですが」
「見えない方を見ようとしてるからズレるんだろ」
「……はい」
「じゃあ、見える方で合わせる」
梵天丸は立ち位置を少し変えた。
構える。
振る。
さっきより近い。
「もう一回」
また振る。
少しだけ良くなる。
「もう一回」
何度も。
何度も。
身体に覚えさせる。
それを。
少し離れた場所から、父・輝宗が見ていた。
「政宗」
「まだ政宗じゃねぇよ」
「いずれなる」
「お前もそれ言うのかよ」
「誰かにも言われたのか?」
「……別に」
梵天丸は木刀を肩へ担ぐ。
輝宗は笑った。
「随分、口が悪くなったな」
「前からだろ」
「前より悪い」
「気のせいだ」
「誰の影響だ」
「知らねぇ」
梵天丸は目を逸らした。
吉法師の顔が一瞬だけ浮かんだ。
あいつのせいにするのも腹が立つ。
だから言わなかった。
「目はどうだ」
輝宗が聞いた。
「見える方は見える」
「無理をしていないか」
「してない」
「嘘だな」
「してねぇよ」
「お前は、できないと言うのが嫌いだからな」
「できるからやってんだよ」
輝宗は少し黙った。
「梵天丸」
「なんだよ」
「できることと、無理をすることは違う」
「…………」
「お前が倒れたら」
「伊達は止まる」
梵天丸は、木刀を握る手を止めた。
「まだ子供だぞ」
「だから、今から覚えるんだ」
「何を」
「自分一人の身体ではないということを」
輝宗は、ゆっくり梵天丸の前へ立った。
「お前は伊達の跡取りだ」
「知ってる」
「なら」
「自分が強ければいい、では足りん」
「…………」
「人を見ろ」
「兵だけではない」
「農民も」
「商人も」
「職人も」
「家臣も」
「全員だ」
「その全員が生きて」
「ようやく国になる」
梵天丸は黙って聞いていた。
こういう時。
父の言葉は、妙に残る。
「天下取るなら」
梵天丸が言った。
輝宗の眉が動く。
「天下?」
「……なんでもない」
「聞こえたぞ」
「聞くな」
「天下を取るのか」
「取る」
「即答だな」
「約束したから」
「誰と」
「言わねぇ」
「怪しいな」
「うるせぇ」
輝宗は笑った。
「なら、なおさら」
「自分だけ強くなるな」
「国ごと強くしろ」
「…………」
「それができる男になれ」
梵天丸は。
しばらく何も言わなかった。
「親父」
「なんだ」
「天下って」
「取ったら終わりか?」
輝宗は、少しだけ目を細めた。
「いい質問だ」
「答えは」
「自分で考えろ」
「またそれかよ!」
「考えるのが好きなのだろう?」
「めんどくせぇ!」
「だが楽しい」
「……まあな」
輝宗は笑った。
梵天丸も。
少しだけ笑った。
その日から。
梵天丸は。
戦い方だけではなく。
治め方も。
人の使い方も。
もっと意識して学ぶようになった。
何を作れば。
人が楽になるのか。
どこに道を通せば。
物が動くのか。
誰に任せれば。
仕事が早いのか。
誰が無理をしているのか。
誰が、まだ力を出せていないのか。
天下を取りたい。
その気持ちは変わらない。
でも。
取ったあと。
何をするのか。
それを考え始めたのは。
たぶん。
この頃からだった。




