第4話 悪役令嬢が抜けない
リリアーナ姫が変わってから。
王宮では、驚くほど多くのことが動き始めていた。
大階段は、誰もが使える道になった。
これまで背景のように扱われていた者たちは、モビーズとして仕事を任されるようになった。
そして。
新しく始まったのが、葉巻と煙草の産業だった。
葉巻。
煙草。
メンソール。
貴族用。
庶民用。
香りも、強さも、箱の見た目も違う。
姫様が前世の知識を出し。
職人が形にし。
モビーズが動き。
商人が流通を整える。
最初は、何を作っているのかすら分からなかった。
それが。
気づけば正式な商品となり。
国王陛下と王妃陛下の承認まで取り。
あっという間に、他国へ向けたレセプションパーティーを開くことになっていた。
姫様が変わってからというもの。
物事が進む速度がおかしい。
その産業に関わっていた中に。
スギナ・カワイという少女がいた。
白いシスター服。
柔らかな髪。
大きな瞳。
笑えば、その場にいる人まで明るくなるような方だった。
とにかく。
可愛い。
それは、誰が見ても分かる。
ただし。
少々、独特だった。
「女性たちが、愛と光と可愛さを手に取れるように……」
「煙草ですわよ」
「煙草を、愛と光と可愛さで包むんです!」
「包みすぎではなくて?」
それが。
スギナさんと初めてきちんと話した時の、私の印象だった。
けれど。
仕事をしている彼女を見ているうちに、その印象は少しずつ変わった。
女性向けのメンソール。
ベリー。
シトラス。
アップルミント。
トロピカルマンゴー。
香りだけではない。
箱も、可愛ければいいわけではないらしい。
「大人の女性が持っても、恥ずかしくない可愛さがいいんです!」
そう言いながら、スギナさんは何度も箱を並べ直していた。
可愛い。
けれど、安っぽくしない。
手に取りやすく。
けれど、品は残す。
その隣ではアネイモさんが実務を整え。
眼鏡の聖女が反応を記録し。
モビーズが箱や紙を用意する。
スギナさんは、その中心で楽しそうに笑っていた。
ただ。
可愛いだけの方ではありませんのね。
そして。
商品が完成して、数日。
私は姫様に呼ばれた。
「レイナ」
「はい」
「レセプション、会場全体見てくれ」
「……わたくしが?」
「お前が一番全体見れるやろ」
「…………」
「嫌か?」
「いいえ」
私は扇を開いた。
「当然ですわ。お任せくださいませ」
「頼むわ」
姫様は、それだけ言った。
まるで。
当然のように。
また、任せてくださった。
姫様は、いつもこうだ。
公爵令嬢だからではない。
悪役令嬢だからでもない。
私ができると思ったことを。
普通に任せてくださる。
それが。
嬉しい。
「レイナ?」
「何でもございませんわ」
「ほな頼むで」
「はい」
その日のレセプションパーティーは。
始まる前から忙しかった。
王都の貴族。
商人。
他国の大使。
外交官。
商品を見る前から値段の話をする者。
買う気がないような顔をしているくせに、箱だけはしっかり見ている者。
とにかく。
人が多い。
「エミール様」
「はーい!」
「入口から中央までの流れが狭くなっていますわ。試喫を終えた方は、奥へ流してくださいませ」
「分かった!」
「レオン様」
「僕?」
「補充が必要になりましたら、前回と同じように光で合図を」
「任せて!」
「エリオット様」
「僕、人集める!」
「集めすぎないでくださいませ」
「えー!」
「詰まりますわ」
「じゃあ、ちょうどよく集める!」
「お願いいたします」
「ノエル様」
「僕見て!」
「まだ何も申しておりませんわ」
「言われる前に見てほしかった!」
「救護をお願いいたします」
「はーい!」
「セシル様」
「笑顔なんて僕のオハコじゃーん!!」
「声量を落としてくださいませ」
「僕の笑顔は静かでも届くよぉー!」
「それでお願いいたします」
「アレクシス様」
「何かな」
「他国の方への説明を」
「美しく?」
「分かりやすく」
「美しく分かりやすくするね」
「美しくはお任せいたします」
「ルシアン様」
「冷やす?」
「飲み物だけにしてくださいませ」
「会場も?」
「換気と温度管理はお願いいたします」
「任せて!」
返事だけは。
本当に素直だ。
以前なら。
全員が一人の少女の周りに集まり。
誰が隣に立つのか。
誰が花を渡すのか。
誰が一番見てもらえるのか。
そんなことばかりだった。
今は。
全員が自分の持ち場へ向かって走っている。
楽しそうに。
よかった。
私は扇を開きながら、会場全体を見た。
セシル様は、初めて煙草を試す方へ一人ずつ説明している。
アレクシス様は、他国の貴族へ箱を見せている。
エミール様は、人が止まりそうになる場所へ先回りしている。
レオン様の光が、煙の向こうで小さく瞬く。
ルシアン様は、飲み物を冷やしながら会場の空気を流している。
ノエル様は、煙に慣れない方の前へすぐにしゃがんでいた。
皆様。
本当に楽しそうですわね。
「レイナ様」
「はい?」
モビーズの一人が駆け寄ってくる。
「貴族用の箱が足りなくなりそうです」
「あとどれほどございますの?」
「五十ほどです」
「倉庫には?」
「追加で百」
「では、半分だけ出してくださいませ」
「半分?」
「全て出してしまえば、次に不足した時に対応できませんわ」
「分かりました!」
青年はすぐに走っていった。
「それと!」
私は背中へ声をかける。
「慌てて転ばないように!」
「はい!」
返事が遠ざかっていく。
まったく。
走ればいいというものではありませんのに。
転んで箱を壊したら。
本人も痛いでしょうに。
「レイナ」
姫様の声がした。
「はい」
振り返る。
車椅子に座る姫様の隣には。
黒スーツ姿の清司という人が立っていた。
刀を肩に担ぎ。
華やかな会場よりも。
働いている人たちを見ている。
「追加注文、かなり入っとるみたいやな」
「はい。予想以上ですわ」
「工場の方、追いつくか?」
「確認いたします」
「無理させんなよ」
「…………」
「売れたからって徹夜させたら、次が続かん。追いつかん分は待たせたらええ」
「……はい」
「作っとる奴ら潰したら終わりやからな」
「承知いたしましたわ」
やはり。
また。
自分より先に。
働いている人のことを考えている。
売れた。
儲かる。
他国から注文が入った。
普通なら。
もっと作れと言いたくなるのではないだろうか。
けれど。
姫様は違う。
作っている人が倒れないことを。
先に見る。
そういうところが。
好きなのです。
「レイナ?」
「……何でもございませんわ」
「最近それ多ない?」
「気のせいですわ」
「そうか?」
「そうです」
姫様は、まだ少し不思議そうにしていた。
その時。
「黒き運命の守護者様!」
声が響いた。
「声量」
反射的に言った。
「あっ!」
スギナさんが、慌てて口元を押さえる。
「すみません!」
けれど。
周囲にいた数人が、彼女を見て笑った。
「スギナ様、今日もお元気ですね」
「はい! 皆さんも元気ですか?」
「元気です!」
「よかったです!」
それだけで。
少し疲れていた使用人たちの顔が明るくなる。
本当に。
不思議な方だ。
「スギナさん」
「はい!」
「女性のお客様が増えておりますわ。メンソールの説明をお願いいたします」
「分かりました!」
「ベリーだけではなく、他の香りもきちんとご案内してくださいませ」
「全部おすすめします!」
「全部売りつけないでくださいませ」
「好きなものを選んでもらいます!」
「それで結構ですわ」
「行ってきます!」
スギナさんは、楽しそうに走っていった。
「転ばないように」
「はーい!」
まただ。
皆さん。
すぐ走る。
レセプションは。
思っていた以上に順調だった。
スギナさんの前には、女性たちが集まっていた。
「私は甘い香りが苦手なのだけれど」
「じゃあシトラスがいいです!」
「こちらは?」
「アップルミントです。爽やかですよ!」
「箱が可愛いわね」
「ありがとうございます!」
「あなたが考えたの?」
「みんなで作りました!」
みんなで。
その言い方が。
少し好きだった。
自分が考えたものもあるはずなのに。
スギナさんは、全部を自分の手柄にしない。
この人も。
ちゃんと見ているのだ。
周りの人を。
「レイナ様」
「今度は何ですの?」
「工場から連絡です。追加生産は可能ですが、今日の分はもう作業を終えるそうです」
「それで結構ですわ」
「でも注文が」
「明日にしてくださいませ」
「よろしいのですか?」
「姫様からの指示です」
私は少し考え。
付け加えた。
「いいえ」
「わたくしからも、そうしてくださいませ」
「はい!」
働いている方々にも。
食事があり。
休む時間があり。
明日がある。
今日売れたからといって。
今日全てを作る必要などない。
以前の私なら。
こんなことを言っても。
また冷たいと言われたのだろうか。
無理をさせない方がいい。
仕事を終わらせてから遊んだ方がいい。
周りに迷惑をかけない方がいい。
ただ。
それだけなのに。
「レイナさん!」
「はい?」
スギナさんが、また駆け寄ってくる。
「女性のお客様、ベリーとシトラスが人気です!」
「アップルミントは?」
「若い方に人気です!」
「トロピカルマンゴーは?」
「ちょっと分かれます!」
「そうですのね」
「でも、好きな方はすごく好きって!」
「でしたら残した方がよろしいですわね」
「はい!」
「全員に好かれる必要はありませんもの」
「……あ」
スギナさんが、私を見る。
「なんですの?」
「いい言葉です!」
「商品のお話ですわ」
「でも、人もそうですよね!」
「…………」
「全員に好かれなくても、好きな人がいてくれたらいいです!」
「……そうですわね」
この方は。
時々。
とても真っ直ぐなことを言う。
少し。
眩しい。
気づけば。
レセプションは終わりに近づいていた。
注文用紙は山になり。
試喫用の商品もほとんどなくなり。
会場を走っていた者たちも、ようやく速度を落としている。
「皆様」
私は扇を閉じた。
「交代で休憩を取ってくださいませ」
「まだ片付けあるよー!」
エリオット様が言う。
「全員で片付ければ早いですわ」
「じゃあ僕、先にあっちやる!」
「走らないでくださいませ」
「はーい!」
「セシル様」
「なぁに?」
「朝からほとんど休んでいらっしゃらないでしょう」
「楽しかったからねぇー!」
「楽しいことと、疲れないことは別ですわ」
「じゃあ休む!」
「素直で結構です」
「レイナ、優しいねぇー!」
「普通ですわ」
「僕、知ってるよぉー!」
「何をですの」
「優しいの!」
「休憩へ行ってくださいませ」
「はーい!」
まったく。
余計なことを。
でも。
少しだけ。
嬉しかった。
会場が落ち着いた頃。
私は壁際にいたスギナさんを見つけた。
彼女は、空になった箱を確認しながら、使用人と話している。
最後まで。
ちゃんと働いている。
「スギナさん」
「レイナさん!」
ぱっと振り返る。
「なんですか?」
「少し、よろしいかしら」
「はい!」
私は、少し考えてから口を開いた。
「スギナさんは、ただ可愛いだけではありませんわね」
「えっ?」
「皆さんが元気になりますの」
スギナさんが目を丸くした。
「今日もそうでしたわ。疲れていた方も、あなたがお声をかけると笑っていらっしゃいました」
「……ありがとうございます!」
嬉しそうに、両手を胸の前で組む。
「レイナさんも、とっても美しいです!」
「まあ」
「それに、かっこいいです!」
「……かっこいい?」
「はい!」
迷いのない返事だった。
「皆さんにどんどん指示なさってて、困ってる人にもすぐ気づいてました!」
「それは、総括ですので」
「でも、ずっと皆さんを見ていたでしょう?」
「…………」
「疲れてる人には休んでって言って、走ってる人には転ばないようにって言ってました!」
「聞いていらしたの?」
「はい!」
少し恥ずかしい。
もっと。
愛と光。
宇宙。
運命。
そういう話ばかりなさる方かと思っていた。
けれど。
普通に。
人を見ている方なのですわね。
「ありがとうございます」
「えへへ」
スギナさんが笑う。
私も。
少しだけ笑った。
「それに」
私は、片付けられていく煙草の箱を見る。
「女性向けの商品、とても良かったですわ」
「ほんとですか!?」
「ええ。可愛いだけではなく、品があります」
「そこ、すっごく考えたんです!」
「分かりますわ」
「大人の女性にも持ってほしかったんです!」
「正解だと思います」
「やった!」
「ただ」
「はい?」
「ベリー系は、もう少し甘さを抑えたものがあってもよろしいかもしれませんわね」
「なるほど!」
「花の香りも、薄く入れれば良いかもしれません」
「それ、かわいいです!」
「可愛いだけではいけませんわ」
「分かってます!」
「でしたら結構です」
二人で顔を見合わせる。
話しやすい。
思っていたより。
ずっと。
「……あの」
スギナさんが、少しだけ声を小さくした。
「なんですの?」
「レイナさんも」
ちらりと視線を動かす。
その先には。
姫様。
そして。
その隣に立つ。
黒スーツ姿の清司という人。
「見えていますよね?」
「……何がですの」
「黒き運命の守護者様です」
「…………」
やはり。
そちらのお話になりますのね。
「見えていますわ」
「やっぱり!」
「声が大きいですわ」
「すみません!」
スギナさんは、慌てて両手で口を隠した。
そして。
小さな声で。
「……かっこいいですよね」
私は。
清司という人を見る。
刀を肩に担ぎ。
今も。
片付けをしている人たちを見ている。
商品がどれだけ売れたかより。
働いている人が無理をしていないか。
そちらを見ている。
「……ええ」
「ですよね!」
「声」
「あっ」
思わず。
二人で笑った。
「私、初めて見た時」
スギナさんが言う。
「愛と光が全部、胸に入ってきたんです!」
「それは、よく分かりませんけれど」
「レイナさんは?」
「……一目で」
「やっぱり!」
「声が大きいですわ」
「ごめんなさい!」
「でも」
私は扇で口元を隠した。
「目が離せなくなりましたの」
「分かります!」
「凛々しいですわよね」
「ですよね!!」
「スギナさん」
「はい!」
「声ですわ」
「あっ」
また。
二人で笑った。
まさか。
同じ方へ一目で惹かれた女性と。
こんなふうに話せるとは思っていなかった。
「でも」
スギナさんが言う。
「優しいですよね」
「……ええ」
「今日も、工場の人たちに無理させないでって」
「聞いていらしたのですね」
「はい!」
「追加注文より先に、作っている方々を心配していらっしゃいました」
「そういうところ、素敵です!」
「……ええ」
今度は。
自然に答えられた。
「レイナさん」
「なんですの?」
「またお話ししましょう!」
「ええ」
「黒き運命の守護者様のお話も!」
「それだけではありませんわよ」
「煙草のお話も!」
「それなら結構です」
「香りも!」
「ええ」
「箱も!」
「もちろん」
「愛と光も!」
「それは少しだけにしてくださいませ」
「はい!」
「素直ですわね」
「よく言われます!」
スギナさんは、ぱっと笑った。
その笑顔を見て。
私も笑う。
悪役令嬢。
高慢。
冷たい。
怖い。
そう呼ばれることには。
もう、慣れていた。
けれど。
姫様が変わって。
仕事を任され。
皆様と一緒に働き。
誰かの良いところを見つけて。
普通に話して。
笑って。
少しずつ。
私の周りにも。
新しい人が増えていく。
「レイナさん!」
「なんですの?」
「次は花の香り、絶対作りましょうね!」
「ええ。甘すぎないものにしてくださいませ」
「分かりました!」
「それと」
「はい?」
「今日のところは、もう休んでくださいませ」
「レイナさんもですよ!」
「……わたくしは、もう少しだけ」
「駄目です!」
「まあ」
「みんなに休んでって言ってたでしょう?」
「…………」
「レイナさんもです!」
私は、少しだけ目を瞬いた。
そして。
思わず笑ってしまった。
「……分かりましたわ」
「やった!」
「では、一緒に戻りましょう」
「はい!」
そうして。
悪役令嬢と呼ばれた私は。
別の乙女ゲームのヒロインと。
普通に友人になった。




