第49話 自分で決める
数日後。
レイナは、久しぶりに実家へ戻っていた。
懐かしい屋敷。
見慣れた廊下。
幼い頃から何度も歩いた場所なのに。
今日は。
少しだけ。
違って見えた。
「お嬢様」
使用人が扉を開ける。
「旦那様と奥様がお待ちです」
「分かりましたわ」
レイナは一度だけ息を整え、部屋へ入った。
*
父と母は、すでに席についていた。
「お帰りなさい、セレスティア」
「ただいま戻りました」
「日本はどうだった?」
「とても勉強になりましたわ」
「そう」
母が微笑む。
「姫様とご一緒だったのでしょう?」
「はい」
その言葉だけで。
レイナの表情が少し柔らかくなる。
父はそれを見ていたが、何も言わなかった。
「座りなさい」
「はい」
レイナが腰を下ろすと。
父は机の上に、一枚の書類を置いた。
「話というのは、これだ」
レイナは書類を見る。
家名。
爵位。
そして。
そこに書かれていた名前を見た瞬間。
目が止まった。
「……タケリオ公爵?」
「あぁ」
父が頷く。
「先方から正式に話が来ている」
レイナは。
すぐには返事をしなかった。
「何の、お話ですの?」
分かっていた。
それでも。
聞いた。
「婚約だ」
部屋の中が。
急に静かになった気がした。
「……私と?」
「そうだ」
レイナは書類から顔を上げる。
「お断りします」
父と母が。
同時に黙った。
「セレスティア」
「お断りしますわ」
「まだ何も説明していない」
「説明を聞いても、答えは変わりません」
レイナはまっすぐ父を見る。
「私は、タケリオ公爵と婚約するつもりはございません」
「理由は」
「結婚したいと思っていないからです」
「それだけか」
「十分ではありませんか?」
父の眉が僅かに寄る。
「貴族の婚姻は、本人の気持ちだけで決めるものではない」
「存じております」
「なら」
「ですが」
レイナは静かに遮った。
「本人の気持ちを、一切考えずに決めてよいものでもないでしょう」
父が黙る。
母が困ったようにレイナを見る。
「セレスティア。タケリオ公爵は、とても良い方よ」
「存じております」
「家柄も申し分ないわ」
「それも存じております」
「あなたを粗末に扱うような方でもないでしょう」
「えぇ」
「なら、なぜ」
レイナは。
少しだけ目を伏せた。
「良い方だからこそですわ」
「……?」
「好きでもない方と婚約して」
一度。
言葉を選ぶ。
「相手にも失礼ではありませんか」
母が黙った。
「私は、誰かの妻になるためだけに生きているわけではありません」
「セレスティア」
「お父様」
レイナは父を見る。
「私にも、やりたいことがあります」
「何だ」
「姫様のお傍で」
その言葉を口にした時。
胸の奥が。
自然と温かくなった。
「働きたいです」
「……」
「私は今、自分が役に立てる場所を見つけました」
日本から来た人々の住居を考えた。
仕事を振り分けた。
学校や医療のことも見た。
誰かの生活を。
一緒に作った。
「貴族社会のことも」
レイナは続ける。
「外交も、魔法も、私にできることがあります」
「結婚してもできる」
「相手次第では」
「タケリオ公爵なら理解するだろう」
「それを」
レイナの声が少しだけ強くなる。
「私ではなく、お父様が決めるのですか?」
「……」
「私はまだ、何もタケリオ公爵と話しておりません」
父が息を吐いた。
「話せばいい」
「では話します」
「その上で」
「その上で、私は断ります」
父の顔が険しくなる。
「なぜそこまで頑ななんだ」
レイナは。
答えなかった。
言えない。
自分には。
もう。
好きな人がいる。
それも。
女性の姿をしている姫様で。
その魂は男性で。
どちらの姿も。
同じ人として愛している。
そんな話を。
簡単に。
家族へ説明できるはずがない。
「……他に、好きな者でもいるのか」
父の言葉に。
レイナの指先が僅かに動いた。
母も気づく。
「セレスティア?」
「……」
「いるの?」
レイナは。
ゆっくり顔を上げた。
「おりますわ」
父の表情が変わる。
「誰だ」
「申し上げられません」
「なぜ」
「私だけの気持ちだからです」
「……」
「その方が」
自分を。
同じように愛してくれているか。
分からない。
必要だと言われた。
傍にいてくれとも。
言われた。
でも。
それが。
恋愛なのかどうか。
レイナには分からない。
「私をどう思っているのかも、分かりません」
「ならなおさら」
「だからといって」
レイナは即座に返した。
「別の方と婚約してよい理由にはなりません」
父が言葉を失う。
レイナは。
自分でも驚くほど。
落ち着いていた。
日本で見てきた。
これしかない。
そう思って。
誰かを殺そうとした人たちを。
逃げるしかない。
従うしかない。
そう思っていた人たちを。
でも。
姫様は。
別の道を作った。
なら。
自分も。
最初から諦めるわけにはいかない。
「私は」
レイナが言う。
「自分で選びます」
父の目が鋭くなる。
「何を」
「私の人生を」
部屋が。
静まり返った。
*
話し合いは。
平行線のまま終わった。
父は。
すぐに婚約を決めるとは言わなかった。
ただ。
「タケリオ公爵とは一度話せ」
それだけは譲らなかった。
レイナも。
そこには頷いた。
相手本人と。
話す必要はある。
逃げるつもりはない。
部屋を出たあと。
レイナは一人で庭へ向かった。
昔から好きだった場所。
花壇の前に立ち。
ゆっくり息を吐く。
「……姫様」
無意識に。
名前が出た。
会いたい。
そう思った。
話を聞いてほしい。
どうしたらいいのか。
教えてほしい。
でも。
すぐに。
その考えを止めた。
「駄目ですわ」
これは。
自分の問題だ。
姫様には。
姫様の仕事がある。
国がある。
人がいる。
それに。
自分の気持ちを知っているからといって。
姫様に。
この問題を背負わせていいわけではない。
好きだからこそ。
利用したくなかった。
レイナは。
手を胸元へ置く。
「私は、自分で選ぶと言ったのですもの」
日本で。
姫様から教えてもらった。
道がないなら。
探せばいい。
一つしかないように見えても。
別の道は作れる。
「なら」
レイナは顔を上げた。
「まず、話してみましょう」
タケリオ公爵と。
ちゃんと。
自分の言葉で。
断る。
それで終わるなら。
それでいい。
レイナは。
まだ。
そう思っていた。
*
一方。
屋敷の執務室では。
父が。
先ほどの書類を見ていた。
「どうするの?」
母が聞く。
「本人が嫌がっているわ」
「あぁ」
「無理に進めるの?」
父はしばらく黙った。
「……この話は」
書類へ視線を落とす。
「簡単には断れない」
「なぜ?」
「タケリオ公爵個人の希望だけではないからだ」
母の表情が変わった。
「家同士の話?」
「あぁ」
「……」
「こちらにも、事情がある」
窓の外。
庭には。
まだレイナの姿が見える。
父は。
小さく息を吐いた。
「できることなら」
一度。
言葉を止める。
「本人が納得してくれればいいんだが」
その声には。
喜びも。
悪意もなかった。
ただ。
困っていた。
*
その翌日。
レイナのもとへ。
新しい手紙が届いた。
差出人は。
タケリオ公爵。
『一度、お話をさせていただけませんか』
レイナは。
その一文を見つめた。
そして。
ペンを取る。
『もちろんですわ』
逃げない。
誰かに決められる前に。
自分で。
話す。
自分で。
断る。
それが。
今のレイナにできる。
最初の一歩だった。




