第47話 手紙
リュミエールの港が見えた時。
船の上にいた人々から、少しずつ声が上がった。
「……あれが」
「リュミエール……」
日本を離れてから、何度も聞いた国の名前。
食べるものがある。
住む場所がある。
働ける。
子どもは学校へ行ける。
病気なら医者に診てもらえる。
姫様は、そう言った。
けれど。
レイナには分かっていた。
日本から来た人たちは、まだ半分しか信じていない。
当然だった。
今まで。
何度も。
約束を破られてきた人たちなのだから。
*
船が港へ着くと。
そこには、すでに多くの人が待っていた。
「到着しました!」
港の職員が声を上げる。
その横では、何台もの馬車が並んでいた。
「怪我人と病人はこちらです!」
「小さなお子様のいるご家族は、先に馬車へ!」
「荷物はこちらでお預かりします!」
日本から来た人々が、一斉に立ち止まった。
「……」
レイナも。
少し驚いた。
早い。
船の中で姫様が話を聞いてから。
まだ、それほど日が経っていない。
「ミレーヌさん」
「はい」
「いつの間にここまで?」
「船から先に連絡を飛ばしました」
「全部ですの?」
「必要な範囲だけです」
そう答えながら。
ミレーヌさんは、黒い手帳を開いている。
「住居の振り分け。医療班。農業担当。建築担当。食品加工担当。学校側にも人数を伝えてあります」
「……」
「まだ仮ですけれど」
「十分すぎますわ」
「これからです」
ミレーヌさんは、何でもないことのように言った。
その言葉に。
レイナは思わず笑った。
姫様の周りには。
姫様と同じような人が、どんどん増えている。
*
「歩かなくていいんですか?」
年配の男性が、馬車を見ながら聞いた。
「はい」
バルドさんが答える。
「長旅でお疲れでしょう。目的地まではこちらをお使いください」
「ですが……」
「どうぞ」
チリン。
いつもの鈴の音が鳴る。
それだけで。
なぜか。
断れない。
「……ありがとうございます」
男性は、少し戸惑いながら馬車へ乗った。
別の場所では。
小さな子どもが母親の後ろへ隠れていた。
「学校……行くの?」
姫様がしゃがむ。
「嫌?」
子どもが首を横へ振る。
「字、読めへん」
「今から覚えたらええやん」
「遅くない?」
「全然」
姫様は即答した。
「俺なんか、この世界来てから覚えたことばっかりやで」
「……ほんと?」
「ほんま」
子どもが、少しだけ笑った。
「じゃあ行く」
「よし」
姫様が立ち上がる。
「ミレーヌ」
「学校側へ追加してあります」
「早いな!」
「先ほど聞こえましたので」
「地獄耳か」
「仕事です」
また。
周囲から笑い声が起きた。
*
それから。
人々は次々と振り分けられていった。
農業をしていた者は、農地の担当者と話す。
大工仕事ができる者は、建築担当へ。
料理ができる者は、工房へ案内される。
身体を悪くしている者は、そのまま医療施設へ。
子どもたちは。
年齢ごとに。
学校や預かり先の説明を受けていた。
誰も。
放り出されない。
誰も。
「後で」と言われない。
船の中で聞いた話が。
そのまま。
目の前で形になっていく。
レイナは。
少し離れた場所から、それを見ていた。
「レイナ」
パードが隣へ来る。
「どうしたの」
「いえ」
「また見てる」
「見ますわよ」
「黒王子?」
「今回は違います」
「今回は?」
「そこを拾わないでください」
パードが笑う。
レイナも、少しだけ笑った。
「ただ」
もう一度。
港を見る。
「本当に全部、やるのだと思って」
「言ってたじゃん」
「言うことと、やることは別ですわ」
「まあね」
「でも姫様は」
レイナは、静かに言った。
「言ったことを、ちゃんと現実にするのですね」
パードは。
少しだけ考えて。
「黒王子、口だけじゃないからね」
「えぇ」
だから。
皆。
ついていく。
そう思った。
*
「レイナ」
姫様に呼ばれた。
「はい」
「これ見て」
差し出されたのは。
一枚の紙だった。
「何ですの?」
「住居の仮割り振り」
「もうできたのですか?」
「ミレーヌが」
「でしょうね」
「何その反応」
「予想通りですわ」
レイナは紙を見る。
家族構成。
年齢。
身体の状態。
仕事。
学校。
必要な支援。
細かく書かれている。
「この家族」
姫様が指を差す。
「子ども三人おるやろ」
「はい」
「父親、足悪い」
「えぇ」
「やから畑は近いとこにして、家も医療施設から遠くならんようにしたい」
「なるほど」
「母親、漬物作れる」
「船でお話されていた方ですね」
「そう」
姫様は紙を見ながら続ける。
「工房まで通える位置の方がええな」
「では、こちらの区画は?」
レイナが別の場所を指す。
「学校にも近いですし、工房へも行きやすいですわ」
姫様が見る。
「……ええやん」
「でしょう?」
「さすが」
その一言に。
レイナの胸が。
少しだけ温かくなる。
「では、こちらも」
「あぁ」
二人で紙を覗き込む。
こういう時間が。
レイナは好きだった。
必要とされている。
役に立てている。
ただ姫様の隣にいるのではなく。
一緒に。
誰かの生活を作っている。
それが。
とても嬉しかった。
*
夕方。
最後の家族まで送り出した頃。
港は、ようやく少し静かになった。
「終わったー」
姫様が肩を回す。
「お疲れ様です」
「レイナも」
「私はそれほど」
「めっちゃ手伝っとったやん」
「好きでやっておりますので」
「それでもや」
姫様が笑う。
「ありがとうな」
レイナは。
一瞬。
言葉を失った。
「……どうしたん?」
「いえ」
「また?」
「何でもありませんわ」
「今日もそれ多いな」
「気のせいです」
レイナは。
少しだけ顔を逸らした。
こういうところなのだ。
きっと。
特別なことをしたつもりもなく。
相手を縛るつもりもなく。
ただ。
ちゃんと見て。
ちゃんと礼を言う。
だから。
傍にいたくなる。
*
その夜。
レイナの部屋へ。
一通の手紙が届いた。
「……?」
差出人を見た瞬間。
表情が止まる。
父だった。
嫌な予感がした。
封を切る。
中には。
短い文章が書かれていた。
『帰国次第、一度家へ戻りなさい。
今後について話がある』
それだけ。
レイナは。
しばらく手紙を見つめた。
今後。
その二文字が。
妙に重く感じる。
机の上には。
今日、姫様と一緒に確認していた住居の資料が置かれていた。
誰がどこに住むか。
何をしたいか。
どう生きたいか。
本人に聞いて。
本人が選べるようにする。
姫様は。
今日も。
そうしていた。
レイナは。
もう一度。
父からの手紙を見る。
「……話、ですか」
胸の奥に。
小さな違和感が残った。
なぜだろう。
まだ。
何も聞いていないのに。
自分のことだけは。
もう。
誰かに決められているような気がした。




