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婚約破棄された悪役令嬢は、有能すぎました  作者: 夜嶋朔


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第45話 選ばせる

 日本を離れた船の上には、行きよりもずっと多くの人がいた。


 新選組。


 その家族。


 明智光秀と、その兵たち。


 幕末で出会った者たち。


 そして、それぞれが連れてきた家族。


 甲板にも船室にも、人の気配が絶えない。


 けれど不思議と、騒がしくはなかった。


 皆。


 少しだけ、不安そうだった。


 助かった。


 殺されなかった。


 家族とも再会できた。


 それでも。


 これから向かうのは、誰も知らない国なのだ。


 レイナは甲板の端から、その様子を眺めていた。


「次」


 少し離れたところで、姫様の声がする。


 見ると。


 姫様は机の前に座り、その向かいには日本から来た家族が一組ずつ呼ばれていた。


 隣では、ミレーヌさんがいつもの黒い手帳を開いている。


「何できる?」


「……何、と申しますと」


「仕事」


 男が戸惑った顔をする。


「仕事……」


「前に何しとった?」


「百姓でございます」


「何作っとった?」


「米と……少し、大豆を」


 姫様の目が少し明るくなる。


「大豆?」


「はい」


「味噌作れる?」


「妻が」


 横に座っていた女性が、驚いたように顔を上げる。


「少しなら……」


「少しでええ」


 姫様がすぐミレーヌさんを見る。


「大豆育てられる土地ある?」


「あります。気候を確認して、適した地域へ振り分けます」


「味噌作る場所もいるな」


「食品工房の増設候補に入れておきます」


 ミレーヌさんのペンが止まらない。


 夫婦は。


 ぽかんとしていた。


「あの……」


「ん?」


「働いても、よろしいのでしょうか」


 姫様が首を傾げる。


「働きたいんやろ?」


「はい」


「じゃあ働いたらええやん」


「ですが……我々は」


 男は言葉を詰まらせた。


「逃げてきた身です」


「それが?」


「……」


「逃げてきたら、一生何もしたらあかんの?」


「いえ……」


「ほなええやん」


 姫様は、当たり前のように言った。


「できることあるなら、それやったらええ」


 男の目が。


 少しだけ赤くなった。


 レイナは、その顔を見ていた。



     *



 次に呼ばれたのは、年配の男性だった。


「何してた?」


「野菜を」


「何作れる?」


「大根。葱。茄子。あとは季節によって色々と」


「種ある?」


「持ってまいりました」


 姫様が固まる。


「持ってきたん?」


「はい」


「全部?」


「できる限り」


「……最高やん」


 姫様が急に嬉しそうな顔をした。


「ミレーヌ」


「すでに農業担当へ伝える準備をしております」


「早っ」


「肥料と農具も持参されているそうです」


「もっと最高やん!」


 年配の男性が、少し笑った。


 その笑顔につられるように。


 周囲にいた家族たちの表情も、少しずつ緩んでいく。


「姫様」


 今度は別の女性が手を上げた。


「はい」


「私は漬物なら」


「漬物?」


 姫様の目が輝く。


「作れます」


「ミレーヌ!」


「書いてあります」


「何でや!」


「先ほど伺いましたので」


「俺より先に聞くなや!」


「効率です」


 近くで聞いていた者たちから、くすくすと笑い声が漏れた。


 張りつめていた空気が。


 少しずつ変わっていく。


 レイナも笑った。



     *



「無理して働かなくてもいいんですよ」


 ミレーヌさんが、次の家族へ静かに言った。


「小さなお子様がいる方や、お身体の悪い方、高齢の方には別の支援があります」


「支援……?」


「はい」


 相手は意味が分からないようだった。


 姫様が椅子へ背中を預ける。


「食うもんないから働く、は無しな」


「……」


「子どもも働かせへん」


「ですが、子どもも家の手伝いを」


「手伝いはええ」


 姫様は言う。


「でも学校行けるようにする」


「学校……」


「字読めた方がええやろ」


 相手は、言葉を失った。


「年寄りも、身体しんどい奴も、働けんから飯抜きとかないから」


 姫様は一度、周囲を見回す。


 いつの間にか。


 話を聞いていた日本の人々が、こちらへ集まっていた。


「家は用意する」


 静かに。


 姫様が続ける。


「仕事したい奴には仕事作る。子どもは育てる。病気なら医者に診せる」


 誰も口を挟まない。


「前いた場所で、食えんかった奴も」


 姫様の声は。


 いつも通りだった。


 大げさでも。


 優しく言い聞かせるようでもない。


「もう食えん心配せんでええ」


 一人の女性が、口元を押さえた。


「ほんまに?」


「ほんまや」


「……本当に」


「あぁ」


 姫様は、その人の目を見る。


「俺が約束する」


 その言葉に。


 何人かが俯いた。


 泣いている人もいた。


 けれど。


 誰も。


 ただ守ってもらいたいとは言わなかった。


「働きます」


 先ほどの男性が言った。


「できることなら何でも」


「私も」


「私もです」


「畑ならできます」


「大工仕事も」


「字なら教えられます」


 次々と声が上がる。


 姫様は少し驚いたあと。


 笑った。


「頼むわ」


 それだけだった。


 けれど。


 その一言を聞いた人たちの顔は。


 来た時より、ずっと明るかった。



     *



「不思議ですわね」


 夕方。


 レイナは甲板の手すりへ肘をついていた。


「何が?」


 隣でパードが聞く。


 少し離れたところには、キルナ、スギナ、心絆もいる。


 船の向こうには。


 夕陽に照らされた海が広がっていた。


「最初は、皆様とても不安そうでしたのに」


「まあ、知らない国行くんだもんね」


「でも今は」


 レイナが後ろを見る。


 甲板では。


 先ほどまで面談を受けていた人たちが、互いに話をしていた。


 何を育てる。


 何を作れる。


 自分はこんな仕事をしていた。


 あの人となら一緒にできるかもしれない。


 そんな話をしている。


「もう、新しい生活の話をしておりますわ」


「すげぇよな」


 キルナが腕を組む。


「さっきまで刀持ってた連中まで、今は畑の話してるぞ」


「人は、新たなる星の巡りを与えられた時――」


「長いやつ?」


 パードが聞く。


「まだ一行目です」


「ごめん」


 心絆が海へ向かって大きく頷く。


「素晴らしいことです!!!」


「声が大きいですわ!」


「すみません!!!」


「謝罪まで大きいですわ!」


 レイナは笑った。


 そして。


 少し離れた場所にいる姫様を見る。


 まだ面談は終わっていない。


 姫様は次の家族と話しながら、何ができるのかを聞いている。


 その後ろには。


 いつものように。


 黒スーツ姿の清司様が立っていた。


「……私」


 レイナが、小さく言う。


「ん?」


 パードが振り返る。


「以前は、清司様のことを……強い方だと思っておりましたわ」


「強いじゃん」


「はい」


 レイナは頷く。


「でも、それだけではありませんでしたのね」


 日本に来て。


 何度も見た。


 敵を殺さない。


 事情を聞く。


 逃げ道を作る。


 別の国へ連れていく。


 そして今。


 その先の仕事まで聞いている。


「清司様は」


 レイナは、姫様の横顔を見る。


「人に道を与えるのではないのですね」


 パードが少し首を傾げた。


「どういうこと?」


「選べるようにしているんですわ」


 仕事をしなさい。


 これをしなさい。


 ここに住みなさい。


 そう決めるのではない。


 何ができる。


 何がしたい。


 どう生きたい。


 そのために必要なものを。


 用意している。


「……なるほどね」


 パードが姫様を見る。


「黒王子っぽい」


「どういう意味ですの、それ」


「なんとなく」


「適当ですわね」


「でもさ」


 キルナが口を挟む。


「若頭って、ずっとそうじゃね?」


「え?」


「自分で決めろって感じ」


 キルナは手すりへ背中を預ける。


「助けるけど、飼わねぇっていうか」


 レイナは。


 少し目を見開いた。


「……そうですわね」


 助ける。


 けれど。


 自分の思い通りにはしない。


 選ばせる。


 その人自身に。



     *



 夜。


 面談を終えた姫様が、ようやく甲板へ出てきた。


「疲れました?」


 レイナが聞く。


「ちょっと」


「でしょうね」


「でも大体分かった」


「何がですの?」


「何できる人がおるか」


 姫様は海を見ながら言う。


「農業できる奴多いし、大工もおる。字読める奴もおるし、料理できる奴もおる」


「はい」


「仕事は何とかなりそうやな」


 レイナは。


 しばらく姫様を見つめた。


「……姫様」


「ん?」


「皆様が、何をしたいかも聞いておられましたね」


「あぁ」


「なぜですの?」


 姫様が。


 不思議そうにレイナを見る。


「何でって」


「できる仕事だけ割り振れば、もっと早いのでは?」


「嫌な仕事ずっとやらせんの?」


「……」


「できることと、やりたいこと違う奴もおるやろ」


 あまりにも自然に。


 そう言った。


「選べるなら、選んだ方がええやん」


 レイナは。


 言葉を失った。


 まただ。


 この人は。


 自分では。


 特別なことを言っているつもりがない。


「どうしたん?」


「……いえ」


 レイナは微笑んだ。


「やはり、姫様だと思っただけですわ」


「俺やけど」


「存じております」


「何なん」


 姫様は、少し困ったような顔をした。


 レイナはその横へ並ぶ。


 海の向こうには。


 まだ見えない。


 リュミエールがある。


 そこへ着けば。


 今日聞いた仕事が始まる。


 畑を作る人がいる。


 家を建てる人がいる。


 料理をする人がいる。


 学校へ行く子どもがいる。


 そして。


 今までとは違う人生が始まる。


 レイナは、ふと思った。


 道は。


 一つではない。


 日本で。


 何度も見せてもらった。


 それなのに。


 なぜかその言葉が。


 今日は。


 自分の胸の奥へも、静かに残った。


 姫様の隣にいれば。


 自分も。


 どんな時でも。


 選び直せるような気がした。

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