第42話 ズレ
数日後。
安土城では、朝から各地の報告が続いていた。
大きな戦は減った。
街道も整い始め。
商いも少しずつ安定している。
天下を取ったあと。
信長は。
取った天下を、どう治めるか。
そこへ力を使っていた。
「次」
信長が言う。
一人の家臣が前へ出る。
「南の村で、商人との揉め事が起きております」
「原因は」
「値のつり上げです。村人側は、これ以上払えぬと」
「商人は」
「道が悪く、荷が届かぬため費用がかかると申しております」
信長は少し考える。
「道を先に見ろ」
「はっ」
「商人だけ責めても意味がない。荷が届かぬ理由があるなら、そこを直せ」
「承知しました」
政宗は。
少し離れた場所で、そのやり取りを聞いていた。
やっぱり。
まだ。
信長だ。
判断もできる。
人の話も聞いている。
何もかもが。
変わったわけではない。
だからこそ。
余計に。
あの時の違和感だけが。
消えなかった。
「殿」
次の家臣が前へ出た。
「北の領地より、追加の兵を求める声が上がっております」
「何故じゃ」
「盗賊が増えております」
「兵を増やせ」
「ただ」
家臣が少し言葉を選ぶ。
「農繁期でもあります。兵を増やせば、田畑へ出る者が減ります」
信長の眉が僅かに動いた。
「……そうか」
「はい」
以前なら。
ここで一度。
考える。
兵を増やすのか。
別の手を使うのか。
政宗は。
そう思っていた。
「信長様」
その時だった。
萌呼が座敷へ入ってきた。
政宗の片目が。
僅かに細くなる。
「何じゃ」
「先ほど、城下で盗賊の話を聞きました」
「そうか」
「怖いですね」
萌呼は少しだけ目を伏せる。
「皆様が安心して暮らせるように……兵を増やした方がよいのではないでしょうか」
黒い炎が。
指先で。
ほんの一瞬。
揺れた。
信長の目が。
萌呼へ向く。
「……そうじゃな」
政宗の表情が変わる。
「兵を増やせ」
家臣が驚いたように顔を上げた。
「ですが、農作業が」
「後で考える」
政宗が立ち上がった。
「待て」
信長が見る。
「何じゃ」
「後で考えるって何だよ」
「言葉どおりじゃ」
「お前、さっきまで理由見て決めてただろ」
「盗賊が出ておる」
「だからって農民減らしたら、今度飯足りなくなるぞ」
「必要なら他所から回せばよい」
「簡単に言うな」
信長の眉間へ皺が寄る。
「政宗」
「何だ」
「余の国じゃ」
「知ってる」
「なら黙っておれ」
政宗が。
一瞬。
黙った。
秀吉も。
信長を見る。
「殿」
「何じゃ」
「政宗殿の申すことにも、一理あります」
信長が秀吉を見る。
「猿までか」
「兵を出すなら、農作業への影響も同時に考えるべきでしょう」
「後で考えると言った」
「殿は、いつからそのような決め方を」
空気が変わった。
信長の目が。
少し鋭くなる。
「何が言いたい」
秀吉は引かなかった。
「以前の殿なら、今ここで両方を考えておられた」
「……」
「兵を出すことが悪いとは申しません」
秀吉は静かに続ける。
「ただ」
一度。
萌呼を見る。
「決めるのが、早すぎます」
萌呼の指先が。
僅かに動いた。
信長が。
その視線に気づく。
「萌呼を見るな」
秀吉の目が。
ゆっくり信長へ戻る。
「……殿?」
「萌呼は関係ない」
政宗の顔から。
完全に笑みが消えた。
「関係ねぇなら、何で今庇った」
「庇ってなどおらぬ」
「庇ってんだろ」
「政宗」
「何だよ」
「しつこい」
信長の声が。
少し低くなる。
萌呼は。
胸の奥が。
熱くなるのを感じていた。
自分を。
庇ってくれた。
秀吉より。
政宗より。
自分を。
「信長様」
萌呼が。
小さく呼ぶ。
「大丈夫です」
「……」
「私は、気にしておりません」
信長の表情が。
僅かに緩む。
「そうか」
政宗は。
その瞬間を。
見逃さなかった。
*
会議が終わったあと。
政宗は。
廊下を歩く信長の腕を掴んだ。
「待て」
「離せ」
「話ある」
「余はない」
「俺はある」
信長が振り返る。
「何じゃ」
「萌呼から離れろ」
信長の目が。
細くなる。
「何故じゃ」
「お前、変だ」
「またそれか」
「まただ」
政宗は。
信長の目を見る。
「最初は、休むだけだった」
「……」
「次は、家臣追い出した」
「……」
「今日は、話途中で切って兵出した」
信長の眉が動く。
「全部、萌呼が口出したあとだ」
「偶然じゃ」
「三回続いて偶然で済ますな」
「政宗」
「お前、自分で分かってねぇだろ」
「何を」
「判断変わってんだよ」
信長の顔から。
少しずつ余裕が消える。
「余の判断に口を出すな」
「昔から出してるだろ」
「今は違う」
「何が違う」
「余は天下人じゃ」
政宗が。
一瞬。
黙る。
信長も。
自分の言葉に。
僅かに目を動かした。
けれど。
もう。
言い直さなかった。
「……そうかよ」
政宗の声が。
低くなる。
「天下取ったら」
一歩。
信長へ近づく。
「俺の話も聞かなくなんのか」
「そうは申しておらぬ」
「今言っただろ」
「余の判断に口を出すなと言っただけじゃ」
「それが同じなんだよ」
信長は。
政宗を睨む。
「おぬしは昔から」
「何だ」
「余を自分と同じだと思いすぎじゃ」
政宗の目が。
僅かに揺れた。
「……は?」
「余は天下を取った」
「知ってる」
「おぬしは取れなかった」
「それも認めてる」
「なら」
信長は。
静かに言った。
「少しは立場を弁えよ」
廊下が。
しんと静まり返った。
政宗は。
しばらく。
何も言わなかった。
幼い頃から。
何度も喧嘩した。
何度も競った。
信長が天下を取った時も。
政宗は。
負けを認めた。
それでも。
二人の間に。
上下はなかった。
少なくとも。
政宗は。
そう思っていた。
「……お前」
政宗が。
ゆっくり口を開く。
「今まで」
「俺にそんな言い方したことなかったよな」
信長の目が。
一瞬。
揺れた。
だが。
「今までとは違う」
そう言った。
政宗は。
信長を見たまま。
小さく息を吐いた。
「……そうか」
それだけ言って。
腕を離す。
「政宗」
信長が呼ぶ。
けれど。
政宗は。
振り返らなかった。
*
少し離れた廊下。
萌呼は。
二人の会話を。
全部聞いていた。
胸の奥が。
嬉しい。
信長が。
自分を庇った。
政宗より。
自分を選んだ。
でも。
同時に。
胸の奥へ。
別の感情が広がる。
政宗は。
信長しか見ていない。
信長が変わったことに。
すぐ気づく。
信長の言葉一つで。
あんな顔をする。
「……」
萌呼は。
指先を握った。
自分には。
あんな顔をしてくれない。
何をしても。
何を言っても。
政宗は。
自分へ執着しない。
それなのに。
信長のことになると。
すぐに怒る。
すぐに気づく。
ずっと見ている。
「……ずるい」
小さく。
声が漏れた。
自分だって。
見てほしい。
自分だって。
あんなふうに。
大切にしてほしい。
*
その夜。
政宗は。
城の屋根へ座っていた。
風が強い。
遠く。
城下の灯りが見える。
「……立場を弁えろ、か」
小さく呟く。
腹は立っていた。
当然だった。
けれど。
それ以上に。
気持ち悪かった。
信長らしくない。
天下を取った直後。
自分へ。
「わしの勝ちじゃったな」
そう笑った男。
家臣になれと誘って。
断られても。
最後には。
「好きにせよ」
そう言った男。
あの信長が。
自分へ。
立場を弁えろ。
そう言った。
「……違ぇだろ」
政宗は。
片膝へ腕を置く。
「お前」
空を見上げる。
「そんな奴じゃねぇだろ」
その時。
「政宗」
後ろから声がした。
秀吉だった。
「何だ」
秀吉は。
政宗の隣へ腰を下ろす。
「聞いた」
「早ぇな」
「城じゃからな」
「噂回んの早すぎんだろ」
「そういうものじゃ」
しばらく。
二人とも。
何も言わなかった。
「……やはり」
秀吉が。
低い声で言う。
「進んでおる」
政宗は。
何も聞き返さなかった。
「呪術」
「あぁ」
秀吉が頷く。
「市の時と同じじゃ」
「……」
「最初は」
「ほんの少しだった」
萌呼を見る。
萌呼の言葉を聞く。
萌呼を優先する。
そして。
少しずつ。
それ以外の声が。
届かなくなる。
「このままなら」
秀吉が言う。
「殿は」
「分かってる」
政宗が遮った。
声が。
少しだけ。
荒くなる。
「分かってるよ」
秀吉は。
政宗を見る。
政宗は。
城下を見たまま。
動かない。
「でも」
政宗は。
ゆっくり言った。
「まだいる」
「何がじゃ」
「信長だよ」
秀吉が黙る。
「まだ全部変わってねぇ」
政宗は。
自分へ言い聞かせるように。
続けた。
「判断できる時もある」
「普通に話せる時もある」
「俺のことだって」
一度。
言葉を止める。
「……まだ分かってる」
秀吉は。
何も言わなかった。
政宗は。
信長がいる城の方を見る。
「だから」
低く。
静かに。
「まだ戻せる」
その言葉だけは。
迷わなかった。




