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婚約破棄された悪役令嬢は、有能すぎました  作者: 夜嶋朔


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第39話 それでも救うということ

 隠れ家の机には、本能寺までの道が描かれた地図が広げられていた。


 レイナは、その少し後ろに立っていた。


 さっきまで。


 本能寺の変という言葉さえ知らなかった。


 明智光秀が信長を裏切り。


 本能寺を襲い。


 信長は、そこで死ぬ。


 それが、パードたちの知っている歴史。


 レイナは、まだその事実をうまく飲み込めずにいた。


「まず、逃げ道を作る」


 姫様が地図を見ながら言った。


 桂小五郎が頷く。


「裏道なら使えます」


「そこを空けといてくれ」


「分かりました」


 レイナは思わず姫様を見る。


「……逃げ道から、考えるのですか?」


「あぁ」


 姫様は当たり前のように答えた。


「逃げられへん戦は、戦やない。ただの自殺や」


 その言葉に。


 レイナは少しだけ目を見開いた。


 戦うなら。


 勝つための方法を考えるものだと思っていた。


 けれど姫様は。


 最初に、生きて帰る方法を考える。


「明智光秀の兵はどうしますか?」


 誰かが尋ねた。


「殺さん」


 答えは早かった。


「兵は命令されとるだけや。止めるだけでええ」


 レイナの胸が、僅かに揺れた。


「……殺さないのですか?」


 姫様が振り返る。


「なんで殺す必要ある」


「でも……」


 レイナは言葉を探した。


「信長様を殺そうとしている人たちですわ」


「命令されて来る奴もおる」


「……」


「そいつら全員が、信長を憎んどるとは限らんやろ」


 レイナは何も言えなかった。


 姫様はまた地図へ視線を戻す。


「信長は逃がす。兵は止める。光秀が何で謀反するんかも調べる」


「光秀も……?」


「あぁ」


「殺さないのですか?」


「殺さん」


 また。


 迷いのない答えだった。


 レイナは、静かに姫様を見つめる。


 信長は。


 この国で、多くの人を苦しめている。


 姫様たちを追って。


 兵を使って。


 家族まで巻き込んで。


 レイナ自身。


 信長という人を、良い人だとは思っていない。


 それでも。


 死んでしまえばいいとは思わなかった。


 歴史で死ぬことになっているからといって。


 そのまま死なせていいとも思えなかった。


 でも。


 姫様は。


 もっと先を見ていた。


 信長だけではない。


 明智光秀も。


 その兵たちも。


 ここにいる仲間たちも。


 全員。


 生きて帰らせようとしている。


 レイナの視線が。


 姫様の隣へ移った。


 黒いスーツ。


 肩に担いだ刀。


 鋭い目。


 清司。


 初めて見た時。


 綺麗な顔で素敵だと思ったと同時に。


 怖いと思った。


 何を考えているのか分からない人。


 感情のままに刀を抜きそうな人。


 そんなふうに見えていた。


 けれど。


 違った。


 この人は。


 誰かを簡単に切り捨てない。


 悪いことをしたから。


 敵だから。


 自分を傷つけたから。


 それだけで。


 死んでいいとは言わない。


 レイナは、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


 あぁ。


 やっぱり。


 この人は、そういう人なのだ。


 助けられるなら。


 全員、助けようとする。


 だから。


 みんながついていく。


 だから、自分も。


 姫様を見ていたくなる。


「レイナ」


 名前を呼ばれ、レイナは顔を上げた。


「はい」


「お前は後ろにおれ」


「なぜですの?」


「すぐ燃やすからや」


「燃やしませんわ」


 そう言いながら。


 指先に小さな炎が灯った。


 レイナは黙って炎を消す。


 姫様がじっと見る。


「……今は燃やしませんわ」


「頼むで」


「はい」


 少しだけ。


 笑いがこぼれた。


 でも。


 すぐに空気が戻る。


 桂が地図へ指を置いた。


「本能寺へ入る人数は絞った方がいいでしょう」


 ミレーヌさんも頷く。


「外で兵を止める者と、中へ入る者を分けましょう」


 姫様が静かに立ち上がった。


 その瞬間。


 部屋の空気が変わった。


 清司も。


 その横で、刀へ手をかける。


 レイナは、その姿を見つめた。


 怖い。


 本能寺へ行けば。


 何が起こるか分からない。


 歴史では。


 信長が死ぬ。


 でも。


 今はまだ。


 生きている。


 なら。


 まだ間に合う。


 姫様が地図の上に置いていた手を離す。


「行くぞ」


 全員が顔を上げた。


「本能寺の変を止める」


 レイナの胸が、大きく鳴った。


 姫様は、まっすぐ前を見る。


「信長を救う」


 レイナは。


 静かに。


 強く頷いた。


 会議が終わり。


 男たちがそれぞれ準備へ散っていったあとも。


 レイナたちは、しばらく隠れ家に残っていた。


 パードが壁にもたれながら、大きく息を吐く。


「いやー……本能寺の変を止める日が来るとは思わなかったじゃん」


「普通は来ませんわ」


「歴史の授業でも、まさか参加する側になるとは思わないよね」


「参加という言い方で合っているのでしょうか……」


 スギナが少し困ったように笑う。


 キルナは刀を確認しながら、短く言った。


「信長、ほんとに死ぬんだろ」


「私たちの知っている歴史ではね」


 パードが答える。


「でも今回は、死なせない」


 その言葉に。


 レイナは姫様がいた方を見る。


「……姫様は、信長様だけではなく」


 ぽつりと口にする。


「明智光秀も、兵も、全員助けるおつもりなのですね」


「若頭はそういう人だからな」


 キルナの返事は早かった。


 スギナも静かに頷く。


「誰か一人を助けるために、別の誰かを犠牲にする方ではありませんね」


「ほんとそれ」


 パードが笑った。


「無茶するけどね」


「そこは否定できませんわ」


「めちゃくちゃ無茶する」


「二回言いましたわね」


 その時。


「皆様!!!」


 心絆が勢いよく前へ出た。


「必ず!!! 全員で生きて帰りましょう!!!」


 四人が一斉に耳を押さえた。


「声が大きいですわ!」


「すみません!!!」


「小さくなってないじゃん!」


「気持ちが大きいんです!!!」


「それは分かった」


 キルナが呆れたように言う。


 レイナは思わず笑った。


 怖くないわけではない。


 本能寺では。


 本当に誰かが死ぬかもしれない。


 それでも。


 一人ではない。


 パードも。


 キルナも。


 スギナも。


 そして。


 出会ったばかりの心絆もいる。


「……そうですわね」


 レイナは四人を見る。


「全員で、生きて帰りましょう」


「うん!」


「もちろんです」


「あぁ」


「はい!!!」


「心絆さんだけ、やっぱり声が大きいですわ!」


 笑い声が重なった。


 その少し先で。


 姫様が振り返る。


「準備できたか?」


 レイナたちは顔を見合わせた。


 そして。


 同時に立ち上がる。


「はい」


 姫様が地図を畳む。


「本能寺の変を止める」


 レイナの胸が強く鳴った。


「信長を救う」

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