第31話 知りたいということ
日本へ向かう船が出るのは、翌朝だった。
王宮では朝から積荷の確認が続き、南蛮品や食料、水、日本兵たちの荷物が次々と運び込まれている。
リキュウは商談用の品を確認し、ミレーヌは黒革手帖を片手に必要物資を整理し、バルドは船と港の最終確認に追われていた。
そんな慌ただしい一日の終わり。
レイナはテルリッチ公園のベンチに座り、暗くなり始めた空を見上げていた。
明日。
自分は海を渡る。
敵としてやって来た日本兵たちと共に。
彼らの家族を迎えに行くために。
「……不思議ですわね」
小さく呟く。
つい先日まで。
彼らは、この国へ攻め込んできた兵だった。
捕らえられ。
武器を奪われ。
それでも。
リリアーナは彼らを殺さなかった。
食事を与え。
怪我を治し。
事情を聞き。
そして。
『怪我治ったら、日本へ迎えに行くぞ』
そう言った。
兵士たちは泣いていた。
自分たちが助かったからではない。
家族まで助けてもらえると知ったから。
「……姫様らしいですわ」
レイナの表情が、自然と柔らかくなる。
敵だったから。
自分たちを傷つけようとしたから。
それだけで切り捨てない。
なぜ戦ったのか。
誰を守ろうとしていたのか。
その先まで見る。
清司は、そういう人だった。
だから。
レイナは好きになった。
強いからでも。
特別な力を持っているからでもない。
誰かを守ると決めた時。
最後まで、その責任を背負う。
そんな人だったから。
「レイナー!」
聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、パードが紙袋を抱えて走ってくる。
その後ろにはスギナとキルナもいた。
「何を持っていらっしゃるの?」
「氷の翼!」
「今から食べますの?」
「明日出発じゃん! 前夜祭!」
「前夜祭というほど華やかな旅ではございませんわよ」
「だから今のうちにやるの!」
パードは当然のようにレイナの隣へ座った。
スギナも微笑みながら腰を下ろす。
「明日からしばらく、こちらにも来られませんから」
「そういうこと」
キルナも反対側へ座り、紙袋の中を覗いた。
「何味だ?」
「いっぱい!」
「雑だな」
「選んでー」
四人で紙袋を覗き込み。
結局。
レイナはいつもの味を手に取った。
「ほんとに行くんだねー、日本」
パードが氷菓子を食べながら言った。
「ええ」
「でも戦国時代の日本でしょ?」
パードが少し楽しそうに笑う。
「うちらが知ってる日本とは、全然違いそうじゃん」
「そうですね」
スギナも頷いた。
「同じ日本でも、時代が違えば暮らしも景色も文化も違うでしょうし。少し楽しみです」
「飯も全然違うだろうな」
キルナが言う。
「そこが一番気になるんですの?」
「大事だろ」
「それはそう!」
パードがすぐに同意する。
レイナは三人を見ながら、少しだけ笑った。
「皆さんは、前世で日本をご存知なのですものね」
「知ってるけど、戦国時代はさすがに知らないよ!」
「私も本や映像でしか存じません」
「だから逆に楽しみだな」
「そうですわね」
レイナは海の向こうを思い浮かべた。
「私も、清司さんが生きていた国を見てみたいです」
「黒王子が子供だった頃とかあるわけでしょ?」
パードがすぐに食いつく。
「当然ですわ」
「見たくない?」
「何をですの?」
「子供の黒王子」
「……」
少し想像する。
小さな清司。
黒いスーツではなく。
まだ刀も持っていない。
子供の頃。
「……少し」
「見たいんじゃん!」
「少しと申しました!」
「私も見てみたいです」
スギナが素直に言った。
「黒き守護者様が、どのような場所で育たれたのかは気になります」
「若頭、子供の頃からあの顔だったのかな」
キルナが真顔で言う。
「どういう意味ですの?」
「怖そう」
「失礼ですわよ!」
「でも若頭だぞ?」
「子供の頃から若頭ではございません!」
「それはそうか」
パードが吹き出した。
「キルナ、何歳から若頭だと思ってんの!」
「知らねぇよ!」
レイナも思わず笑った。
けれど。
笑いが落ち着くと。
胸の奥に、別の感情が戻ってきた。
日本。
清司が生きていた国。
そして。
志乃がいた国。
「……ねえ」
パードが急にレイナを見る。
「何ですの?」
「やっぱ気になる?」
レイナは問い返さなかった。
何のことか。
すぐに分かった。
「信長」
パードが言った。
スギナも。
キルナも。
何も言わず、レイナを見る。
レイナは少しだけ目を伏せた。
「……ええ」
誤魔化さなかった。
「気になりますわ」
「だよね」
パードがすぐに頷く。
「ていうか、うちも普通に気になるし」
「私もです」
スギナも静かに続ける。
「黒き守護者様が唯一愛された方と聞けば、何も感じないという方が難しいです」
「若頭が唯一惚れた女だぞ」
キルナが腕を組む。
「気にすんなって方が無理だろ」
レイナが三人を見る。
「……皆さんも、そうなのですね」
「当たり前じゃん!」
パードが即答した。
「うちら全員、黒王子好きなんだから!」
「はい」
スギナも迷わず頷く。
「今さらだな」
キルナまで平然と言う。
レイナは思わず笑った。
「ただの恋人でしたら」
レイナは、静かに言葉を続けた。
「これほど気にはならなかったと思いますの」
三人が黙って聞く。
「清司さんに、私たちと出会う前の人生があることは分かっております」
そこに。
誰かを愛した時間があったとしても。
それを責めるつもりなどない。
「ですが……」
レイナの指が、僅かに止まった。
「唯一」
その言葉だけは。
胸に残っていた。
「清司さんが、ただ一人愛した女性」
志乃。
「その方の魂が今も存在していて」
しかも。
「織田信長として、生きている」
レイナは苦笑した。
「さすがに……平気ではいられませんわ」
「分かる」
パードがすぐに頷いた。
「唯一って強すぎるんだよ」
「過去のお話であっても、やはり気になりますね」
スギナも少しだけ困ったように笑う。
「若頭本人が今は愛してねぇって言ってんのは分かってる」
キルナが言う。
「でも、それと嫉妬すんのは別だろ」
「……ええ」
レイナは小さく笑った。
「そうなのです」
今は愛していない。
清司本人が、はっきりそう言った。
それは信じている。
それでも。
唯一愛した。
その事実まで消えるわけではない。
「しかも信長、超イケメンだったし」
パードが突然言った。
「パードさん!」
「いや大事じゃん!」
「何がですの!」
「唯一愛された女の魂が、転生したら超イケメン天下人だよ? 強すぎ!」
「何と戦っていらっしゃるの!?」
「恋愛的に!」
「戦いませんわ!」
「いや、うちら全員戦ってるようなもんでしょ」
「パードさん!」
「だってあの人、黒王子迎えに来たんだよ?」
「それは……」
「普通に恋敵として怖いじゃん!」
「言い方!」
スギナも小さく頷いた。
「ですが、非常に美しいお顔をされていました」
「オーラもやべぇしな」
キルナが言う。
「だから余計ムカつくんだって!」
「パードさん、素直すぎますわ!」
四人の間に笑いが起きる。
「でもさ」
パードがふと何かを思い出したように目を輝かせた。
「伊達政宗も超イケメンだったわ!」
「急に別の方へ行きましたわね」
「いや、ほんとに! あの人も信長に負けないくらいオーラあったじゃん!」
「はい」
スギナも頷く。
「非常に存在感のある方でした」
「信長と並んでも埋もれねぇ感じだったな」
キルナが少しだけ口元を上げる。
「あの独眼で余計かっこいいんだよな」
「キルナさん、ずいぶん気に入っておりますのね」
「見た目だけじゃねぇよ」
キルナは真っ直ぐ言った。
「子供の時に目やられて、死にかけても、それでもかっこよく生き抜いたんだからよ」
レイナが少し目を瞬く。
「……そうなのですか?」
「有名だろ、伊達政宗」
「レイナは前世の日本知らないもんね!」
パードが言う。
「片目になっても、そこで終わらなかった」
キルナは続ける。
「父親のことも、戦も、国も背負って、それでも伊達政宗として生き抜いた」
少しだけ笑う。
「中身もかっこいいぜ」
「分かるー!」
パードがすぐに乗る。
「顔だけじゃないんだよね!」
そして。
少し考えるように首を傾げた。
「ちょっと中身、黒王子みたいなとこもあるし!」
「……黒王子みたい?」
レイナが聞き返す。
「うん」
パードが頷く。
「ちゃんと自分で背負うとことかさ。強いだけじゃなくて、自分の国とか人のことまで見てる感じ」
「確かに」
スギナも穏やかに頷いた。
「少し似ている部分はあるかもしれませんね」
「若頭みたいに、簡単に投げ出さねぇ感じはあるな」
キルナも言う。
「まあ、同じってわけじゃねぇけど」
「それそれ!」
パードが笑う。
「同じじゃないけど、ちょっと分かる感じ!」
レイナは少しだけ考えた。
「伊達政宗……」
戦場で聞いた名前。
まだ顔も知らない男。
その名を聞いても。
胸が高鳴ることも。
特別な何かを感じることもない。
ただ。
「そのような方なのですね」
ほんの少しだけ。
興味を持った。
「でも」
パードがすぐに顔をしかめる。
「黒王子の唯一愛した女問題は別だからね!」
「戻るんですの!?」
「大事だから!」
「しつこいですわ!」
「だってうちも嫉妬してるし!」
「私もです」
スギナも真顔で頷く。
「あたしも」
キルナまで即答する。
「全員ですの!?」
「今さら何言ってんの!」
「黒き守護者様ですから」
「若頭だぞ」
「理由になっておりませんわ!」
「なるでしょ!」
また笑いが起きた。
レイナは。
少しだけ肩の力が抜けた。
嫉妬する。
不安になる。
気になる。
それは。
自分だけではなかった。
「でも」
レイナは顔を上げた。
「日本へ行く理由は、それだけではございません」
「うん」
「日本兵の皆さんの家族を迎えに行くのでしょう?」
「そうだな」
「そのために清司さんは、ご自分が狙われるかもしれない場所へ行こうとしていらっしゃる」
三人の表情が少しだけ変わった。
「やっぱり」
レイナは微笑んだ。
「素晴らしい方ですわ」
「それは分かる」
パードがすぐに頷く。
「そこが黒王子なんだよね」
「敵であった方々のご家族まで助けようとなさる」
スギナの表情も柔らかくなる。
「黒き守護者様らしいです」
「若頭は、一回守るって決めたら最後までやるからな」
キルナが笑う。
「だから好きなんだよ」
「ええ」
レイナも迷わず答えた。
「私もですわ」
「うちら全員だけどね」
パードが笑う。
「そうでしたわね」
「忘れないでください」
「忘れておりません!」
「それに」
レイナは海のある方角を見る。
「清司さんが育った場所を、自分の目で見てみたいです」
海の向こう。
自分にとっては、まだ一度も見たことのない国。
パードたちにとっても、知っている日本とは全く違う戦国時代。
「何を食べて」
「何を見て」
「どんな街を歩いて」
「どんな人たちと生きていたのか」
知りたい。
前世の清司を奪いたいわけではない。
過去を消したいわけでもない。
ただ。
好きな人が生きた場所を。
自分の目で見てみたかった。
「あと米」
キルナが言った。
「急に現実」
パードが吹き出す。
「王様がめっちゃ言ってたじゃん」
「種もみですわね」
「赤味噌もございます」
スギナが付け足す。
「白味噌と緑茶と漬物も!」
パードが指を折って数える。
「お土産を買いに行くわけではございません!」
「でもあったら持って帰るでしょ?」
「それは……」
「持って帰るんじゃん!」
「王妃様がお待ちですもの!」
「レイナもノリノリじゃん」
「違いますわ!」
笑い声が夜の公園へ広がった。
明日。
海を渡る。
敵だった兵士たちの家族を迎えるために。
清司の故郷へ。
そして。
清司が唯一愛した女の魂を持つ男が治める国へ。
怖くないわけではない。
嫉妬がないわけでもない。
けれど。
それ以上に。
知りたかった。
清司が生きた国を。
自分たちが知っていた時代とは違う日本を。
そして。
そこで出会う人々を。
「楽しみですわね」
レイナがぽつりと言う。
三人が振り返る。
「日本」
パードが笑った。
「うん! 戦国時代とか絶対うちらの知ってる日本と違うし!」
「私も楽しみです」
スギナも頷く。
「実際に見る機会など、前世でもありませんでしたから」
「何かうまいもんあるといいな」
「キルナさんは、やはり食べ物ですの?」
「大事だろ」
「それはそう!」
「パードさんまで!」
知らない時代の日本へ行く。
知らなかった清司の過去を見る。
そして。
まだ知らない人々に出会う。
その中に。
ほんの少しだけ興味を持ったばかりの男がいる。
伊達政宗。
その男が。
やがて自分の人生に深く関わることになるなど。
この時のレイナは、まだ知らなかった。




