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婚約破棄された悪役令嬢は、有能すぎました  作者: 夜嶋朔


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30/56

第30話 夢の中ということ

 御命萌呼が目を覚ました時。


 最初に見えたのは、白い天井ではなかった。


 木の梁。


 障子。


 畳。


 そして。


 知らない女たちの顔。



「お気づきになられましたか?」


「……え」


 萌呼は、ゆっくり瞬きをした。


 身体を起こそうとして。


 すぐに力が入らず、また布団へ沈む。


「ご無理なさらず」


 女中の一人が、そっと肩へ手を添えた。


「ここ……」


「織田様のお城でございます」


 その言葉を聞いた瞬間。


 萌呼の目が大きく開いた。



 織田。


 城。



「……信長様の……?」


「はい」


 胸が強く鳴る。


 夢ではなかった。


 鷹狩りの山で。


 自分を見つけた三人。


 織田信長。


 伊達政宗。


 豊臣秀吉。


 本当に。


 いた。



「まずは、お身体を綺麗になさいませ」


「え?」


「信長様より、ご命令をいただいております」


 女中が微笑む。


「湯を使わせ、着物を用意せよ、と」


「……私に?」


「はい」


 萌呼は、しばらく何も言えなかった。



 自分のために。


 誰かが。


 服を用意する。


 身体を綺麗にしてやれと言う。


 そんなことを。


 これまで、ほとんどされたことがなかった。



「……すみません」


 思わず言う。


 女中が首を傾げた。


「何故、謝られるのです?」


「……え」


「何も悪いことはなさっておりませんよ」


「……はい」


 萌呼は、また小さく頷いた。



 湯を使い。


 長い黒髪を丁寧に洗ってもらう。


 乾かした髪を梳かされ。


 用意された着物へ袖を通す。


 黒髪によく映える。


 淡い色合いの上品な着物だった。



「とてもお似合いです」


「……本当ですか?」


「はい」


「……ありがとうございます」


 鏡を見る。


 そこに映っているのは。


 病院着を着て。


 青白い顔で。


 ベッドに横たわっていた自分ではない。



「……私じゃないみたい」


 ぽつりと呟いた。


 女中たちは、顔を見合わせて笑う。


「萌呼様ですよ」


「……」


 その言葉に。


 萌呼は何故か少しだけ胸が苦しくなった。



     *



 しばらくして。


 萌呼は広い座敷へ案内された。


 中には。


 信長。


 政宗。


 秀吉。


 三人がいた。



「……」


 萌呼の足が止まる。


 本当にいる。


 何度見ても。


 信じられない。



「入れ」


 信長が言う。


「は、はい……!」


 萌呼は慌てて中へ入り。


 少し離れた場所へ座る。


 背筋が硬い。


 手は膝の上。


 視線をどこへ置けばいいのか分からない。



 秀吉が最初に笑った。


「随分と綺麗になったのう」


「え……」


「その着物、よう似合っておる」


「……ありがとうございます」


「そんなに固くならずともよい」


「すみません」


「ほら、また謝った」


 政宗が横から言う。


 萌呼がびくっと肩を揺らす。


「す、すみません……」


「まただ」


「……」


 政宗が少し笑う。


「別に取って食わねぇよ」


「……はい」


「今度は“はい”か」


「……すみません」


「戻ったな」


 秀吉が声を上げて笑った。


「はっはっは!」


 萌呼の顔が一気に赤くなる。


 恥ずかしい。


 どう話せばいいか分からない。


 病院では。


 自分から誰かと話すことなど、ほとんどなかった。


 話しかけるのも。


 笑うのも。


 誰かと一緒にいるのも。


 何もかも。


 慣れていない。



「腹は減っておらぬか?」


 秀吉が聞いた。


「だ、大丈夫です」


 その直後。


 萌呼の腹が。


 小さく鳴った。



「……」


「……」


「……」


 政宗が吹き出す。


「減ってんじゃねぇか」


「……!」


 萌呼の顔が真っ赤になる。


「す、すみません……!」


「何故謝る」


 信長が言った。


 萌呼が顔を上げる。


「……え」


「腹が減ることは罪ではない」


「……」


「食えばよい」


 それだけだった。


 何でもない言葉。


 なのに。


 萌呼はすぐに返事ができなかった。



 腹が減った。


 疲れた。


 苦しい。


 寂しい。


 それを口にすることは。


 いつも誰かへ迷惑をかけることだと思っていた。



「……はい」


 今度の返事は。


 少しだけ。


 さっきより柔らかかった。



 やがて。


 食事が運ばれてくる。


 萌呼は一口ずつ、ゆっくりと食べた。


「……美味しい」


「そうか」


 秀吉が嬉しそうに笑う。


「遠慮せず食え」


「はい」


 政宗はそんな萌呼を見ながら、少しだけ目を細めていた。



 服。


 言葉。


 様子。


 どれも妙だった。


 山の中へ突然現れ。


 見たことのない衣服を着て。


 自分たち三人の名を知っていた。



 そして。


 何より。


 政宗は。


 そういう話を、一つだけ知っている。



 前世。



 別の世界。



 転生。



「なあ」


 政宗が口を開いた。


 萌呼の手が止まる。


「……はい」


「お前」


 一度。


 萌呼の顔を見る。


「何で俺たちのこと知ってんだ?」


 萌呼の表情が固まった。



「……え」


「俺だけじゃねぇ」


 政宗は続ける。


「信長も。秀吉も」


「……」


「山で目ぇ覚ました瞬間、全部名前言っただろ」


 萌呼の指先が僅かに震える。



(どうしよう)



 未来から来た。


 なんて。


 言えるわけがない。


 しかも。


 自分が知っている彼らは。


 本の中の人だった。



「そ、その……」


 萌呼は視線を彷徨わせる。


「皆さん……知っていますよ」


 三人が見る。


「大名の名前なんて……」


「……」


 政宗が瞬きをする。


「……あ」


 秀吉も少し考える。


「確かにのう」


 萌呼の胸の中で。


 大きく息が抜ける。



(通った……)



 信長は当然のように腕を組んだ。


「わしは天下人じゃ」


「お前はいちいちそこ誇るなよ」


 政宗がすぐに突っ込む。


「事実じゃ」


「分かった分かった」


 秀吉が笑う。


「儂も知られていて安心したわ」


「お前はそれでいいのかよ」


「よいではないか」


「雑だな」


 萌呼は三人のやり取りを見ながら。


 少しだけ。


 口元を緩めた。



 初めて。


 ほんの少しだけ。


 この場所で笑った。



「……でも」


 政宗がまた萌呼を見る。


「何ですか……?」


「お前、どこの奴だ?」


「……」


「その服も見たことねぇし」


 萌呼の表情がまた固まる。


 秀吉が少しだけ政宗を制した。


「政宗」


「分かってる」


 政宗は肩をすくめる。


「今すぐ言えって話じゃねぇよ」


「……」


「ただ」


 少しだけ。


 鋭い目になる。


「変な奴だなと思ってるだけだ」


「……すみません」


「ほらまた謝った」


「……」


「まあいい」


 政宗は小さく笑った。


 その笑みを見て。


 萌呼はまた少しだけ頬を赤くした。



 政宗。


 本で読んでいた通り。


 強く。


 堂々としていて。


 でも。


 想像していたよりずっと。


 話しやすかった。



 信長も。


 本の中では。


 もっと恐ろしい人だと思っていた。


 けれど。


 腹が減ることを。


 罪ではないと言った。



 その一言だけで。


 萌呼の中にあった信長の像は。


 少しだけ。


 違うものへ変わり始めていた。



     *



 その日の夜。


 萌呼は女中たちに案内され。


 客間へ向かった。


 信長は。


 その背中が見えなくなるまで。


 何も言わず見ていた。



「変な女じゃのう」


 秀吉が言う。


「あぁ」


 政宗も答える。


「人と話すのに慣れてねぇ感じする」


「何か事情がありそうじゃな」


「あるだろうな」



 政宗は。


 少しだけ考える。



 あの衣服。


 名前を知っていたこと。


 妙に自分たちを見ていた目。



(……転生者か?)



 頭を過ぎる。


 だが。


 今は確かめようがない。



「政宗」


 信長が呼んだ。


「何だよ」


「しばらく、ここにおれ」


「……は?」


 政宗が振り返る。


「何でだよ」


 信長は少し黙った。



「……あの女の扱いが分からぬ」



「俺に聞くなよ!」



 秀吉が吹き出す。


「はっはっは!」


「笑うな秀吉!」


「いや、珍しいと思うてな」


 政宗も呆れた顔で信長を見る。


「女中に任せりゃいいだろ」


「生活の話ではない」


「じゃあ何だよ」


「話し方も分からぬ」


「知らねぇよ!」


「おぬしの方が、まだ話せそうにしておった」


「そりゃお前よりはな!」


「ならおれ」


「命令か?」


「……」


 信長が少しだけ目を逸らした。


 政宗の眉が上がる。



「……頼んでんのか?」



「そう申しておる」


「珍しいな」


「うるさい」


 政宗は少しだけ黙った。



 信長が。


 自分へ。


 こんなふうに頼むのは。


 初めてだった。



 天下を取る前から。


 何度も競って。


 何度も喧嘩して。


 何度も顔を合わせてきた。


 それでも。


 信長が。


 困っているから。


 少しそばにいてほしいと。


 そう言うのは。


 初めてだった。



 政宗は。


 小さく息を吐いた。



「……しょうがねぇな」



 信長が政宗を見る。


「恩に着る」


 政宗が一瞬固まった。



「それ言えるんだな、お前」


「帰れ」


「どっちだよ!!」



 秀吉の笑い声が。


 夜の城へ響いた。

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