第28話 過去を知るということ
日本兵たちの治療と食事の配布がひと段落した頃。
捕縛区画の奥から、突然大きな声が響いた。
「唯一愛したのが織田信長なの?!」
レイナの手が止まった。
パードも。
スギナも。
キルナも。
一斉に、声のした方を見る。
車椅子に座るリリアーナの周囲を、ロイヤル・フラグメントの七人が取り囲んでいた。
「織田信長のこと愛してるの?!」
「話聞けや!」
リリアーナの怒鳴り声が返る。
「今も愛してるの?」
「愛してへん」
「本当に?」
「愛してへん言うとるやろ!」
七人はようやく安心したように息を吐いた。
そのやり取りを。
レイナたちは、少し離れた場所から黙って見ていた。
笑えなかった。
前世。
唯一愛した女。
志乃。
そして。
その女が今は、織田信長として生きている。
リリアーナの横には、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が立っていた。
レイナには、その姿がはっきりと見えている。
清司。
リリアーナの魂そのもの。
自分が愛している人。
その人が。
前の人生で、たった一人だけ愛した女。
「……そういうことでしたのね」
レイナは小さく呟いた。
戦場で。
信長は清司へ言った。
『志乃じゃ』
『帰るぞ、清司』
あの言葉の意味を。
ようやく理解した。
しばらくして。
リリアーナはミレーヌに車椅子を押され、その場を離れていった。
ロイヤル・フラグメントたちも後を追う。
捕縛区画に残ったレイナたちは、最後の片付けを終えると、そのままテルリッチ公園へ向かった。
いつもの場所。
戦で傷ついた箇所にはまだ立入禁止の札が立っている。
けれど、少し離れた一角はすでに安全が確認されていた。
四人はベンチへ座った。
最初に口を開いたのは、パードだった。
「……いや、重すぎない?」
レイナが横を見る。
「何がですの?」
「全部」
パードは即答した。
「前世で唯一愛した女が、今は織田信長でしょ?」
「そうですわね」
「で、その信長が黒王子を迎えに来た」
「はい」
「何百年越しか知らないけど、重っ」
パードが露骨に顔をしかめる。
「怖すぎるんだけど」
「私も、少し怖いと思いました」
スギナが静かに頷いた。
「黒き守護者様が今は愛していないと仰っているのに、信長様はそれを聞こうとなさらないのでしょうか」
「そこだよな」
キルナが腕を組む。
「前世で何があったか知らねぇけど、今の若頭はここにいるだろ」
「ええ」
レイナも頷いた。
「清司さんは今、ご自分の意思でリュミエールにいらっしゃいますわ」
「なのに『帰るぞ』って」
パードの眉が寄る。
「どこに帰るのって感じ」
「まるで、黒き守護者様のお気持ちは最初から決まっているかのようでした」
スギナの声が少しだけ低くなる。
「若頭がどこにいたいかは、若頭が決めることだろ」
「その通りですわ」
レイナは迷わず答えた。
嫉妬。
それが全くないと言えば、嘘になる。
自分が愛している人の。
唯一愛した女。
その存在を聞いて、何も感じないはずがなかった。
けれど。
それ以上に。
レイナが気になったのは別のことだった。
「私……」
三人がレイナを見る。
「信長様よりも、気になっていることがありますの」
「何?」
パードが身を乗り出す。
レイナは少し黙った。
戦場。
白い馬車。
儚げな少女。
柔らかな声。
そして。
『清司様にも、お別れをする時間が必要でしょうから』
『次に会う時までに、こちらの皆様へ、きちんとお別れをしておいてくださいね』
思い出した瞬間。
背筋が冷えた。
「御命萌呼さんが……戦の最後に仰っていた言葉ですわ」
「萌呼?」
パードが首を傾げる。
レイナはゆっくり、その言葉を三人へ伝えた。
「……それ」
パードの表情から笑みが消えた。
「普通に怖くない?」
「はい……」
スギナの顔も強張る。
「お別れをしておいてください、というのは……」
その先を言えない。
キルナが低い声で言った。
「次は連れてくって意味か?」
「私も、最初はそう思いましたの」
レイナは膝の上で手を握る。
「ですが……」
「ですが?」
「なぜでしょう」
レイナは視線を落とした。
「もっと、嫌な意味に聞こえましたの」
パードが黙る。
スギナも。
キルナも。
誰もすぐには答えなかった。
「清司さんを連れて行く、ではなく」
レイナは慎重に言葉を選ぶ。
「こちらの皆さんと、本当に二度と会えなくなるような……」
「やめてよ」
パードの声が小さくなる。
「それ怖い」
「申し訳ありません」
「いや、レイナが謝ることじゃないけど……」
パードは自分の腕を抱いた。
「でも、あの女、笑ってたよね」
「はい」
「すごく普通に」
「はい」
「それが余計怖い」
スギナも静かに頷く。
「私もそう思います。怒っているようには見えませんでした」
「だから余計分かんねぇ」
キルナが舌打ちする。
「何考えてんだ、あいつ」
「私にも分かりませんわ」
レイナは首を振った。
その時。
「ああ」
背後から声がした。
四人が振り返る。
そこには、詠女が立っていた。
いつから聞いていたのか。
いつものような気の抜けた顔で、こちらを見ている。
「詠女さん?」
レイナが名前を呼ぶ。
詠女は四人の顔を順番に見た。
そして。
「そこ気づいたんだ」
パードが眉を寄せる。
「何が?」
詠女は少しだけ目を細めた。
「信長じゃないよ」
「え?」
「あの女」
空気が変わった。
「あの女がやばいんだよ」
レイナの胸が強く鳴る。
「……萌呼さんが?」
「うん」
詠女は淡々と答えた。
「信長、昔からあんなじゃない」
三人が黙る。
レイナも。
詠女の次の言葉を待った。
「信長を狂わせたの、あの女だから」
風が吹いた。
戦で傷ついた薔薇の葉が、一枚だけ地面へ落ちる。
「……どういう意味ですの?」
レイナが尋ねる。
だが。
詠女はすぐには答えなかった。
ただ。
日本のある方角を見た。
レイナはもう一度、あの微笑みを思い出す。
『次に会う時までに、こちらの皆様へ、きちんとお別れをしておいてくださいね』
あの言葉は。
清司を迎えに来るという意味だったのか。
それとも。
もっと別の意味だったのか。
まだ。
誰にも分からなかった。




