第26話 戦いのあとということ
戦が終わっても、王都はすぐには静かにならなかった。
テルリッチ公園では壊れた柵や石畳の確認が続き、花田丸の周辺には負傷者が次々と運び込まれている。
味方だけではない。
捕らえられた日本兵たちも、同じ場所で治療を受けていた。
清司を三分間だけ現世へ呼び戻した反動で、リリアーナはまだ眠っている。
その横には、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が静かに立っていた。
レイナは一度だけ眠るリリアーナの顔を確かめると、すぐに周囲へ視線を戻した。
「重傷の方からお願いいたしますわ。敵味方で順番を変えないでくださいませ」
「分かった!」
レオンがすぐに返事をする。
「ノエルは治療を。アレクシスは搬送する方々の通路を空けてくださいませ」
「うん!」
「任せて!」
「ルシアンは、お水を冷やしていただけます?」
「戦のあとに氷屋みたいな扱いされてるんだけど」
「今、一番必要ですわ」
「それはそう」
ルシアンも素直に動き出した。
レイナは次々と指示を出しながら、自らも治癒魔法を使う。裂けた腕、折れた足、浅い火傷。状態を一人ずつ確認し、必要な処置を判断していった。
戦っていた時とは、まったく違う魔法の使い方だった。
「この方、傷は軽いのですが……」
声に振り返る。
スギナが、一人の若い日本兵の前にしゃがんでいた。
目立った怪我はない。
けれど、兵士の手はずっと震えている。
「もう大丈夫ですよ」
スギナは穏やかな声で話しかける。
「今は戦わなくて大丈夫です。こちらで傷つけられることもありませんから」
兵士は何も答えなかった。
それでもスギナは急かさない。
「お水は飲めそうですか?」
しばらくして、兵士が小さく頷いた。
「では、ゆっくり飲みましょう」
スギナは水を渡すと、そのまま隣へ座った。
傷だけではない。
戦が終わったあとに残る恐怖まで、彼女は見ていた。
「そっち、まだ人いるー?」
少し離れた場所では、パードがテルリッチ公園と花田丸を行き来していた。
「花田丸側、搬送ほとんど終わったよー!」
片手には救護用の布。
もう片方には記録用の機材。
負傷者の手当てを手伝いながら、状況を伝える仕事も止めない。
「現在、王都では負傷者の救護が続いています。捕虜となった日本兵も同じように治療を受けています」
機材へ向かう時だけ、少し表情を引き締める。
「テルリッチ公園と花田丸周辺は、まだ危ない場所も残ってるから、みんな勝手に入らないでね! 安全が確認できたらちゃんとお知らせしまーす!」
伝え終えると、すぐに機材を下ろした。
「はい! 次どこ?」
「こっちお願い!」
「了解ー!」
そして再び、救護へ戻っていく。
さらにその向こうでは。
「そこ! 順番変えんな!」
キルナの声が響いていた。
大きな鍋から、もうもうと湯気が上がっている。
「怪我人から先だ! 自分で動ける奴はちょっと待て!」
「でも、あいつら日本兵ですよ」
「だから何だよ」
キルナが睨む。
「腹減ってんのは一緒だろ」
「……はい」
「水も足りねぇぞ! 追加持ってこい!」
炊き出しの列には、リュミエールの兵も日本兵も並んでいる。
キルナは誰がどちら側だったかなど気にも留めず、同じように食事を渡していた。
レイナはその光景を遠くから見て、ほんの少しだけ表情を緩めた。
パード。
スギナ。
キルナ。
昨日まで一緒に怖いと話していた三人が、今はそれぞれの場所で誰かを支えている。
自分も同じだった。
怖くなかったわけではない。
それでも、やるべきことがあった。
その頃、王宮では戦後の会議が開かれていた。
会議へ呼ばれたのは、パード、スギナ、キルナ。そして詠女。
レイナは呼ばれていない。
リリアーナが眠っている今、現場を離れるつもりもなかった。
日が少し傾き始めた頃。
負傷者の数もようやく減り、レイナが最後の一人へ治癒魔法をかけ終えた時だった。
「レイナー!」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、パードがこちらへ歩いてくる。
その後ろにはスギナとキルナもいた。
会議を終えた三人だった。
パードはレイナの前まで来ると、まず周囲を見回した。
「レイナ、いける?」
「ええ。こちらはだいぶ落ち着きましたわ」
「そっか」
パードが大きく息を吐く。
そして。
「…………怖かったぁ……」
一気に肩を落とした。
「分かります……」
スギナまで、力が抜けたように息を吐く。
「マジで怖かったな……」
キルナも額を押さえた。
ついさっきまで、三人ともそれぞれの持ち場で動き続けていた。
誰も弱音を吐かなかった。
けれど。
もう大丈夫だと分かった途端。
張りつめていた糸が、同時に切れた。
「信長、何なのあれ……」
パードが半泣きで言う。
「黒王子たち全員で行っても普通に進んできたじゃん……!」
「本当に恐ろしい方でした……。黒き守護者様と皆様があれほど戦われているのに……」
「若頭まで出てきたのに止まらねぇとか、反則だろ……」
「私もですわ」
三人がレイナを見る。
レイナも小さく息を吐いた。
「本当に、怖かったですわ」
炎も。
水も。
風も。
土も。
雷も。
すべてぶつけた。
それでも信長は前へ進んできた。
思い出せば、まだ指先が僅かに冷える。
「でもさ」
パードが、急にレイナを見る。
「レイナも超かっこよかったからね!?」
「……私ですの?」
「そうだよ! 炎、水、風、土、雷って、全部使ってたじゃん!」
パードの目が一気に輝く。
「マジでびっくりした! あんな強いと思ってなかった!」
「私も驚きました」
スギナが何度も頷く。
「レイナさんがあれほどお強いとは思っていませんでした。とても格好よかったです」
「マジで強すぎだろ」
キルナも感心したように腕を組む。
「信長相手にあそこまで真正面からやり合ってんの見て、普通にビビったわ」
「ちょ、ちょっと皆さん……」
レイナが珍しく困ったように視線を逸らした。
「姫様を連れて行かれそうでしたから、必死だっただけですわ」
「必死であれできるのがヤバいんだって!」
「黒王子と並んで戦ってたじゃん!」
「黒き守護者様との連携も、とても綺麗でした」
「若頭とあんな息合うのすげぇよな」
「もう、そのお話はよろしいですわ!」
レイナの頬が僅かに赤くなる。
「照れてるー!」
「照れてませんわ!」
四人の間に、ようやく笑いが戻った。
戦が始まってから初めて。
誰も役目を背負っていない顔で、ほんの少しだけ笑えた。
「でもさ」
パードが目元を拭きながら、今度はニヤッとする。
「武将みんな超イケメンだったじゃん」
「……そこですの?」
レイナが思わず聞き返した。
「いや、だってほんとじゃん!」
「皆様、とても美しいお顔をされてました」
スギナまで素直に頷く。
「オーラあって、かっこよかったよな」
キルナも同意した。
「キルナさんまで!?」
「怖かったのとかっこいいのは別だろ」
「それそれ!」
パードがキルナを指差す。
「敵だけど顔はいい!」
「言い方が軽すぎますわ……」
「でもレイナだって信長見たでしょ? 超イケメンだったじゃん!」
「それは……」
レイナは一瞬だけ言葉に詰まった。
確かに。
恐ろしいほど強かったが、非常に整った顔立ちをしていた。
「……否定はいたしませんけど」
「ほらー!」
「否定しないんですね」
「だからと言って、あれほど怖い方を顔で評価する余裕はありませんでしたわ!」
「それはそう!」
また笑いが起きる。
「で」
パードが少しだけ姿勢を戻した。
「会議の話なんだけど」
「お願いいたしますわ」
レイナも表情を引き締める。
「やっぱり一番話に出たのは、信長」
パードが言う。
「黒王子のこと、昔から知ってるみたい」
「……志乃、と名乗っていましたわね」
「はい」
スギナが頷いた。
「黒き守護者様とは、以前から深い関わりがあるようです」
「若頭本人が全然分かってねぇのがややこしいけどな」
キルナが腕を組む。
レイナは静かに考えた。
あの男は確かに、清司へ言った。
『帰るぞ、清司』
まるで。
清司が自分のところへ戻るのが当然であるかのように。
「詳しい話は、まだ全部整理できてないみたい」
パードが続ける。
「でも、信長以外にも前に出てきた武将が二人いたでしょ?」
「ええ。遠くでロイヤル・フラグメントの皆様と戦っていた方々ですわね」
「名前、分かったんです」
スギナが言う。
「お一人は、真田幸村様だそうです」
「真田、幸村……」
「あの槍持って突っ込んできた人!」
パードがすぐに言う。
「さわやか系のイケメンだったじゃん!」
「とても凛々しい方でしたね」
スギナも頷く。
「戦い方も真っ直ぐだったな」
キルナが言った。
「そうでしたのね」
レイナは、ほとんど記憶にない戦場の別側を思い返そうとした。
だが、あの時は信長とリリアーナしか見えていなかった。
「それで」
パードが少し身を乗り出す。
「もう一人が――伊達政宗って人らしい」
「……伊達、政宗?」
「そう!」
パードの目がまた輝いた。
「てかあの人、超オーラあったじゃん! めっちゃイケメン!」
「はい。とても存在感のある方でした」
スギナも素直に頷く。
「信長に負けねぇくらいオーラあったよな」
キルナまで感心したように言った。
「分かるー! 顔もめっちゃ良かったし!」
「皆さん、そこまで見ていらしたのですか……?」
「戦ってたから見えるって!」
「かなり目立ってましたし」
「隠せるオーラじゃなかっただろ、あれ」
「そうですのね」
レイナは小さく頷いた。
「伊達政宗……」
もう一度、その名前を口にする。
けれど。
何かを思い出したわけではない。
胸が高鳴ったわけでもない。
特別な感覚など、何一つなかった。
この時のレイナにとって。
伊達政宗という名前は、戦場にいた武将の一人。
今日、初めて知った名前。
ただ、それだけだった。
まだレイナは知らない。
その名前を、これから何度も口にすることになるなど。
そして。
戦場で一度も目を合わせなかったその男が、自分の人生に深く関わっていくことなど。
今はまだ、何も知らなかった。




