第25話 天下のあとで
織田信長が天下を取った。
その知らせは、瞬く間に各地へ広がった。
城下には祝いの旗が並び、街道には各国からの使者や大名たちの列が続く。
天下統一を祝うため。
そして、新たな天下人となった織田信長へ挨拶をするためだった。
広間には、名だたる武将たちが集まっていた。
武田信玄。
上杉謙信。
毛利元就。
長宗我部元親。
北条氏康。
今川義元。
島津の者たち。
立花宗茂。
直江兼続。
黒田官兵衛。
竹中半兵衛。
前田利家。
柴田勝家。
加藤清正。
福島正則。
徳川家康。
石田三成。
真田幸村。
豊臣秀吉。
本来なら時代も土地も違うはずの顔ぶれが、一堂に会している。
この世界では、それが普通だった。
「いや、普通じゃねぇな」
政宗は広間を見渡しながら小さく呟いた。
「何か申したか?」
隣にいた幸村が振り返る。
「何でもねぇよ」
広間の奥。
高く設けられた席には、信長が座っていた。
天下人。
その言葉に相応しい空気が、広間全体を支配している。
誰もが信長の前へ進み出るたび、深く頭を下げた。
「天下統一、誠におめでとうございます」
「見事にございます」
「今後とも、よしなに」
信玄も。
謙信も。
元就も。
誰もが、天下人として信長へ礼を通す。
家康に至っては、順番が近づくほど顔が硬くなっていた。
「家康」
信玄が小声で呼ぶ。
「何だ」
「肩に力が入りすぎじゃ」
「入るに決まっておろう」
「天下人じゃぞ」
「だからだ!」
「先ほどから同じことしか申しておらぬぞ」
「うるさい!」
少し離れた場所で、秀吉が肩を揺らして笑っている。
三成がすぐに睨んだ。
「秀吉様。笑わないでください」
「家康が面白いのでな」
「聞こえております!」
「そうか」
「そうか、ではありません!」
幸村も笑いを堪えている。
その横で、政宗だけはまったく緊張していなかった。
やがて。
「伊達政宗」
名を呼ばれる。
広間の空気が僅かに変わった。
政宗はゆっくり前へ出た。
周囲の武将たちが、その背中を見る。
天下を争った男。
信長と同じく、早くから大きな領地を持ち、戦い、国を広げてきた男。
その政宗が、天下を取った信長へ何を言うのか。
誰もが少しだけ注目していた。
政宗は信長の前まで歩く。
そして。
立ったまま、口元を上げた。
「よぉ、吉法師」
広間が凍った。
「…………」
家康の顔から血の気が引く。
三成が目を見開いた。
幸村が「おお……」と小さく声を漏らす。
勝家の眉が跳ね上がった。
「政宗殿!」
三成が思わず声を上げる。
「何だよ」
「何だよ、ではありません! 天下人です!」
「知ってる」
「なら何故!」
「吉法師は吉法師だろ」
家康が頭を抱えた。
「終わった……」
「何がだ」
「お前がだ!」
秀吉だけが、とうとう声を上げて笑った。
「はっはっは! 政宗らしいのう!」
「秀吉様まで笑わないでください!」
「三成は相変わらず真面目じゃのう」
「今は真面目でいてください!」
広間の奥。
信長は何も言わず、政宗を見ていた。
しばらくして。
口元が僅かに上がる。
「相変わらず無礼じゃな」
「今さらだろ」
「そうじゃな」
その瞬間。
広間の空気が、ほんの少しだけ変わった。
天下人と一大名ではない。
幼い頃から競い続けた二人。
梵天丸と吉法師。
そんな昔へ、一瞬だけ戻ったようだった。
信長は政宗を見下ろしながら、少しだけ得意そうに笑った。
「政宗」
「何だよ」
「わしの勝ちじゃったな」
政宗の眉が上がる。
広間にいる者たちは、何の話か分からず二人を見る。
だが。
政宗には分かっていた。
幼い頃。
まだ互いに小さかった頃。
『どっちが先に天下を取るか、勝負じゃ!』
あの日から続いていた勝負。
信長は、ずっと覚えていた。
政宗はしばらく信長を見たあと、ふっと笑った。
「あぁ」
素直に頷く。
「天下取る勝負は、お前の勝ちだ」
信長の笑みが深くなる。
「ようやく認めたか」
「認めるも何も、結果出てるだろ」
「ならば、もう少し悔しそうな顔をせよ」
「何でだよ」
「わしが面白くない」
「知らねぇよ!」
広間の空気が少し緩む。
勝家が小さく呟いた。
「何だ、この会話は……」
利家が困ったように笑う。
「幼馴染というやつではないか?」
「そういう問題か?」
元就は扇の向こうで笑っていた。
「面白いものじゃのう」
謙信も静かに二人を見ている。
信玄だけは、やけに楽しそうだった。
「天下人にも、ああいう顔があるのじゃな」
「貴方まで面白がらないでください」
家康が疲れた声で言った。
信長は、再び政宗を見る。
「政宗」
「今度は何だ」
「わしの下につけ」
広間が、再び静まり返った。
さっきまでの笑いが、一瞬で消える。
それは冗談ではなかった。
天下人となった信長が、政宗を自らの下へ置こうとしている。
勝家も。
利家も。
家康も。
三成も。
誰もが政宗の答えを待った。
政宗は信長を見る。
少しだけ間を置き。
「嫌だね」
広間の何人かが息を呑んだ。
「政宗殿!!」
三成がまた声を上げる。
「何でお前が怒るんだよ!」
「天下人から直々のお言葉ですよ!」
「だから?」
「だからではありません!」
「三成」
秀吉が肩を叩く。
「もう諦めよ」
「秀吉様!」
信長は怒らなかった。
ただ、政宗をじっと見る。
「何故じゃ」
政宗は、少しだけ目を細めた。
「お前が天下人になったことは認める」
「ならば何故、わしの下につかぬ」
「それとこれとは別だろ」
政宗は迷わず言った。
「俺は伊達政宗だ」
広間が静かになる。
「俺の国は、俺が守る」
信長は黙って聞いている。
「お前が天下を取ったからって、俺までお前のやり方で国を治める必要はねぇ」
「わしのやり方が気に入らぬと申すか」
「強いとは思ってる」
政宗は即答した。
「天下取る器があるのも分かってる。俺より先に取った。それも認める」
そこで一度言葉を切る。
「でも俺は、俺のやり方でいく」
信長の眉が僅かに動いた。
「何が違う」
「国は土地だけじゃねぇ」
政宗は言った。
「そこに住んでる奴らがいて、仕事して、飯食って、家族作って、生きてる」
戦だけを見ていた頃には、分からなかった。
領地を広げることしか考えていなかった頃には、見えていなかった。
だが今は違う。
「俺は俺の国を見てぇ」
政宗の声は静かだった。
「水が足りねぇなら水を引く。道が悪いなら直す。兵が戦えなくなったなら、別にできること探す」
広間の何人かが僅かに表情を変える。
「必要なら斬る」
政宗は続けた。
「でも、斬らなくていい奴まで斬る気はねぇ」
信長は政宗をじっと見る。
「甘いのう」
「かもな」
「その甘さで、国が守れるか」
「守ってみせる」
即答だった。
信長の目が細くなる。
政宗も逸らさない。
二人の間に、再び幼い頃とは違う緊張が生まれた。
それでも。
政宗は笑った。
「天下取る勝負は負けたけどな」
「……」
「国の作り方まで、お前に負ける気はねぇよ」
信長の口元が、僅かに上がった。
「ただ」
政宗がふと横を見る。
その視線の先に、秀吉がいた。
「こいつには興味ある」
「儂か?」
「お前だよ」
秀吉が自分を指差した。
「何故じゃ」
「百姓だったんだろ」
「そうじゃ」
「それがここまで来た」
「まあのう」
「それだけでも面白ぇけど」
政宗は少し笑う。
「お前、人から国を作るだろ」
秀吉の目が僅かに変わる。
「何ができるか見て、できる場所に置く」
「使える者は使う。当然ではないか」
「でも、無理やり全部決めるわけじゃねぇ」
政宗は続けた。
「やりたいか聞く」
三成と幸村が静かに秀吉を見る。
「命じられて動く百と、自分で選んで動く百は違う」
政宗は言った。
「俺、それは分かる」
秀吉がゆっくり笑った。
「人は、己で選んだことには強いからのう」
「それだよ」
政宗の口元が上がる。
「だから、お前のやり方はまだ見てぇ」
「ほう」
「また行くわ」
「どこへじゃ」
「お前んとこ」
「勝手に決めるな!」
三成が即座に割って入った。
「何でだよ」
「何でではありません! 秀吉様のところへ勝手に出入りしないでください!」
「別にいいだろ」
「よくありません!」
「儂は構わぬぞ」
「秀吉様!」
幸村が勢いよく身を乗り出す。
「ならば私も一緒に行くぞ!」
「お前はもう秀吉んとこにいるだろ!」
「そうだった!」
「忘れんなよ!」
秀吉が声を上げて笑う。
「はっはっは! 好きに来ればよい!」
「じゃあそうする」
「勝手に決まりましたね……」
三成が深く息を吐いた。
信長は、そのやり取りを黙って見ていた。
「政宗」
「何だ」
「秀吉につくつもりか」
「つかねぇよ」
政宗はあっさり答えた。
「誰の家臣にもなる気はねぇ」
「では何故、秀吉のところへ行く」
「興味あるから」
「それだけか」
「それだけで十分だろ」
政宗は笑った。
「俺は俺の国を守る」
その視線は真っ直ぐ信長へ向いている。
「必要なら上洛もする。お前が天下人なのも認める」
だが。
「俺は俺だ」
信長は、しばらく何も言わなかった。
やがて。
「好きにせよ」
政宗の笑みが深くなる。
「最初からそのつもりだ」
「相変わらずじゃな」
「お前もな」
二人は、ほんの一瞬だけ笑った。
天下人と大名ではなく。
吉法師と梵天丸だった頃のように。
「それでは」
官兵衛が静かに口を開いた。
「政宗殿は、織田家の家臣にはならず、伊達家当主として領地を治める。ただし、天下人としての信長様には礼を通し、必要に応じて上洛する」
「そういうこと」
「そして秀吉様のところへは」
「遊びに行く」
「遊びではありません!」
三成が即座に叫ぶ。
「じゃあ見学」
「それも違います!」
「面倒くせぇな!」
「貴方が雑なのです!」
秀吉は肩を揺らして笑い、幸村も楽しそうに笑っている。
家康は遠くから、そのやり取りを見ていた。
「何だ、あの集まりは……」
信玄が腕を組む。
「楽しそうではないか」
「私は混ざりたくない」
「そうか?」
「絶対に嫌だ」
元就は扇の向こうで笑っていた。
「これから、ますます面白くなりそうじゃのう」
天下人となった織田信長の前。
各地の名だたる武将たちが集う中。
政宗は、誰かの下へ入る道を選ばなかった。
信長の天下を認める。
必要なら上洛もする。
それでも。
自分の名も。
自分の国も。
自分のやり方も。
手放さない。
そして。
天下を取った信長とは違う方法で、人から国を作ろうとする秀吉へ、政宗は強い興味を抱いた。
今はまだ、それだけだった。
幼い頃から続いた天下取りの勝負は、信長の勝ちで終わった。
けれど。
政宗がどんな国を作り、誰と肩を並べるのか。
その先まで、決まったわけではなかった。




