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婚約破棄された悪役令嬢は、有能すぎました  作者: 夜嶋朔


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第24話 立ち向かうこと

 鐘が鳴った。


 カン。


 カン。


 カン。


 テルリッチ公園に響く音を聞いた瞬間、レイナの胸が強く跳ねた。


 前日、パードたちと並んで花田丸を眺めながら言った言葉を思い出す。


『怖いの、みんな一緒』


『私たちは私たちで、やれることやろ!』


 怖さが消えたわけではない。


 誰が来るのか。


 何のために来るのか。


 まだ、何も分かっていなかった。


 それでも、戦は始まった。



 王都では、すでに決められていた通りに人々が動いていた。


 パードは港へ。


 スギナは怪我人と、不安を抱える者たちのもとへ。


 キルナは炊き出しへ。


 レイナにも、戦が終われば救護という大切な役目がある。


 だが。


 今、目の前へ迫っている敵を止めなければ、救護する場所そのものが奪われる。


 レイナはドレスの裾を握り、テルリッチ公園の奥を見た。


 野外舞台の上にはリリアーナがいる。


 その横には、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、いつものように静かに立っていた。


「姫様……」


 レイナは息を整えた。



 公園へ流れ込んできた大軍は、リリアーナが見せた隙へ次々と入り込んでいった。


 未完成の舗装。


 低い薔薇の柵。


 花壇。


 売店。


 どう見ても守りの薄い場所。


 敵はそこを弱点だと思った。


 けれど、それこそがリリアーナの狙いだった。


 敵が入り切った瞬間、花田丸が姿を変えた。


 薔薇の柵が立ち上がり、道が閉じる。


 可動柵が動き、広かったはずの通路が細くなる。


 敵兵は前へも後ろへも進めなくなり、自分たちの数で身動きを失っていった。


「……姫様が、ここへ入らせたのですわね」


 レイナは息を呑んだ。


 勝てると思わせた。


 抜けられると思わせた。


 そのうえで、敵自身に選ばせた。


 リリアーナは野外舞台の上から戦場全体を見ている。


 その隣の清司も、ただ静かに敵軍の流れを追っていた。


 やがて、敵の前方と後方が完全に切り離される。


 王宮モビーズが網を投げ、ロイヤル・フラグメントが各所へ散った。


 殺すためではない。


 止めるため。


 捕らえるため。


 武器を捨てた者へは、誰も攻撃しなかった。


「……これが、姫様の戦い方」


 レイナは小さく呟いた。



 その時。


 戦場の空気が変わった。



「何をしておる」



 低い声だった。


 怒鳴っているわけでもない。


 それなのに、敵兵たちの身体が一斉に強張った。


 黒い旗の向こうから、一頭の馬が進み出る。


 黒い甲冑。


 整った顔立ち。


 鋭い目。


 遠くからでも分かるほど強い存在感。


 レイナは、一目で悟った。


「……あの方が」


 心臓が早くなる。


「織田信長……」


 以前、平安あやかし勢をこの国へ向かわせた男。


 すでに天下を取った男。


 何を求めてここまで来たのか。


 レイナには分からない。


 ただ。


 信長の視線が、最初からある一点へ向いていることだけは分かった。


 リリアーナ。


 そして、その横に立つ清司。


 信長は高台の下まで来ると、リリアーナを見上げた。


「まだ分からぬのか」


 レイナの眉が寄る。


「志乃じゃ」


「……志乃?」


 知らない名前だった。


 だが、リリアーナの目が大きく見開かれた。


 信長は手を差し出す。


「帰るぞ、清司」


 その言葉に、レイナの身体が動いた。



「お待ちくださいませ!!」



 声が戦場へ響いた。


 レイナはリリアーナの前へ走り出していた。


「レイナ!」


 リリアーナが振り返る。


 レイナは構わず、その前へ立つ。


「どなたか存じませんが、姫様を連れて行くことは許しませんわ!」


 信長がレイナを見る。


「退け」


「お断りいたします!」


 怖かった。


 目の前にいるだけで分かる。


 この男は強い。


 ロイヤル・フラグメント七人が次々と立ちはだかっても、信長は止まらなかった。


 レオンの盾を弾き。


 セシルの攻撃をかわし。


 ルシアンの氷を踏み越え。


 アレクシスの障壁を割る。


 それでも、誰一人として退かなかった。


「リリアーナには触れさせない!」


 エリオットが正面から剣をぶつける。


 その横からレオンが盾を叩き込み、エミールの風が信長の身体を押した。


 ルシアンの氷が足元を捕らえる。


 信長が強引に抜け出した瞬間。


「そこですわ!」


 レイナが手を振った。


 炎が走った。


 信長が身を翻す。


 逃れた先へ、水の帯が絡みつく。


 刀で水を断ち切った瞬間、突風が横から吹きつけた。


「まだですわ!」


 地面が隆起する。


 土の壁が信長の退路を塞いだ。


 信長が跳ぶ。


「逃がしません!」


 雷が落ちた。


 轟音と光が戦場を包む。


 敵兵たちが思わず顔を覆った。


 煙の中から、信長が飛び出してくる。


 レイナは両手を広げた。


 炎。


 水。


 風。


 土。


 雷。


 次々と形を変えながら、すべての魔法が信長へ襲いかかる。


「……全部使うのかよ!」


 離れた場所で誰かが驚く声が聞こえたが、レイナには振り返る余裕などなかった。


 姫様を守る。


 それしか考えていない。


 炎が刀の軌道を逸らし、水が足を止める。


 風で身体を押し戻し、土で進路を狭め、そこへ雷を落とす。


 だが。


 信長は、それでも止まらない。


「何ですの、この方……!」


 これだけの魔法を浴びながら、なお前へ進んでくる。


 レイナの背筋に冷たいものが走った。


 それでも、一歩も退かなかった。



「レイナ、下がれ」


 背後から声がした。


 振り返る。


 リリアーナが、隣に立つ清司へ手を伸ばしていた。


「来い、清司」


 足元に魔法陣が広がる。


 刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が光に包まれ、その身体へ一時的な肉体が与えられていく。


 光が消えた。


 黒い革靴が地面を踏む。


「……清司さん」


 何度も見てきた姿。


 ずっと隣にいる魂。


 けれど。


 実際にそこへ立ち、地面を踏み、自分と同じ空気の中にいる清司を見るのは違った。


 胸が熱くなる。


 だが。


 感動している暇などなかった。


 信長が刀を構える。


 清司も刀を下ろした。


 二人が同時に地面を蹴る。


 刃と鞘が激突し、重い音が公園に響いた。


「清司さん!」


 レイナもすぐに両手を広げる。


 炎が信長の視界を奪い、水が足元を絡め取る。


 風が逃げ道を絞り、土が背後を塞いだ。


 その一瞬へ、清司が入る。


 鞘が信長の脇腹へ叩き込まれた。


 信長が後ろへ滑る。


 レイナは間髪を入れず、雷を落とした。


 信長は刀で受けながら横へ飛ぶ。


 そこへ清司が迫る。


 二人の動きは、言葉を交わしているわけでもないのに噛み合っていた。


 信長の刀を清司が止める。


 動きが止まった瞬間、レイナが魔法を放つ。


 レイナの魔法から逃れた場所へ、清司がいる。


 信長の頬へ、清司の鞘が掠めた。


 一筋の血が流れる。


 それを指先で拭った信長が――笑った。


「……笑っておりますの?」


 レイナの背筋がぞくりとした。


 この男は。


 この状況を楽しんでいる。



 その頃。


 戦場の別の場所では、伊達政宗が公園の奥を見つめていた。


 政宗の視線は、一人の男へ向いている。


 黒いスーツ。


 刀。


 見間違えるはずがない。


「……清司」


 小さく、その名を呼ぶ。


 前世の記憶が、一瞬だけ胸を掠めた。


 だが、政宗の視線はすぐに別の場所へ移った。


 目の前では、清司の国の者たちが戦っている。


 ノエル。


 セシル。


 ルシアン。


 レオン。


 アレクシス。


 どいつも若い。


 それなのに。


 誰も敵を殺そうとしていない。


 武器を落とし。


 道を塞ぎ。


 動きを止め。


 負傷した敵まで助ける。


「……面白ぇ」


 政宗の口元が上がった。


「何がだ?」


 隣にいた幸村が槍を構えながら尋ねる。


「清司の国の奴らだよ」


「強いな!」


「あぁ」


 政宗は目を細めた。


「でも、それだけじゃねぇ」


 レオンが敵兵の槍だけを光で弾き飛ばす。


 ルシアンは氷で道を塞ぐが、兵そのものを凍らせない。


 セシルは武器を奪い、アレクシスは障壁で退路を変える。


 ノエルは倒れた敵へ迷わず回復魔法をかけていた。


「殺さずに勝つ気だ」


 幸村も目を見開く。


「そんな戦い方があるのか?」


「目の前でやってんじゃねぇか」


 政宗は笑った。


 土地を取る。


 勝った後に守る。


 人を生かして国にする。


 それを自分も学んできた。


 だが、清司の国はさらに徹底している。


 戦場にいる敵すら、勝った後に生きていることを前提に戦っている。


「こいつらの戦い方」


 政宗は剣を抜いた。


「自分で受けてみてぇな」


「ならば行くぞ!」


 幸村が勢いよく飛び出す。


「おい!」


 政宗もすぐに後を追った。


「抜け駆けすんなよ。俺も混ぜろ!」



 最初に幸村へ向かったのはレオンだった。


 槍と盾が正面からぶつかり、足元の石畳が割れる。


 横からセシルが入り、槍の柄を狙う。


 幸村が槍を回して弾いた瞬間、別方向から風が吹き、身体の向きを変えられた。


「面白い!」


 幸村が笑う。


 一方、政宗の前へ立ったのはアレクシスだった。


 透明な障壁が、振り下ろした剣を止める。


「硬ぇな」


「通さないよ!」


 政宗は一度下がると、今度は角度を変えて斬り込んだ。


 障壁が二重に広がる。


 その足元から、氷が伸びた。


「おっと」


 政宗が跳ぶ。


 目の前にはルシアン。


「魔法ばっかりとは、ずるくないか?」


「戦場でそんなこと言う?」


 ルシアンが真顔で返す。


 政宗は声を上げて笑った。


「嫌いじゃねぇよ!」


 着地と同時に剣を振るう。


 アレクシスが障壁で受け止め、ルシアンが政宗の足元だけを凍らせる。


 政宗は力任せに氷を砕いた。


 その瞬間、横からレオンの光が飛んでくる。


 政宗は剣で弾きながら、さらに笑みを深くした。


「ちゃんと俺じゃなくて武器狙ってやがる」


「当たり前だよ!」


「何でだ?」


「倒すためじゃないから!」


 アレクシスが即答した。


「止めるためだよ!」


 政宗の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。


 すぐに笑った。


「なるほどな」


 清司の国。


 清司が選んだ場所。


 そこで育った奴ら。


「そういうことかよ」


 政宗はもう一度剣を構えた。


「ますます面白ぇ」


 そのまま、ロイヤル・フラグメントへ飛び込んでいった。



 レイナは、そんな政宗の存在を知らなかった。


 遠くで別の戦いが始まったことには気づいていた。


 だが、それが誰なのかを見る余裕などない。


 目の前には信長がいる。


 清司がいる。


 リリアーナがいる。


「姫様を……!」


 レイナは再び魔力を集めた。


「絶対に、連れて行かせませんわ!!」


 炎が大きく燃え上がる。


 水が渦を巻く。


 風が花びらを巻き上げる。


 地面が震え。


 空から雷が落ちる。


 五つの魔法が、同時に信長へ襲いかかった。



 やがて、清司の身体が淡い光に包まれ始めた。


 三分。


 与えられた時間が終わる。


「清司さん!」


 清司が最後に信長の刀を弾く。


 その直後、光の中へ姿が消えた。


 同時にリリアーナの膝から力が抜ける。


「姫様!」


 レイナは魔法を解き、一直線に駆けた。


 倒れかけた小さな身体を抱き止める。


「姫様! しっかりなさってください!」


 信長は追わなかった。


 倒れたリリアーナを見つめたまま、静かに刀を下ろす。


「今日はここまでじゃ」


 戦場の空気が少しだけ緩んだ。


 だが。


 その後方。


 白い馬車の窓が、静かに開いた。


 青白い手が窓枠へ添えられる。


「今日は、もう帰りましょう」


 柔らかな女の声だった。


 御命萌呼。


 レイナは初めて、その姿をしっかりと見た。


 病弱そうなほど細く。


 儚げで。


 声も穏やかだった。


 それなのに。


 なぜか。


 背筋が冷えた。


「清司様にも、お別れをする時間が必要でしょうから」


 萌呼は優しく微笑む。


「次に会う時までに、こちらの皆様へ、きちんとお別れをしておいてくださいね」


「……」


 レイナは何も言えなかった。


 意味は分からない。


 何を言っているのかも、まだ分からない。


 ただ。


 リリアーナを抱く腕へ、無意識に力が入った。


 絶対に離さない。


 そう思った。



 敵軍が退き始めると、レイナはすぐに立ち上がった。


「怪我をされた方をこちらへ! 重傷者を先にお願いいたします!」


 戦いは終わった。


 ならば次は、自分に任されたもう一つの役割だった。


 敵も。


 味方も。


 関係ない。


 傷ついた者へ治癒魔法をかけ、一人ずつ助けていく。


 少し離れた場所では、政宗も剣を収めていた。


 その視線は最後まで、清司が消えた場所と、目の前で戦ったロイヤル・フラグメントへ向いていた。


 レイナは政宗を見なかった。


 政宗も、レイナを見なかった。


 互いの名前も知らない。


 互いの顔さえ、まだ知らない。


 まだこの二人は、互いが自分の人生に深く関わっていくことを知らない。


 ただ確かに。


 この時、二人は同じ場所に存在していた。

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