第18話 仲間ということ
その日の魔法実習で、レイナは忘れられない光景を見た。
魔法陣が強く光った次の瞬間、いつもリリアーナの隣に立っている、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が、白い光の中から現実の空気の中へ姿を現したのだ。
普段からレイナには、その姿が見えている。姫様の隣に立ち、刀を肩へ担ぎ、何かあれば誰より先に反応する清司さんを、ずっと見てきた。
けれど、その日は違った。
教師も、生徒たちも、ロイヤル・フラグメントの皆も、同じように清司さんを見ていた。
「……清司さんが……」
思わず両手を胸の前で組む。
姫様の中にいる清司さんが、本当にこの世界へ立っている。
そう思っただけで、胸が高鳴った。
「生で見られて最高です……!」
思わず漏れた声に、周囲が一瞬こちらを見たが、レイナにはそれどころではなかった。
訓練用の兵士がリリアーナへ向かって走り出すと、清司は一瞬で地面を蹴った。
刀が抜かれ、黒い刃が横へ走る。
上級生が複数人で相手をするという訓練人形が、一撃で真っ二つになった。
「……素敵ですわ……」
今度は意識して動かしてみるよう教師に言われ、リリアーナが頭の中で指示を出す。
右へ。
低く。
斬る。
言葉にしていないはずなのに、清司はその通りに動き、石の剣ごと訓練人形の腕を斬り飛ばした。そのまま踏み込み、二撃目で胴体を崩す。
レイナは完全に見惚れていた。
いつも見ている姿なのに。
今日は、本当に刀が届く。
本当に守れる。
本当に戦える。
それが、たまらなく嬉しかった。
けれど、その時間はわずか三分だった。
突然、リリアーナの膝から力が抜ける。
「姫様!」
ミレーヌがすぐに抱き止め、レイナも反射的に駆け寄った。
清司も手を伸ばしたが、その指が触れる前に体が白い光へ変わり、次の瞬間にはまたいつものようにリリアーナの隣へ戻っていた。
「全身、動かん……」
車椅子へ座らされたリリアーナは、ぐったりと背もたれへ沈み込んでいる。
先ほどまでの感動は一瞬で吹き飛んだ。
「もう使ってはなりませんわ!」
「レイナ、判断早ない?」
「三分で姫様が動けなくなる魔法など、危険すぎます!」
「せやな……」
その横でミレーヌのペンが動く。
『清司さん実体化。
戦闘可能時間、三分。
全体力消費。
原則、使用禁止。』
「禁止まで書くん?」
「清司さんは無理をなさいますので」
「私も賛成ですわ」
「二対一やんけ」
レイナは少しだけ困ったように笑ってから、もう一度リリアーナの隣へ目を向けた。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司は、何事もなかったようにそこに立っている。
本当に格好よかった。
できることなら、もう一度見たい。
けれど。
姫様が倒れるくらいなら、見なくていい。
そう思えるくらいには、今のレイナにとって、姫様自身の方が大切になっていた。
そして、その日の出来事は、それだけでは終わらなかった。
魔法実習のあと、アレクシスが連れてきた新しい顔ぶれの中に、中華料理人がいた。
「ラーメン作れるか?」
姫様は、ほとんど挨拶もせずに聞いた。
「作れますとも。中華四千年に、不可能はありません」
「勝った!!」
「まだ何も始まってねぇだろ!」
すぐ横から飛んできた声に、レイナは思わずそちらを見る。
黒に近い赤の特攻服。
鋭い目。
荒い言葉。
キルナと名乗った女性だった。
けれど、レイナは最初から、彼女を怖いとは思わなかった。
誰かが話している時は、必ずその人を見る。
仲間が前へ出れば、自然と周囲へ目を配る。
少し空気が荒れそうになると、何も言われる前から体がそちらを向いている。
口調よりも先に、人を見ている。
そういう人だった。
だから、姫様が各人の役割を決めていく中で、最後にキルナへ視線を向けた時。
レイナは、きっとそうなると思った。
「お前は全体まとめろ」
「は?」
「総長やろ」
「元だよ!」
「一緒や」
「一緒じゃねぇ!」
「人まとめるん慣れとる。各班繋げ。揉めたら止めろ。困っとる奴おったら拾え」
キルナはしばらく姫様を見たあと、少しだけ口元を上げた。
「……よく見抜いてんじゃねぇか」
「元若頭や」
「なるほどな」
「せやから、お前に任せる」
「上等だ」
その短いやり取りを見ながら、レイナは小さく笑った。
やはり姫様も、同じところを見ていた。
姫様はいつも、人の表面ではなく、その人が何をできるのかを見る。
悪役令嬢という言葉の奥にいた自分を見てくれた時と、何も変わらない。
放課後になる頃には、もう王宮で次の仕事が動き始めていた。
今度はラーメン産業だった。
リュウが技術を担い、ロアンが新しく学び、ロンポウが餃子や肉まん、小籠包を教える。ホノヲは火を扱い、工場では生活に困っている者から優先して雇うことになった。
経験がなくてもいい。
文字が書けなくてもいい。
最初から何でもできる必要はない。
具材を切る者。
麺を作る者。
包む者。
運ぶ者。
洗う者。
掃除をする者。
その人にできる持ち場を見つければいい。
「働かせる前に、人を戻す。そこからや」
姫様の言葉を聞きながら、レイナはまた胸の奥が温かくなるのを感じた。
葉巻や煙草の時も。
パンの時も。
怨霊を式神へ変えた時も。
姫様は、何かを作ることだけを見てはいなかった。
その先にいる人を見る。
誰が働けるようになるのか。
誰が食べられるようになるのか。
誰がもう一度、生き直せるのか。
今回も同じだった。
しかも、ラーメン工場だけでは終わらない。
帝国班とあやかしたちが組み、住居、道、水、医療、仕事まで含めて、貧民街そのものを立て直す話へ広がっていった。
かつて人を沈めていた式神も、今では晴明と共に新しい水路を作る側にいる。
レイナは、その姿を見るたびに、少しだけ泣きそうになった。
人を怖がらせていた水が。
今は、人を生かすために流れる。
それを可能にしたのも。
姫様だった。
会議が終わる頃。
レイナは、少し離れたところで腕を組んでいるキルナへ目を向けた。
新しく来たばかりで、まだこの場所に馴染んでいるとは言えない。
けれど。
きっと。
この人も仲良くなれる。
そう思った。
「キルナさん」
「あ?」
鋭い目がこちらを向く。
「今度、みなさんで集まりますの」
「みなさん?」
「パードさんと、スギナさんと」
レイナは自然に笑った。
「キルナさんも来られたら、みなさん喜びますわ」
キルナが少しだけ目を丸くする。
「……あたしが?」
「はい」
「なんで」
「一緒にお話ししたいからですわ」
レイナにとっては、それだけだった。
能力があるからでも。
姫様が役目を与えたからでもない。
ただ。
一緒に話したら、きっと楽しい。
そう思った。
「嫌でしたら無理には」
「行く」
返事は早かった。
今度はレイナの方が少し驚く。
「本当ですの?」
「悪いかよ」
「いいえ。嬉しいですわ」
「……そういう言い方すんな」
「どうしてですの?」
「なんでもねぇ」
キルナは顔を背けた。
耳が少しだけ赤い。
レイナは、それ以上聞かなかった。
数日後。
いつもの貧民街の公園には、レイナ、パード、スギナ。
そして。
今日はキルナもいた。
パンチで買ったパンと飲み物を広げ、四人でベンチを囲む。
「なんで公園なんだよ」
キルナが周囲を見ながら聞く。
「落ち着くじゃん」
パードがパンの袋を開ける。
「パンチ近いし」
「それだけかよ」
「結構大事だよ?」
「ここは空気もいいんです!」
スギナが嬉しそうに言う。
「波動とか言うなよ」
「まだ何も言ってません!」
「言いそうだった」
「言おうとはしました!」
「やっぱりな」
三人のやり取りを見ながら、レイナは笑った。
少し前まで、ここには三人しかいなかった。
今は四人。
それが、なんとなく嬉しい。
「そういえば!」
パードがレイナを見る。
「今日、なんかすごいことあったんでしょ?」
その瞬間。
レイナの表情が一気に明るくなった。
「聞いてくださいませ!」
普段より少しだけ前のめりになる。
「清司さんが、本当に現実へ出てこられたんですの!」
「え?!」
パードが目を大きくする。
「黒王子ガチ召喚?!」
「黒き守護者様が?!」
スギナまで身を乗り出した。
キルナも一瞬で反応した。
「え?! 召喚魔法で若頭でてくんのか?!」
「はい!」
レイナは嬉しそうに頷いた。
「皆様にも見えるお姿で、本当に刀を抜いて、訓練人形を真っ二つになさったんですの!」
「マジかよ!」
「絶対かっこいいじゃん!」
「絶対に素敵です!」
「とても格好よかったですわ……!」
四人の声が一気に重なる。
少しだけ間が空いた。
キルナが三人を見る。
「お前ら、ほんと好きなんだな」
パードが笑う。
「キルナもじゃん」
「……まあな」
スギナも嬉しそうに笑った。
「みんな同じです!」
「呼び方は全員違いますけれど」
レイナが言うと。
パードが指を折る。
「レイナは清司さん」
「私は黒き守護者様です!」
「パードは黒王子」
「で、あたしは若頭」
「全員同じ方ですわね」
「統一感ゼロじゃん!」
四人で笑った。
けれど。
パードがすぐに聞く。
「でも、三分しか出られないんでしょ?」
レイナの表情が少し変わる。
「そうなんですの……」
さっきまでの喜びが少しだけ薄れた。
「姫様が、全身動かなくなってしまって」
「それは危険です!」
スギナがすぐに反応する。
「もう使わせない方がいいじゃん」
パードも真顔になる。
キルナも眉を寄せた。
「……それは出すな」
三人が同時に頷いた。
「ですよね」
レイナも、ほっとしたように笑う。
「私も、もう使っていただきたくありませんわ」
「見たいけどな」
キルナがぼそっと言う。
「見たいけど」
パードも言う。
「見たいですけれど」
スギナまで続ける。
レイナも少しだけ迷ってから。
「……私も、見たいですわ」
一拍。
「でも、だめです」
「それな」
また四人で笑った。
しばらくして。
パードが飲み物を一口飲みながら、何でもないように言った。
「で、次はラーメンかぁ!」
楽しそうに笑う。
「止まんないじゃん!」
キルナが眉を寄せた。
「……次は?」
三人が同時にキルナを見る。
「何だよ」
パードが少し笑った。
「そういえば、キルナってまだ何も知らないんだ」
「何を?」
「姫様が今まで始めたことですわ」
レイナが答える。
キルナは少しだけ興味を持ったように身を乗り出した。
「そんなにあんのかよ」
「あります!」
スギナの声が弾む。
「めちゃくちゃあるよ」
パードも笑う。
そこから。
三人は少しずつ話し始めた。
葉巻と煙草産業のこと。
働く場所を失った者たちが、もう一度自分の技術を使えるようになったこと。
貧民街に仕事ができたこと。
キルナは最初、腕を組んだまま感心したように聞いていた。
「……若頭、仕事しすぎだろ」
「でしょう?」
レイナは少し嬉しそうに答える。
次にパンの話になった。
貧民街で、子どもたちが喜ぶ顔を見るためだけに、ずっとパンを焼いていた職人。
店を持つ金もなく。
立派な窯もなく。
それでも。
ただ。
食べた子どもが笑うから。
焼き続けたマーガリンおじさん。
そして。
そのパンが王宮へ並び。
国を越えて。
世界へ広がっていったこと。
「パーティーでね」
パードの声が少しだけ柔らかくなる。
「マーガリンおじさん、言ったんだよ」
スギナの目が、もう少し潤んでいた。
「自分が焼いたパンが皆さんの食卓や生活の一部になる。それが職人として、この上ない幸せだって……」
キルナが動かなくなった。
「……おい」
「はい?」
「なんだよ、それ」
レイナは、少しだけ笑う。
「素敵でしょう?」
「……」
キルナは顔を背けた。
「キルナ?」
パードが覗き込む。
「泣いてんじゃん」
「泣いてねぇ!」
「目、赤いです!」
「風だ!」
「今日は風ありませんわ」
「うるせぇ!」
三人が笑う。
キルナも悔しそうに笑った。
けれど。
まだ話は終わらなかった。
次に。
レイナは。
あの式神の話をした。
舞踏会を襲った怨霊。
人も。
船も。
全部、水へ沈めようとしていた。
最初は。
怖かった。
倒すべき相手だと思った。
けれど。
姫様は。
なぜそうなったのかを調べた。
「もともとは」
レイナは静かに言う。
「誰かを助けたかった方だったんですの」
キルナの表情が変わる。
燃える山。
足りない水。
何度も運んだ桶。
それでも。
救えなかった人たち。
水が足りなかった。
だから。
いつしか。
全部沈めてしまえば。
もう誰も燃えない。
そう思うようになってしまった。
「姫様は、その方へ仰ったんですの」
レイナの声が。
少しだけ震える。
「『守り方を間違えただけや』って」
キルナが黙る。
「『これから覚え直したらええ』って」
「……」
「そして今は」
スギナが泣きながら続けた。
「式神になって、人へ水を届けてるんです」
「自分の水で人が笑ってるって」
パードも目を赤くしていた。
「本人も泣いてた」
キルナは。
何も言わなかった。
ただ。
俯いたまま。
拳を握っていた。
しばらくして。
「……クソ」
乱暴に目元を拭う。
「泣かせんなよ」
パードが笑う。
「やっぱ泣いてんじゃん」
「うるせぇ!」
スギナも泣きながら笑った。
「私たちも毎回泣いてます!」
「毎回なのかよ!」
「だいたいですわ」
「多すぎだろ!」
レイナも声を上げて笑った。
少し前まで。
キルナは。
新しく来た人だった。
けれど。
今は。
同じ人を好きだと笑って。
同じ話で泣いて。
同じ場所で。
パンを分けている。
「……若頭」
キルナが小さく呟いた。
「そこまで拾うのかよ」
レイナは。
穏やかに笑った。
「はい」
迷いなく答える。
「姫様は、そういう方ですの」
キルナは少しだけ黙ってから。
ふっと笑った。
「……悪くねぇな」
「でしたら」
レイナも笑う。
「また来てくださいませ」
「あぁ」
その返事は。
最初よりずっと柔らかかった。
その日。
ラーメン産業が始まった。
貧民街の復興も。
新しい雇用も。
新しい水路も。
またいくつものものが動き始めた。
そして。
レイナの周りにも。
また一人。
一緒に笑って。
一緒に泣ける人が増えていた。




