第16話 愛するということ
パンとサンドイッチの成功を祝うパーティーの日。
王宮の大広間には、焼きたてのパンの香りが満ちていた。
白パン、クロワッサン、フランスパン、ジャムパン、クリームパン。色とりどりのサンドイッチも並び、王族や貴族だけではなく、商人や料理人、貧民街から来た職人たちまで同じ会場に集まっている。
レイナは、その光景を眺めながら自然に笑っていた。
以前なら。
これほど多くの人が集まる場所では、もっと周囲の目を気にしていた。
公爵令嬢として。
悪役令嬢と呼ばれた女として。
何を言われても隙を見せないように。
けれど今は。
そんなことを考えなくなった。
「レイナ!」
セシルの明るい声が飛んでくる。
「お水、こっちにもいる?」
「ありがとうございます。ですが、走らないでくださいませね」
「走ってないよ!」
「先ほども同じことを仰っておりましたわ」
「早歩き!」
「それも先ほど聞きましたわ」
レイナが笑うと、セシルも笑った。
少し離れた場所では、レオンが光で合図を送り、エリオットが各国の商人たちを繋いでいる。ルシアンは式神の水を冷やしすぎて水差しを凍らせかけ、アレクシスは相変わらず自分の美しさまで商品説明へ混ぜていた。
ノエルは子どもたちへパンを配りながら、食べた顔を嬉しそうに覗き込んでいる。
エミールは人の流れを整理していたが、時々案内先を忘れてはレイナを見る。
「レイナ! 持ち帰りどっちだっけ?」
「右側の赤い看板ですわ」
「右側の赤い看板だよ!」
「今教えましたわよね?」
「もう覚えた!」
「でしたら大丈夫ですわね」
「うん!」
昔より。
ずっと。
皆様が近くなった。
幼い頃から知っていた。
けれど、今はただ長く一緒にいたというだけではない。
一緒に働いて。
失敗して。
笑って。
誰かが困れば助けて。
誰かができるようになれば、皆で喜ぶ。
以前の私たちは、本当にこんなふうだったかしら。
レイナは、楽しそうに会場を走り回るロイヤル・フラグメントを見ながら思った。
「レイナさん!」
今度はスギナがやってきた。
「ゴスペルさん、今日すごく素敵なんです!」
「先ほどから聴いておりますわ。皆様、とても楽しそうですわね」
「はい!」
その後ろからパードも現れる。
「レイナー。あとでパン取っといて。たまごサンドなくなりそう」
「ご自分で確保なさってくださいませ」
「親友特権ないの?」
「ございませんわ」
「えー」
「でも、クリームパンなら取っておきます」
「あるじゃん!」
「甘いものはお好きでしょう?」
「やっぱ気ぃ利くじゃん」
「パードさんに教えていただきましたもの」
パードが一瞬目を丸くして。
すぐに笑った。
「それ言われると嬉しいんだけど」
スギナも嬉しそうに二人を見ている。
レイナも笑った。
親友。
その言葉にも、もう少し慣れてきた。
それでも。
口にするたびに、まだ少しだけ胸が温かくなる。
やがて、会場の前方へマーガリンおじさんが立った。
少しだけ立派な服を着ている。
けれど。
手だけは、いつもの職人の手だった。
火傷の跡。
厚くなった指。
何度も生地をこねてきた手。
「皆様」
その声が少し震えていた。
「わたしゃ、最初はしがないパン職人でやした。店を持つ金もなく、立派な窯もなく、貧民街で集められる材料だけ集めて、ただパンを焼いておりやした」
会場が静かになる。
「子どもたちが喜ぶ顔を見たくて、ただ、それだけで焼いておりやした」
レイナの隣で。
スギナが、もう鼻をすすっていた。
「まだですわよ」
「もう無理です……」
反対側を見ると。
パードも唇を噛んでいる。
「パードさん?」
「いや、まだ泣いてないし」
「目が赤いですわ」
「照明」
「明るいですわよ」
「うるさいなぁ」
マーガリンおじさんは、自分の手を見た。
「私の焼いたパンが、皆さんの食卓や生活の一部になる。そいつぁ、職人として、この上ない幸せでさぁ」
その瞬間。
レイナの目から涙が落ちた。
スギナも泣いた。
パードも、もう隠さなかった。
少し離れたところでは。
ノエルが盛大に泣いている。
「だって嬉しいもん!」
セシルも。
エリオットも。
レオンも。
エミールも。
皆、程度の差はあっても目を赤くしていた。
アレクシスまで、そっと目元を押さえている。
「僕の涙まで美しいね」
「そこは黙って泣いてくださいませ」
「はい」
ルシアンも鼻をすすった。
「僕の氷より冷たくない涙だよ」
「それも今は要りませんわ」
「はい」
レイナは泣きながら、少し笑った。
以前なら。
皆で泣くなんて考えられなかった。
誰かが泣けば。
誰かが格好をつけ。
誰かが隠し。
誰かが見ないふりをしたかもしれない。
今は違う。
嬉しいから。
皆で泣く。
それでいい。
マーガリンおじさんが何度も頭を下げると、会場中から大きな拍手が起こった。
王も。
貴族も。
商人も。
料理人も。
皆、一人の職人へ拍手を送っている。
レイナは。
その光景がたまらなく好きだった。
そして。
次に壇上へ立ったのは、姫様だった。
その横には、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が立っている。
姫様は。
パンを一つの国だけのものにしないと話した。
式神と晴明が整えた綺麗な水を、傘下国へ順番に広げると話した。
パンチの技術も。
仕事も。
利益も。
一つの国だけで抱え込まない。
「生まれた場所で、食える物も、飲める水も、働ける場所も決まる。今までの当たり前を終わらせる」
レイナは、涙を拭うことも忘れて姫様を見ていた。
この方は。
本当に。
どこまで見ているのだろう。
一人の職人を見つけた。
その人が作ったパンを広げた。
貧民街に仕事を作った。
子どもへ食べ物を届けた。
怨霊だった人に、新しい役目を作った。
そして今度は。
国を越えて。
世界そのものを変えようとしている。
その時。
オヤジが立ち上がった。
「兄弟!」
傘下国の王たちが一斉に顔を上げる。
オヤジは壇上へ上がり。
姫様の横に立った。
「世界変えるぞ!」
それだけだった。
それだけなのに。
何人もの王が泣いた。
グランヴェール国王が立ち上がる。
「兄上! 一生、ついていきます!」
次々と声が上がった。
共に。
世界を変えると。
レイナは。
もう涙を止めなかった。
「……本当に」
小さく呟く。
「この方々は、なんて素晴らしいのでしょう」
姫様も。
オヤジも。
誰かを自分の下へ置くために、人を集めているのではない。
この人なら。
一緒に何かできる。
そう思わせて。
人が自分から隣へ立つ。
それが。
この方々の強さなのだ。
レイナは。
その中に自分もいることが。
ただ、嬉しかった。
パーティーが無事に終わった頃。
リリアーナが会場を見渡した。
「よし!」
皆が振り返る。
「王宮で打ち上げや!」
「今も王宮ですわよ」
レイナが言った。
「細かいこと言うな!」
「移動しないの?」
セシルが首を傾げる。
「別室や!」
「打ち上げだー!」
「パンある?!」
「ある!」
「お水もあるよ!」
「氷は僕に任せて!」
「凍らすなよ!」
「今度は大丈夫!」
「それ今日何回目や!」
一気に。
会場の緊張が消えた。
別室には、残ったパンや料理が並べられ。
王族も。
職人も。
聖女も。
海賊も。
あやかしも。
身分など気にせず、好きな場所へ座った。
セシルは床に座ってパンを食べ。
ノエルはマーガリンおじさんの隣を取った。
エリオットは知らない国の料理人と、もう友達になっている。
レオンは誰かが困っていないか見ながら自分も食べ、エミールは持ち帰り用のパンを確保していた。
ルシアンは水を冷やすたびに全員から「凍らすな」と言われる。
アレクシスは、パンを持った自分がいかに美しいかを語っている。
「ほんまに騒がしいな」
リリアーナは呆れながら笑っていた。
その横では、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司も、楽しそうな皆を見ていた。
レイナは。
スギナとパードの間に座っていた。
「ねえ」
パードがふと口を開く。
「ん?」
「パードさ」
カフェラテではなく、今日は式神の水を飲みながら笑った。
「レイナとスギナに会うまで、この世界来て友達いなかったから、二人に感謝してんだよね!」
レイナの目が少し開く。
スギナも、すぐに頷いた。
「私もです!」
いつもの明るい声だった。
でも。
少しだけ震えていた。
「アネイモさんは大切な方ですけど、お友達とも少し違いますので……お二人の親友ができて、幸せです」
スギナの目に涙が浮かぶ。
レイナは。
二人を見た。
少し前まで。
自分は。
友達というものが何なのかすら。
よく分かっていなかった。
幼い頃から一緒にいる人はいた。
学園で話す人もいた。
けれど。
心のままに笑って。
怖かったことを話して。
好きな人のことを話して。
泣いて。
謝って。
それでも。
何も変わらず隣にいてくれる人。
「私も」
レイナは、穏やかに笑った。
「パードさんとスギナさんのおかげで、本当の友達というものを知りました」
パードの顔が、一瞬で崩れた。
「もぉぉ! 大好き!」
そのままレイナへ抱きつく。
「私も大好きです!」
スギナも反対側から抱きついた。
「ちょっ……お二人とも」
挟まれた。
苦しい。
けれど。
嫌ではなかった。
むしろ。
嬉しくて。
また涙が出た。
「……私も、大好きですわ」
三人で。
泣きながら笑った。
少し離れた場所から。
リリアーナがその光景を見ていた。
その横には。
刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司。
「あいつら、マジの親友なってるやん」
ミレーヌも、三人を見ながら微笑んだ。
「本当ですね。三人とも、孤独だったんですよ」
バルドが静かに鈴を鳴らす。
チリン。
「微笑ましい限りでございます」
「せやな」
リリアーナは、少しだけ笑った。
レイナには。
親友が二人できた。
昔より。
ずっと深く繋がった仲間もいる。
姫様がいる。
ミレーヌがいる。
バルドがいる。
ロイヤル・フラグメントがいる。
スギナがいる。
パードがいる。
大切だと思う人が。
気づけば。
こんなにも増えていた。
以前のレイナは。
誰かを心配することはあった。
助けようとすることもあった。
けれど。
今は。
その人が嬉しければ。
自分も嬉しい。
泣いていれば。
自分も胸が痛い。
笑っていれば。
もっと笑っていてほしいと思う。
それが。
人を愛するということなのだと。
今なら。
少しだけ分かる気がした。
悪役令嬢と呼ばれていた頃には。
想像もできなかった。
私は今。
こんなにも。
たくさんの人を。
大切に思っている。
そして。
同じくらい。
たくさんの人から。
大切にされていた。
レイナは。
両側から抱きついたまま泣いている親友たちを見て。
心から笑った。
幸せだった。




