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婚約破棄された悪役令嬢は、有能すぎました  作者: 夜嶋朔


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第14話 救うということ

 怨霊を、式神にする。


 その話を聞いた時、レイナは思わず聞き返した。


「……式神に、ですの?」


「せや」


 リリアーナは、あっさり答えた。


 その横には、刀を肩に担いだ黒スーツ姿の清司が立っている。


「倒すのではなく?」


「倒して終わりやったら、何も残らんやろ」


 レイナは、すぐには言葉を返せなかった。



 あの怨霊は、怖かった。


 舞踏会へ流れ着き、水を溢れさせ、船を沈め、人も建物もすべて水の中へ巻き込もうとした。


 少しでも何かが違っていれば。


 死者が出ていても、おかしくなかった。


 だから。


 危険な存在なのだと思っていた。


 祓う。


 封じる。


 倒す。


 そうするものなのだと。


 けれど姫様は、そうしなかった。



 まず、話を聞いた。


 シャーホムズとワトゾンが少しずつ記憶を拾い、晴明や逃げ姫たちの証言を重ねていく。


 鐘。


 炎。


 逃げろという声。


 水を運ぶための桶。


 何度も往復した井戸。


 そして。


 足りなかった水。



「我は……水を運んでいた」


 怨霊が自分の手を見ながら、かすれた声で言った。


 レイナの胸が、ぎゅっと締まる。



 怨霊は。


 最初から誰かを沈めたかったわけではなかった。


 燃える山の中で。


 逃げ遅れた人を助けるために。


 何度も水を運んでいた。


 手が動かなくなっても。


 火傷をしても。


 まだ助けを呼ぶ声が聞こえるから。



「水が……足りぬ」


 その一言だけで。


 怨霊が何を抱えていたのか、少し分かった気がした。



 もっと水があれば。


 もっと自分が強ければ。


 もっと早く運べていれば。


 助けられたかもしれない。


 その後悔だけが。


 死んだ後まで残った。



 翌日。


 さらに記憶を辿ったことで、火を放ったのが織田信長の軍勢だったことも分かった。


 逆らった者たちがいた。


 だから、山ごと焼かれた。


 建物も。


 人も。


 逃げ道も。


 全部。



 怨霊の水が膨らんだ時。


 レイナは身構えた。


 また暴れる。


 そう思った。


 けれど。


 姫様は止めなかった。



「お前ひとりで消せる火やったんか」


 怨霊が顔を上げる。


「我が、もっと……」


「井戸は一つ。火元は複数。人は大勢。お前はもう火傷しとった」


「それでも」


「一人でどうにかできる現場ちゃうやろ」



 レイナは。


 その言葉を聞いた瞬間。


 少し息が止まった。



 姫様は。


 まただ。



 誰かが失敗した時。


 その人だけを責めない。


 何が起きていたのかを見る。


 どうしてできなかったのかを見る。


 何が足りなかったのかを見る。



 私の時も。


 そうだった。



 悪役令嬢と呼ばれていた時。


 姫様だけが。


 私が何をしたかではなく。


 なぜそうしたのかを見てくださった。



 怨霊にも。


 同じだった。



「お前は、守りたかっただけや」


 姫様の声が、静かに落ちる。


「沈めたかったんちゃう。殺したかったんでもない。守り方を間違えただけや。ほな、これから覚え直したらええ」



 レイナは、胸の奥が熱くなるのを感じた。



 覚え直したらいい。



 それだけ。



 一度間違えたからといって。


 その人の全部を捨てない。



 もう一度。


 別の形で。


 やり直せばいい。



 その後。


 怨霊は、自分が本当にしたかったことを思い出した。



「助けたかった」



 その瞬間。


 黒い怨念が外れた。



 長かった濡れた髪は短くなり、水底のようだった目は澄み、重い気配が消えていく。


 姿まで変わり。


 爽やかな青年が現れた。



「誰やねん!!」


 姫様の声が響いた。



 レイナは思わず笑いそうになった。


 こんな場面なのに。


 本当に。


 この方は。



 けれど。


 次に怨霊が泣いた時。


 笑えなくなった。



「我は、救いたかった」



 人の涙だった。



 レイナは、唇を噛んだ。



 あぁ。


 やっぱり。


 この人は。


 ただの悪い存在ではなかった。



 救えなかった人を。


 ずっと救いたかっただけなのだ。



 そして姫様は。


 それを見つけた。



 祓わず。


 倒さず。


 消さず。



 救った。



 それだけでも、充分すぎるほどだった。



 けれど。


 姫様は、そこで終わらなかった。



 午後。


 怨霊は貧民街へ連れていかれた。


 水の少ない土地。


 井戸まで遠く、毎日大人も子どもも桶を持って歩いていた場所だった。


 そこへ。


 怨霊の水が流された。



「我は、沈めぬ」



 その言葉とともに、水は人を呑み込まず。


 地面を這い。


 古い水路を通り。


 やがて。


 貧民街の真ん中を、一筋の川になって流れた。



「水だ!」



 子どもたちが叫んだ。



「綺麗な水だ!」


「これから毎日、飲めるぞ!」



 人が笑った。


 女たちは泣き。


 年寄りは川へ頭を下げた。



 怨霊は、その光景を見ながら涙を流した。



「我の水で、人が笑っている」



 レイナは。


 もう耐えられなかった。



 目の奥が熱くなり。


 涙が落ちた。



 姫様。


 どこまで。



 どこまで救うのですか。



 悪役令嬢と呼ばれていた私を。


 見えなかった人たちを。


 貧民街の人たちを。


 敵として来た者たちを。


 そして今度は。



 怨霊まで。



 倒すのではなく。


 その人の中に残っているものを見つけて。


 もう一度。


 誰かを救える場所へ連れていく。



 晴明が怨霊と契約を結ぶ。


 命令するためではない。


 暴れた時は止める。


 間違えた時は一緒に責任を負う。


 そういう契約だった。



 怨霊は。


 式神になった。



 人を沈めていた水は。


 今は。


 人を生かす水になっていた。



 レイナは、涙を拭かなかった。


 もう。


 泣いている顔を隠す必要はなかった。



 数日後。


 三人は、また貧民街の公園にいた。


 パードが買ってきたカフェラテと、パンチの紙袋。


 スギナはクリームパンを持ち、レイナはバターロールを手にしている。



「いやー……」


 パードが長く息を吐いた。


「マジで泣いたんだけど」


「私もです……」


 スギナは、すでに目が赤かった。


「式神さん……ずっと人を助けたかったんですね」


「そうですわね」


 レイナは、静かに頷いた。



「最初は怖かったですわ」


 二人がレイナを見る。


「あれほどのことをなさった方を、どうして姫様はお倒しにならないのかと。正直……分かりませんでした」


「まあ普通そうなるよね」


 パードも頷く。


「船沈められてるし」


「ですが」


 レイナは公園の向こうを見る。


 少し遠くでは。


 新しくできた川が、夕方の光を受けてきらきらと流れていた。



「姫様は、倒すべき相手かどうかを決める前に、その方がなぜそうなったのかをご覧になるのですね」


 スギナが、また目元を押さえた。


「やめてください……また泣きます……」


「もう泣いてるじゃん」


「パードさんも目ですごく赤いです!」


「これはカフェラテの湯気」


「冷めておりますわよ」


「レイナまで言う?」


 三人で笑った。


 笑ったのに。


 また少し泣いた。



「でもさ」


 パードは川を見ながら言った。


「黒王子、救済範囲広すぎじゃん」


「本当に……」


 スギナが鼻をすすった。


「普通、怨霊さんって倒す相手ですよね?」


「私もそう思っておりましたわ」


「それを育てるって何?」


「私も最初に聞き返しましたもの」


 三人で少し笑う。



 レイナは、式神が川を見て泣いていた顔を思い出した。



「姫様は」


 少しだけ言葉を選んだ。


「一度間違えたからといって、その方の全部を捨てたりなさらないのですわね」


 パードとスギナが黙る。


「何をしたかったのか。何が足りなかったのか。何なら、これからできるのか。そこまで見てくださる」


 レイナの声が、少し震えた。


「だから……救われた方が、今度は誰かを救えるのですわ」



 スギナの目から、大粒の涙が落ちた。



「それ……ずるいです……」



「分かる」


 パードも顔を背けた。


「それ言われたら泣くじゃん」



 レイナも笑いながら涙を拭った。



 三人とも。


 同じ人を好きになった理由が。


 また一つ。


 増えた気がした。



 その時。


 少し離れた場所から声が聞こえた。



「晴明様と式神さん、契約後の距離感が明らかに――」



 三人が同時にそちらを見る。



 詠女がいた。



 整えられた髪。


 綺麗なワンピース。


 眼鏡もない。


 見た目だけなら、とても美しい女性だった。



 ただ。


 話している内容が。


 まったく分からない。



「主従になったことで湿度が増していると思うんです。特に晴明様が式神さんの名前を呼ぶ時の――」



 パードが無言でレイナを見る。


 レイナもパードを見る。


 スギナも二人を見る。



「……あの方は」


 レイナは小さく言った。


「なぜ、あそこまで働くことを嫌がるのでしょう」


「分かんない」


 パードは即答した。


「あと、なんで全部BL目線なの?」


「私も……そこがよく分かりません」


 スギナも困った顔をした。


「素敵な方だとは思うのですが……」


「会話の入口が見つかりませんわ」


「それ」


「それです」



 三人は、もう一度詠女を見る。



「今、式神さんが晴明様の方を見ました。これは――」



 三人は静かに視線を戻した。



「……パン食べよ」


「そうですわね」


「はい」



 嫌いではない。



 ただ。



 分からない。



 それだけだった。



 三人は再びベンチへ座り、パンを分け合った。


 公園の向こうでは。


 新しくできた川が、静かに流れている。



 かつて人を沈めていた水が。


 今は。


 誰かの喉を潤し。


 誰かの暮らしを支えている。



 レイナは、その流れを見ながら思った。



 救われた人は。


 いつか。



 誰かを救う側にもなれる。



 そして。



 姫様は。


 きっと、それを最初から信じているのだ。

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