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婚約破棄された悪役令嬢は、有能すぎました  作者: 夜嶋朔


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第11話 背負うということ

 初陣を終えてから、梵天丸は以前より地図を見る時間が長くなった。


 ただし、見ている場所は変わっていた。


 以前なら城の位置を見た。


 山を見た。


 川を見た。


 どこから攻めれば勝てるか。


 どこを取れば領地が広がるか。


 どこを押さえれば、次の戦が有利になるか。


 そればかり考えていた。


 今は。


 城の下にある村を見る。


 村の横にある畑を見る。


 水路を見る。


 道を見る。


 市場までの距離を見る。


 戦の時、兵が通った場所には何があったか。


 追撃を止めた先には、誰が暮らしていたか。


 地図の上に書かれていないものまで考えるようになっていた。


 勝った。


 初陣には勝った。


 けれど、勝った土地には人が残る。


 家が残る。


 畑が残る。


 傷ついた者も残る。


 逃げた者も戻ってくる。


 戦が終わったからといって、そこにある暮らしまで終わるわけではない。


 むしろ。


 そこから始まる。



「若君」


 家臣に呼ばれ、梵天丸は顔を上げた。


「先日の村より、報せが届いております」


「何」


「戦で壊れた柵と橋の修理を求めているとのことです」


「橋?」


「小さなものですが、畑と村を繋ぐ橋でございます」


「直せばいいじゃん」


「はい。ただ、その村は元々、敵方の支配下にあった土地でして」


「だから?」


 家臣は少し言葉に詰まった。


「……我らがそこまで面倒を見る必要があるのかと」


 梵天丸は、しばらくその顔を見ていた。


「取ったんだろ」


「はい」


「じゃあ今、こっちの土地なんだろ」


「左様でございます」


「なら、こっちの人じゃん」


 家臣が黙る。


「橋ないと困るんだろ」


「はい」


「畑行けないんだろ」


「はい」


「だったら直す」


「ですが、敵方の者たちであった人間です」


「今も敵なの?」


「……いえ」


「じゃあ終わり」


 梵天丸は地図へ視線を戻した。


「戦の時は敵でも、終わったらそこに住んでる人だろ」


「はい」


「取った土地だけ欲しい、人はいらないって無理じゃん」


 家臣は小さく息を呑んだ。


「橋、直して。あと水路も見といて」


「承知しました」


「それと」


「はい」


「怪我人の薬、足りてるか聞いて」


「敵方の兵も含めてですか」


「もう戦終わったって言っただろ」


 家臣は、今度はすぐに頭を下げた。


「承知しました」



 数日後。


 梵天丸は、その村を自分の目で見に行った。


 戦の跡は、まだ残っていた。


 折れた柵。


 踏み荒らされた道。


 壊れた納屋。


 血の跡はもう消えていたが、地面には馬の蹄が深く残っている。


 それでも、人は動いていた。


 女たちは水を運び、男たちは橋の修理をしている。


 子どもたちは、少し離れた場所からこちらを見ていた。


 怖がっている。


 当然だと思った。


 ついこの前まで。


 自分たちは、ここへ攻めてきた側なのだから。


 梵天丸は馬を降りた。


 家臣が慌てる。


「若君」


「歩く」


「ですが」


「見るって言っただろ」


 村へ入る。


 人々は手を止めた。


 誰も近づいてこない。


 頭だけは下げる。


 けれど、目は警戒している。


 梵天丸は、その視線を受けながら橋の方へ歩いた。


 壊れた橋には、新しい木材が運ばれていた。


「これ、どれくらいで直る?」


 職人らしい男が、恐る恐る答える。


「三日ほどあれば」


「三日?」


「木が揃えば」


「揃ってないの?」


「一部が足りません」


 梵天丸は家臣を見る。


「木、出して」


「はっ」


 男が目を見開く。


「よろしいのでしょうか」


「橋ないと困るんだろ」


「はい」


「じゃあ必要じゃん」


 男は、何も言えなくなった。


 梵天丸はそのまま畑の方を見る。


 少し離れた場所では、水路の一部が崩れていた。


「あれも直す?」


「はい。ただ、こちらは人手が」


「何人いればいい?」


 男が答える。


 梵天丸は、すぐ後ろの家臣へ振り返った。


「出せる?」


「出せます」


「じゃあ出して」


「承知しました」


 周囲の村人たちが、少しずつ顔を上げ始める。



 その時。


 子どもの一人が、梵天丸へ近づいてきた。


 母親が慌てて止める。


「駄目!」


 子どもは止まった。


 梵天丸も止まる。


 しばらく見つめ合ったあと、子どもが小さな声で言った。


「……また、戦する?」


 村が静かになった。


 梵天丸は答えを急がなかった。


「分かんない」


 家臣たちが少し動く。


 けれど、梵天丸はそのまま続けた。


「しなきゃいけない時は、するかもしれない」


 子どもの顔が曇る。


「でも」


 梵天丸は壊れた橋を見る。


「戦した後、壊れたままにはしない」


 子どもは黙った。


「取ったなら、ちゃんと守る」


「……ほんと?」


「うん」


 梵天丸は少しだけ考えた。


「その方が、あとで俺も困らないし」


 子どもが首を傾げる。


「困るの?」


「困るよ。橋なかったら物運べないし、畑駄目になったら食べ物減るし、みんな逃げたら税も入らない」


 家臣の一人が、思わず顔を伏せた。


 夢のない説明だった。


 けれど。


 子どもは少し笑った。


「変なの」


「何が」


「偉い人なのに、そんなこと言うんだ」


「偉いから考えるんじゃないの?」


 その言葉に、近くにいた大人たちが静かに梵天丸を見る。


 梵天丸は気づかなかった。


 ただ。


 初陣で感じたことを、そのまま言っただけだった。



 村を出た帰り道。


 家臣が口を開く。


「若君」


「何」


「先ほどの村の者たちを、あそこまで気にかける必要はないと考える者もおります」


「いるだろうな」


「それでも、なさるのですか」


「やるよ」


「なぜです」


 梵天丸は馬上から前を見る。


「取ったから」


「それだけでございますか」


「それだけっていうか」


 少し考える。


「取るって、そういうことなんじゃねぇの」


 家臣は黙った。


「土地だけ持って帰れないだろ」


「……はい」


「人もいる。畑もある。水もある。全部くっついてる」


 梵天丸は、少しだけ眉を寄せた。


「めんどくせぇけど」


「国は、めんどうでございますな」


「父上と同じこと言うなよ」


 家臣が笑う。


 梵天丸も少しだけ笑った。



 その日の夕方。


 城へ戻る途中で、一行が止まった。


「若君」


「何」


「前方に、尾張の一行が」


 梵天丸の顔が変わる。


「尾張?」


「はい」


「……まさか」


 少し先の道。


 派手な馬に乗った少年がいた。


 姿を見た瞬間。


 梵天丸は、嫌そうな顔をした。


「お前かよ」


 少年は、こちらを見る。


「なんじゃ、その顔は」


 吉法師だった。



「久しいのう、政宗」


「だから誰だよ、それ」


「まだ慣れぬか」


「俺、梵天丸だからな」


「いずれ政宗になる」


「勝手に未来の名前で呼ぶな」


「細かい奴じゃ」


「お前が雑なんだよ」


 吉法師は、鼻で笑った。


 以前より少し背が伸びている。


 顔つきも変わった。


 子どもではある。


 けれど。


 以前より、目が鋭い。


 梵天丸は、なんとなくそう思った。



「お前、何してたんだ」


「国を広げておる」


「また?」


「またとはなんじゃ」


「早すぎんだろ」


「天下を取ると申したであろう」


「言ってたけど」


「ならば、止まっておる暇はない」


 吉法師は当然のように言った。


「逆らう者は討つ。従う者は使う。道を開け、兵を進め、取れるものは取る」


 梵天丸の顔が少し変わった。


「討つって」


「討つは討つじゃ」


「全部?」


「必要ならばな」


「必要じゃなかったら?」


「使えるなら使う」


「使えなかったら?」


 吉法師は少しだけ首を傾けた。


「捨てる」


 梵天丸は黙った。



「……お前、それ違くない?」


「何がじゃ」


「人」


「人?」


「取った土地の人間」


「おるじゃろう」


「いるから言ってんだよ」


 吉法師は、不思議そうに梵天丸を見る。


「従えばよい」


「従わなかったら?」


「斬る」


「だから、それ違うだろ」


「何が違う」


 吉法師の声は穏やかだった。


 本気で分かっていない顔だった。


「国を取るとは、そういうことであろう」


「違ぇよ」


「ならば、何じゃ」


「取ったら守るんだよ」


 吉法師の目が少し細くなる。


「誰を」


「そこにいる人を」


「敵もか」


「戦終わったら敵じゃねぇだろ」


「甘いのう」


「甘くねぇよ」


「甘い」


「じゃあ聞くけど」


 梵天丸は馬上から身を乗り出した。


「人全部斬って、土地だけ取って、あと誰が国やんの?」


 吉法師が黙った。


「畑誰が作るんだよ」


「別の者にやらせればよい」


「その別の奴も斬ったら?」


「また別の者を置く」


「ずっとそれやんの?」


 吉法師は少しだけ眉を寄せた。


「何が言いたい」


「めんどくせぇだろ、それ」


「お前に言われとうない」


「俺もめんどくせぇと思ってるよ」


「ならば何故やる」


「取ったから」


 吉法師が、少しだけ黙った。


「取ったなら、そこまで俺の責任だろ」


「……」


「橋壊れてたら直す。水路壊れてたら直す。怪我人いたら見る。敵だった奴でも、戦終わったらそこに住んでる奴だ」


「それでは、天下を取るのが遅くなるぞ」


「遅くてもいい」


「何?」


「雑に取って後で崩れるよりマシ」


 吉法師の顔から、少しだけ笑みが消えた。



「天下は、先に取った者の勝ちじゃ」


「最初はそう言ったけど」


「言ったではないか」


「言ったよ」


「ならば急げ」


「でもさ」


 梵天丸は、少しだけ笑った。


「取った後すぐ崩れたら、勝ったことにならなくね?」


 吉法師が、じっと梵天丸を見る。


 梵天丸も見返す。


 しばらく。


 どちらも何も言わなかった。



 先に笑ったのは、吉法師だった。


「やはり、お前は面倒じゃ」


「お前に言われたくねぇ」


「昔からじゃ」


「お前もな」


「わしは昔から正しい」


「そこが一番めんどくせぇんだよ」


「何を申す」


「今世でも変わらねぇな、お前」


 その言葉に。


 吉法師の表情が少しだけ変わった。


 ほんの一瞬。


 志乃だった頃の顔が重なるような気がした。


「お前もじゃ」


「俺は今、梵天丸」


「知っておる」


「じゃあ昔の名前で見んなよ」


「見ておらぬ」


「ほんとか?」


「わしは今の、お前を見ておる」


 吉法師は真っ直ぐ言った。


「だから、面白いのじゃ」


 梵天丸が、少しだけ目を細める。



「お前とは、昔から話が合わぬ」


「それな」


「だが」


 吉法師は口元を上げた。


「弱いとは思わぬ」


「俺も、お前のこと馬鹿だとは思ってねぇよ」


「馬鹿ではないわ」


「でも雑」


「うるさい」


「人の話聞かねぇし」


「天下人になる者が、一々全部聞いておれるか」


「まだ吉法師だろ」


「細かい!」


「そこは細かくねぇよ!」


 梵天丸が笑う。


 吉法師も、少しだけ笑った。



 考え方は違う。


 昔から。


 前の人生でも。


 今の人生でも。


 同じものを見ても、同じ答えには辿り着かない。


 それでも。


 相手が何を考えているかは、知りたくなる。


 相手がどこまで行くのかも、見ていたくなる。


「次は俺が先だからな」


 梵天丸が言う。


「何がじゃ」


「天下」


「まだ申しておるのか」


「お前が始めた勝負だろ」


「当然じゃ」


 吉法師は馬を進めた。


 すれ違う直前。


「政宗」


「梵天丸」


「好きにせい」


「お前もな」


「わしは好きにする」


「知ってる」


 吉法師は、そのまま行ってしまった。


 梵天丸は振り返らなかった。


 ただ、少しだけ笑っていた。



 同じ天下を目指している。


 けれど。


 見ている天下は、少しずつ違っていた。


 吉法師は。


 早く。


 強く。


 前へ進もうとしている。


 梵天丸は。


 取ったものを。


 人を。


 暮らしを。


 その先まで背負おうとしている。



 どちらが正しいのか。


 まだ、分からない。



 ただ。


 二人の道は。


 この頃から、少しずつ違う方向へ伸び始めていた。

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