第143話 【七夕】ジョン、娘と動物園へ行く。
鹿の親子が描かれた水筒に冷えたお茶を注ぐ。先月、娘のラピスから父の日ということで貰ったこの水筒を会社へと毎日持って行った。
「このデフォルメされた鹿も見慣れると愛着が沸いてきた」
私も最初は可愛すぎるデザインに戸惑い、実際に同僚からの冷やかしも最初はあったが鹿の子のこのこなんとやらだ。子どもたちの間で鹿ブームだと他の同僚からフォローが入った。
『しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら…………』
ラジオから流れてくる無限ループの鹿の子フレーズに私もやられたようだ。7月からアニメ放送が始まったようで、テレビをつけるとどこの放送局も鹿の角を生やした芸能人が映り込む。
「しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら……おっと、つい口ずさんでしまうな。今では会社でも周りはみんな鹿グッズを付けているとは、女子高生が流行に敏感というのは今も健在か」
冷やかしていた同僚も自分が流行に後れているかもと思ったようで、次第に鹿は増え続け、今では皆が鹿デザインのアイテムを身に付けるようになった。
「お父さんおはよう。早いね、そんなに楽しみだったの?」
「おはよう、ラピス。そうだね、娘とのデートが楽しみじゃない男親はいないと思うな」
娘が起きてきたがすでにお出かけ用の服に着替えており、友達に教えてもらった化粧をうっすらとしているようだ。今日のラピスはコスモスの花がところどころ咲いた白色のワンピースを着て、紅碧色の髪は青みが穏やかな湖の水面を思わせた。
「その服、似合ってるよ」
「っ! ありがとう―――、とりあえずご飯食べようよ」
うちの娘は素直に思ったことを口に出すのも出されるのも苦手らしい。これはあれだ、親である私の影響もあるだろうが、別にも思い当たる節がある。それはネットゲームをプレイしている会話ベタ同士による人付き合いだ。ふざける、はぐらかす、余計な一言を加える。これらの行動は照れ隠しなのだが、そういう者たちが集まるとマナーとなって言葉をストレートに言えなくなるのだ。
「お父さん、このハムサンドいつもよりハムが多くない?」
「今日はいっぱい歩くからね。ラピスが倒れないようにサービスしておいたよ」
「そんな子どもじゃないんだから……。けど、たまにはいいかも。―――はむ。」
うちの子は小動物的な可愛さがある。ご飯を食べる時も可愛いが、特にパンなどを口にいれて頬張っている姿がとても可愛いと思う。親バカだとは思うが餌を与える親鳥の気持ちは動物の本能なのだろう。
――――――
「ごゆっくりお楽しみください」
入場料を払ってゲートをくぐる。やってきたこの動物園はラピスが不登校になっていた時にたまに連れてきていた。小さな遊園地に併設されている大型の象やライオン、ワニなどの動物はいないが馬や兎、栗鼠や孔雀に鹿といった動物と触れ合うことができる。昔は平日とはいえ閑散としていたが今は休日で鹿効果なのだろうか、通路が人で埋め尽くされていた。
「ここに来るのも久しぶりだね。―――わっ! 休日ってこんな人がいるんだ!」
「ラピス、はぐれないように手を握っていなさい」
「えー、子どもじゃないのに……」
不満を言いながらもラピスが私の手を握る。高校生とはいえ小柄な私の娘はこの人混みで簡単にはぐれてしまうと思ったのだ。けっして子ども扱いしているわけでは……、しているかもしれないが、私の大切な娘なのだから仕方がない。
「えっと、鹿は……、こっちみたいたね」
落ち着いているように見えて鹿に早く会いたいのがすぐに分かる私の娘は純粋で可愛いと思う。恐らく、ラピスの友達もこの子のこういう子どもっぽいところも含めて好きでいてくれていることだろう。―――好きなこと、ものには凄いテンションが上がるからわかりやすいと思う。
『しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら…………』
動物園内でもあのフレーズが永遠とループしていて、まわりの子どもたちも口ずさんでいた。私もなんとなく雰囲気に推されて口にすると水筒のことを思い出す。
「ラピス、鹿を見に行く前に少し休もうか」
「え、どうして?」
「今日は暑いからね。熱中症にでもなったら大変だよ」
少し人混みから外れて鹿エリアの方に私が目を向ける。すると、それを追った娘も今からこの人混みの中にいくということの意味を理解してくれたようだ。
「そうだね。水分補給して少し休んでからの方がいいかも」
ゲーム内では支援職をしていると前に聞いたが、冷静になればちゃんと周りの状況を見て適切な判断が出来る優しい子になってくれたのが心の底から嬉しかった。
「この水筒に書かれている、しかのこのこのこなんとやらも友達が教えてくれたのか?」
「うーん、友達だけどゲーム内のかな。コータがさ、踊りながら教えてくれたんだー。ずっと同じ振り付けでループしてるの見ててなんかそれだけでも笑えちゃってね―――」
娘が知らない男の話をしていて少しだけ心配になるが、話を聞くに付き合いの長いゲーム友達らしく、年下の子だと言っていたので杞憂だと思った。そして、いい友達を持ったんだなとゲームに感謝した。
「あっ! ちょっ! あぅ~~~!!! もうっ! うぅ……」
「しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら」
ラピスの手から鹿せんべいは奪い取られ、餌やり体験は略奪イベントとして幕を閉じた。私がさっき教えてもらった踊りを見せると大笑いしてそれだけで機嫌が直ったようだった。
「あ、あそこに短冊があるしせっかくだから願い事を書いていこうよ!」
「そうだね、そうしよう」
といっても私の願いは『この子と長く一緒にいられますように』というありきたりなもので、今日一日はそれはそれで願いが叶ったようなものだった。
「ところでラピスはなんて書いたんだい?」
「ん~~~、ないしょっ!」
願い事を聞いてはみたが書いている時に実は覗き見をしているのでラピスの願い事を私は知っていたりする。
『みんなといつまでも笑っていられますように』
しかのこのこのこなんとやら、きっとあの踊りを踊っている少年を思い浮かべながら書いたのだろう。BGMにずっとこのフレーズが流れているので引っ張られるのはわかる。けれど、この子はまだ将来の夢というような願い事は見つけられていないようで、そういう高校卒業後の話もこれからしていかないとなと親として覚悟を決めた。
「しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら、しかのこのこのこなんとやら。どうだ? うまくなってきてないか?」
「あははっ! お父さんはもうやらなくていいからっ!」
鹿とラピスの友人たちに感謝を。私は胸の中で短冊に願い事を書き加える。
『それと、いつかラピスのネット上の友人たちにお礼が言えますように』
娘とどこかへ出掛けるのは学校に行くようになってからは初めてだった。私の会社の休みが土日にあまり重ならないのと、ラピスが友達とよく遊ぶようになったからだ。親離れして嬉しい反面少しだけ寂しくもあるが、今日のような時間も大切にするのはもちろん、何気ない日常の中の時間をこれからも大切にしていこうと思った。




