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「うおおおおおおおおおお!」

 ヘイヤは空に向かって吠えた。今までに感じた事の無い力が体を巡る。


「お、おのれぇ……」

 その一方でダンクはゆっくりと立ち上がろうとしていた。そして、顔をこちらに見せた時、彼に異変が起きている事をヘイヤとチェッシャーは知る事になった。


 さっきヘイヤが殴った、彼の左頬は抉れていた。まるでそこだけ丸く削り取られたかのようになっていた。


「な、何だこれは!」

 この異変はダンク自身も気づいたらしかった。何度も抉れた部分をなぞり、そこだけが消えて無くなっている事を確認する。


「ヘイヤ君!その力は!」

 チェッシャーが話しかけてきた。


「え?」

「珍しい。それは虚無の魔法だよ」

「虚無?」

 よく分からないのでヘイヤは聞き返した。


「火・風・水・土。これらを四元素と呼ぶんだが、虚無はその第五番目の元素と呼ばれているんだ」

「第五番目の……元素……」

「性質はその名の通り、無へと返す力さ。その強力な力ゆえに、扱える者は数少なくてね。使えても、その極一部にしか過ぎないんだ」

「そんな力が僕に?」

「そう。君もやはり、極一部しか使えそうにないみたいだけど、彼を滅ぼすには十分すぎる力かもね」

 チェッシャーはダンクを指差して言った。


「こ、この私がぁ、消えるだとぅ!」

 ダンクは立ち上がった。


「そんな……バカな事があってたまるものか……私は……この世になくてはならない存在だぞ!それなのに!こんなちっぽけな奴のせいで消えるというのか?許さん!絶対に許さんぞ!」

 彼は震えていた。怒りだけでない、本当に自分が消滅してしまうかもしれないという恐怖、それによるものでもあると、すぐにヘイヤは理解した。


「し、死ねぇ!」

 ダンクは突撃してきた。その手には玩具みたいなデザインの剣が握られている。さっきは『そんな物はもはや使うまでもない』と言っていたにも関わらずだ。もはや、なりふり構ってはいられないのだろう。


 こんな時、どうすればいいのか、ヘイヤは心で理解した。それは何もしない事。いや、何もする必要がないのだ。自分は虚無の力を手に入れたのだから。

 ダンクは剣でズバッと斬ってきた。しかし、全く痛くない。ダメージだって全く無い。むしろ剣が酷い事になっていた。大部分が削れて無くなってしまったのだ。


「は、バカな……」

 ダンクは怯んだ。ヘイヤはその隙を見逃さない。彼は平手打ちを放った。それは、ガボンという音と共にダンクの胸部に当たった。すると、その部分が削れて無くなった。


「ひ、ひぇぇ!」

 驚いて腰が抜けたのか、ダンクはその場で座り込んでしまった。そんな彼にヘイヤは近づき、何発も平手打ちを放つ。


 ガボン。

 ガボン。

 ガボン。

 ガボン。

 ガボン。


 あっという間にダンクは削れて無くなっていった。もはや頭部ぐらいしか、まともに残ってはいない。


「ま、待て!待つんだ!お前は本気で、この私を消そうというのか?それが間違いである事をまずは知るべきだ!」

 ダンクは無様に命乞いを始めた。


「ゲーマーギアを作ったのは、実質私だけだ!後の二人は単なるアシスタントに過ぎない!あの二人に再現できるはずがない!」

 彼は生き延びるために弟二人の事を貶めた。


「それにゲーマーギアはゲームのためだけじゃなく、福祉のためにも使えるのを知っているのか。アレがあれば、呪病(じゅびょう)等で変わってしまった姿を自由自在に変える事ができるのだぞ!」

 ダンクはすでにローザから聞いた事を話した。


「どうだ!これからの世界に私が必要なのがよく分かっただろう?」

 ダンクはそう言ったが、ヘイヤには全く分からなかった。


 彼は目標のためなら人の命をどこまでも軽く考えるような人物だ。そんなものに、福祉の未来を預けるわけにいかない。それに元々はそれのために開発した物を、ゲーム機として転用したのだ。彼は福祉の事も軽く考えている。


「わ、分からないか?なら、カネの話をしようじゃないか?」

「カネ?」

 ヘイヤは聞き返した。


「ゲーマーギアは一台売り上げるだけで、結構な額になる。それが何十個、何百個と売れてみろ!かなりの額になる事ぐらいお前にも分かるだろう?」

 ヘイヤは聞いていて吐き気がした。人の命を奪い合うゲーム機がそんなに売れて、人の命がカネに姿を変える。なんて醜悪なビジネスなんだ。ヘイヤはそう思った。


「いいや、考えたくないね」

 ヘイヤは再び平手打ちをした。


 ガボン。


 ダンクの向かって右半分が消滅した。


「ひぃぃ!待て待て待て!これが最後のチャンスだぞ!」

 ダンクはまだ、命乞いを続ける。


「バカだ!お前は大バカだ!自分の価値だけで私を滅ぼそうとする大バカだぞ!」

「何?」

「お前だけの価値だけで全てを決めようとするんじゃない!もっと大きく!世界を見ろ!そこには私を必要とする組織なんてごまんといる。みんなが私を求めている。私がいるおかげで技術の革新が生まれる可能性だって十分考えられる!それだけ私の価値は大きいのだ!どうだ?分かったか?今、自分がどれだけ愚かな事をしているかを!」

 ヘイヤはダンクの長い話を聞いて、ため息が出た。ここまで自分を過大評価できるというのも、驚かされる。ある意味、才能なのかもしれない。でも、そんな才能なんて必要ない。彼は知らないのだ。自分こそが何よりも愚かで醜いかを。


 ヘイヤは平手打ちの構えをとった。


「待て待て待て!これだけ言っても分からないのか?本当に私が消えてもいいのか?」

「もちろん」

「お前!本当にバカだな!何の価値も分かってない、ただの大バカだ!」

「バカでいいよ。それより、そんなバカに消される君っていったい何だろうね?」

「い、嫌だ!死にたくない!死にたく――」


 ガボン。


 この一撃でダンクの全てが消滅した。今度こそ彼は死んだのだ。確実に。


「よくやったよ、ヘイヤ君。君の勝ちだ」

 チェッシャーはヘイヤを褒めた。


「誘惑に負けずに、よく頑張ったね。ほら、ご褒美のアメっこちゃんだよ」

 チェッシャーはそう言って、どこからともなく棒付きのアメを取り出した。そしてヘイヤに向けて差し出した。


「むっ!」

 するとチェッシャーは驚きの声を上げた。彼にアメを向けた瞬間、アメが消え、棒だけが残った。これは……虚無のオーラがヘイヤを包んでいる事を意味する。


「アイツを消したからって何が変わるんだ?何も変わらない!ローザはもういないんだ!こんな世界……あったってしょうがない!」

 ヘイヤは唸るように言った。深い悲しみに包まれる。

 その瞬間、彼を中心にして風が吹き始めた。地面は抉れ、クレーターを作りはじめる。


「あちゃぁ、これはマズいねぇ」

 チェッシャーは顔を押さえて言った。


「虚無の力を扱える者が数少ない理由の一つ。それは、使い手自身が精神を虚無へと引っ張りこまれるからさ。ヘイヤ君、君は今まさにその状態だよ!簡単に言えば、暴走状態になりかけているんだ!虚無に負けちゃダメだ!戻ってこれなくなる!」

 彼は声をかける。ヘイヤにはその声が聞こえてはいるが、頭には入って来ない。


 虚無の力は強くなっていった。押さえる事ができない。

 ヘイヤに向かって吹く風は嵐のように激しくなり、彼の足元には大穴が出来ている。


「ヘイヤ君!ヘイヤ君!」

 チェッシャーは声を何度もかけた。しかし、彼は聞こえはするが返事をする事ができない。意識がもっていかれそうになっている。


「ほら!アメをあげるから!」

 彼はアメを投げつけた。しかし、途中で消されてしまう。アメはヘイヤに届かない。


「これはマズいよぉ……このままだと、辺り一帯が虚無に還るかもしれない……とりあえず、アリスをなんとかしなくちゃ!」

 チェッシャーはアリスの家の戸をノックした。その瞬間、彼女は勢いよく飛び出した。そして、この現状を見て驚いた。


「ちょ!ねぇ!何よコレ?いったい何?」

 アリスは混乱した様子でチェッシャーに聞いた。


「何から話せばいいかなぁ?とりあえず、これはヘイヤの力によるものさ。今ちょっと暴走しちゃっててね……」

 チェッシャーは簡単に答えた。


「ちょっと!暴走って……どうすればいいの?」

「それは本人に聞いてみないと……あ、でもローザがどうとか言ってたような……」

 アリスはその話を聞くや否や、目の色を変えた。


「ローザ……そう。そういう事ね!」

「どういう事かな?僕ちんにも教えてくれると嬉しいんだけど……」

「彼は今……寂しいのよ」

「寂しい?」

「そう、ローザが死んでしまって寂しいの」

「じゃあ、どうすればいいのさ?彼女は死んだ。生き返らす方法なんてない!どうやったら、彼を慰める事ができるのさ!」

「それは……こうするのよ!」

 アリスはそう言うと、ヘイヤに向かってジャンプした。彼女はそのまま、風に吸い込まれ中心部へと近づいて行く。


「無茶だよアリス!中心部は虚無のオーラが貼ってあるんだ!消されちゃう!」

「大丈夫よ!私ならね!」

 アリスはどんどん中心部へ近づいていった。そしてオーラが貼ってあるところまで到達した。


「あーもーダメ!ボクちん見てられない!」

 チェッシャーは両手で目を覆った。


「虚無のオーラがなんぼのもんじゃぁ!」

 アリスは手を伸ばした。そして、ヘイヤの肩を掴んだ。


「よし!」

 アリスはそのまま、ヘイヤの背中に抱きついた。そして、彼の耳に向かって話し始めた。


「ヘイヤ!ねぇ、ヘイヤ!聞こえる?」

 アリスは風に負けないくらい大きな声を出した。彼は消えそうな意識の中で彼女の声を聞いた。


「ローザが死んでしまった事は本当に悲しいわ……それは私も分かる」

 分かるから何だというのだろう。いくら思ったところで彼女は生き返らない。ヘイヤは思った。


「でもだからってこんな事していいって、本気で思っているの?」

 アリスは怒った声を出した。

 良いわけが無いとヘイヤの良心が叫ぶ。しかし、ローザが死んだ悲しみが意識を虚無へと引っ張っていく。


「そんな事しても何もならないわ!それどころか彼女を悲しませるだけよ!」

 そう叫ぶアリスの声に、ヘイヤは少しだけ意識が戻った。

 彼女を悲しませる、そんな事良くない。しかし、何故悲しませる事になるのか。彼は分からなかった。


「いい?確かに彼女は殺された。でも、死ぬ瞬間まではあんなに幸せそうだったじゃない!覚えていないの?」

「彼女が……幸せ?」

 幸せ。その言葉を聞いた瞬間、ヘイヤは完全に意識を取り戻した。

 風の音が消え、アリスの声が鮮明に聞こえる。


「そうよ!死んだけど幸せだったの!幸せの中で死んだのよ!それっていい事じゃない?」

「幸せの中で死んだ?」

「ええ、そう。今みたいな世の中になっても、病気や事故で苦しんで死ぬ人はたくさんいるわ!でも彼女は!彼女は私達一緒にいれて幸せだったの!その中で死んだの!多くの死人が(うらや)ましがるような死に方よ!」

 彼女が幸せだったのは良い事だ。ヘイヤは救われた気分になり悲しみが薄れていく。

 しかし、それはアリスがそうだと思っているだけだ。本当に幸せだったのか、それは本人にしか分からないのではないだろうか。彼は疑問に思った。


「そう……なのかな?」

「そうに決まっているでしょ!」

「本当に?」

「信じなさいよ!アリスなのよ!私!」

「……そっか、アリスだもんね」

 彼女に言われた瞬間、ヘイヤは疑問をどうでもよく思った。

 滅茶苦茶な理由だが、変に納得がいった。ローザは幸せのまま死んだ、それでいい。悲しむのではなく、安心するべきだとヘイヤは思った。


 悲しみは消えた。虚無の力が弱まった気がする。今なら止められそうな気がしてきた。

 止まれ。もう悲しくないし、世界が消えるだなんてあってはいけない。

 ヘイヤがそう念じた瞬間、風は収まり、地面は穴が開くのを止めた。そして、同時に二人は下へ落下した。


「危ない!」

 チェッシャーはそう言うと、宙を飛んで二人が落ちるのを防いだ。


「チェッシャー!君飛べたの?」

「まだ仮免なんだけどね」

「ちょっと!そんなのはいいから、地上に下ろしなさいよ!」

 チェッシャーは二人を地表まで連れて行き、そこで下ろした。


「ふぅ……重かった」

「ちょっと!レディーに対して重いって何よ!」

「ニヒヒ……君は胸に『重し』があるから仕方ないよん」

「あー、はいはい。そう言えばそうでしたねぇ」

 ヘイヤは二人のやり取りを見て笑った。


「ちょっと!何笑ってんのよ!元はと言えば、アンタが死んだ人の事、いつまでもメソメソしていたのが悪いんでしょ?」

「い、いや、アリス君。それにはちょっと誤解があるかな?彼にはそうしないといけない理由があってだね……」

「何よそれ!ちょっとチェッシャー!分かるように説明なさい!」

 アリスはスルスルとチェッシャーを登って、肩まで到達すると、首を絞めながら問いただした。


「く、苦ちい!やめたまえ、アリス君!これでは説明したくともできないよ!」

 チェッシャーは彼女を振りほどこうとした。


 ふと、ヘイヤは空を見た。青く澄んだ空だ。

 あの空のどこかで、ローザがこれを見て笑っている。

 そんな気が、ヘイヤにはしたのであった。

ありがとうございます。

次の話は明日19時ぐらいです。


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