第二章 繭蔵の青年
青年の名は、楠瀬圭一といった。父はとうに他界し、母も三年前に亡くなっていた。身寄りの少ない身の上で、蚕の世話をたった一人で引き受けてきた。
村の若者たちからは、陰で「時代錯誤の道化」と笑われることもあった。それでも圭一は、亡くなる直前の母が、最期まで繰り返していた「この蔵の灯りだけは、絶やさないでおくれ」という言葉だけを支えに、蚕を育て続けてきた。誰にどう見られようと、自分の選んだ生き方には意味がある――そう、かろうじて信じられていた。
だが、その蔵の経営は、既に限界に近づいていた。買い手のつかない生糸の在庫が積み上がり、今期を最後に廃業を、と心のどこかで覚悟していた矢先のことだった。
青年は、蚕棚の前にしゃがみこみ、桑の葉を丹念に選り分けていた。カビた葉、虫食いの葉、硬すぎる葉を除き、蚕の食む分だけを残していく、気の遠くなるほど地味な作業だった。
鞠子が声をかけると、青年は顔を上げた。日に焼けた、しかしどこか繊細な、感情を表に出さない顔だった。
「あなたが……蚕を?」
「ええ。この蔵で、まだ細々とですが」
青年は短く答え、また作業に戻ろうとした。その所作には、鞠子には理解できない種類の――誇りとでも呼ぶべきものがあった。だが鞠子はそれを、誇りとは読み取らなかった。
彼女の目に映ったのは、時代に取り残された哀れな労働の姿だった。
そして鞠子は、悪意など欠片もなく、むしろ心から相手を気遣うつもりで、こう微笑みかけたのだ。
「こんな根気のいるお仕事、今どきこんなふうに真剣にやってらっしゃるなんて、なんだか本当に尊敬しちゃいます。私だったら絶対に続けられないだろうなあ……。えらいなあ、ほんとに。今どき、こんなに一生懸命になれるものがあるだけで、幸せなことなのかもしれませんね。無理しないでくださいね」
青年の手が、桑の葉の上で止まった。
一瞬だった。ほんの一瞬、彼の頰の筋肉が強張り、それからすぐに、何事もなかったかのように緩んだ。
「……お気遣い、どうも」
声に乱れはなかった。鞠子は満足げに頷き、蔵を出た。彼女はその日のうちに、自分がその青年に何を言ったのかを、綺麗さっぱり忘れてしまった。
だが圭一は、忘れなかった。
鞠子の一言は、彼が最後にすがっていた「意味」を、根こそぎ奪っていった。村の若者たちの嘲りなら、まだ聞き流せた。悪意には、悪意で線を引き返せたからだ。だが鞠子の言葉には、悪意の欠片もなかった。心の底からの善意で下された評価だったからこそ、逃げ場がなかった。村が笑い、そして今、もっとも都会的で聡明な女が、同じ結論に――自分の人生は、結局はただ気の毒な、報われない徒労でしかない、という結論に――一切の疑いもなく辿り着いたのだ。
その夜、彼は蚕棚の前で、一匹の蚕が繭の中で身をよじる様を、長い間じっと見つめていた。繭の中で、蚕は自分の吐いた糸に幾重にも巻かれ、やがて身動きが取れなくなる。
「――尊敬しちゃう、か」
彼はそう呟くと、初めて笑った。それは、鞠子が浮かべたのと同じ種類の、静かで無機質な笑みだった。




