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本城玲子は黙ってない ~最強の嫁・本城玲子の半生~  作者: 上板橋喜十郎


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第四章 カレーをねだる女 第一節

 婚約破棄から二年後。

私は仕事関係で知り合った多岐川大輔と結婚し、多岐川玲子になった。

 大輔は穏やかな人だった。

少なくとも結婚当初はそう見えた。

優しくて、真面目で、変なトラブルとも無縁そうだったので、

(やっと普通の結婚が出来た)

と、その頃の私は本気で安心していた。

 結婚して一年ほど経ったある日。

私は翌日の夕飯をカレーにしようと思い、昼から仕込みをしていた。

玉ねぎを飴色になるまで炒め、野菜をペースト状にし、時間をかけて煮込む。

一晩寝かせたカレーが好きだった。

 そんな風に鍋をかき混ぜていると、インターホンが鳴った。

出てみると、近所の奥さん――橋本舞子が立っていた。

名前くらいしか知らない。

会えば挨拶する程度。

ただ、やたら距離感が近くて馴れ馴れしい人だったので、私は少し苦手だった。

舞子は鼻をひくひくさせながら言った。

「カレー作ってるの?いい匂いねぇ」

「私、授乳中だからカレー食べられないんだけど、食べたくなっちゃう」

知らんがな。

すると舞子は当然のように続けた。

「カレー食べてあげる代わりに、母乳飲ませられない間は私の赤ちゃんのお世話させてあげる」

「貴女もそのうち子供産むんだろうし、予行演習させてあげる」

何を言ってるのか一瞬理解できなかった。

「今日食べるものじゃないですし、それ以前によそ様にあげるもんじゃないですから、あげませんよ」

私ははっきり断った。

しかし舞子はニコニコしたまま。

「明日なら良いのね。ひと様に出すレベルじゃない事なんて気にしないわよ」

「だから、あげませんよ」

「じゃあ明日取りに来るね」

会話が成立していない。

(うわ……)

 私はちょっと本気で怖くなった。

近所なのは知っているが、深い付き合いは無いので家の場所すら知らない。

とりあえず大輔へ事情をメールしておいた。

授乳中に刺激物を避ける知識はあるらしい。

でも常識は無いらしい。

そもそも、手間暇かけて煮込んだカレーを、親しくもない人へあげる理由が無い。

私は、

(明日来ても断ろう)

と思った。

 そして翌日。

来たのは舞子本人ではなく、娘さんだった。

小学校低学年くらいの女の子。

「お母さんが、多岐川さんのところでおやつもらって来なさいって」

私は一瞬、言葉に詰まった。

上がらせるのも危険な気がしたので、玄関先で対応する。

「お名前は?」

「美紅」

「お家どこかな?」

聞き出してから帰した。

ちゃんと受け答え出来るし、困惑している様子もある。

まともなのは娘さんだけっぽかった。

 それから少し経って。

今度は舞子本人がやって来た。

美紅ちゃんを連れ、更に赤ちゃんを抱いている。

「うちの美紅がまだ、おやつもらってなくてぇ。まだ小さいから上手にお願い出来なかったみたい」

「今からでも良いから頂戴」

「あげる理由がありません。あとカレーもあげませんから帰って下さい」

私はかなり強めに言った。

しかし舞子は全く気にしていない。

「遠慮しなくていいよ。こういうのお互い様だし」

「ちょっと何言ってるか分かりませんね」

「それでね、思ったんだけど、いきなりお世話するの大変でしょ?娘も息子もお泊まり初めてだし。だから今からお世話させてあげる」

「いや、ホントに何言ってるか分かんないです」

本気で会話が成立しない。

美紅ちゃんは困った顔で母親と私を交互に見ている。

赤ちゃんの方は泣き始めた。

「とにかく無理です。これ以上しつこくするなら出るとこ出ますよ」

私はそう言ってドアを閉めた。

 するとまた少ししてインターホンが鳴った。

今度は旦那さん付き。

一家総出である。

舞子は鍋まで持参していた。

「こんばんは!お鍋まで頂くの悪いから鍋持ってきたよ!」

「ちょっと何言ってるか分かりません」

すると旦那さんが困惑顔で言った。

「え? カレーご馳走になるって聞いたんですけど……」

「一言も言ってません。そもそも奥さんの事は顔を知ってる程度で、お友達でも何でもありません」

旦那さんは舞子へ振り向く。

「どういう事?美紅と圭太をお泊まりさせてもらえるって言ってたよな?」

「玲子さんは恥ずかしがりだから。そのせいで友達いないから、私が仲良くしてあげてるんだよ」

旦那さんも話が通じていない感じだった。

「違うんです。私は子供いませんし、ママ友とかそういうの苦手なんで、仲良くする気もありません」

すると舞子は笑顔で言った。

「そんな堅苦しいこと言ってないでさ、とにかくカレー食べよ!」

「夫もまだ帰ってませんし、知らない人を家へ上げる気はありません。帰って下さい」

「帰って来てから紹介してくれれば良いよ!パパも飲み友達出来るし丁度良いよね!」

旦那さんが、ようやく異常事態を理解し始めた顔になる。

「……もしかして、ご迷惑でしたか?」

「最初からそう言ってます。娘さんを一人でおやつ貰いに来させるし、その後はお子さんを押しつけようとするし、非常に迷惑です」

旦那さんは青ざめた。

「……すみませんでした。失礼します」

しかし舞子はまだニコニコしている。

「やだ、パパも何か困ってるの?ウチら友達なんだよ?早くカレー食べよ。お腹すいたー」

「帰るぞ」

旦那さんは舞子を半ば引きずるようにして帰っていった。

その途中、美紅ちゃんだけがちゃんとしていた。

「おばちゃん、おやすみなさい」

と、ぺこりと頭を下げたのだ。

私は思わず、

「おやすみ」

と返した。

 帰宅した大輔へ事情を話すと、珍しく真顔になった。

「何かあったら、すぐ警察を呼べ」

私は少し安心した。

まともな感覚でいてくれて良かったと思った。

 そして翌日。

舞子の旦那さんが、一人で訪ねてきた。

「連絡先を知らなかったので、突然来てしまいまして……」

「昨日の件に関して、お詫びと説明をしたいんです。少しお時間頂けないでしょうか?」

疲れ切った顔だった。

「分かりました。今からで良ければ」

私はそう答えた。

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