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本城玲子は黙ってない ~最強の嫁・本城玲子の半生~  作者: 上板橋喜十郎


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第十八章 玲子最後の戦い 第一節

 佐伯尚哉と結婚して六年ほどが経過した。

義母と義妹の騒動も終わり、あれほど荒れていた生活もようやく落ち着いた。娘の玲香も元気に小学校に通い、私は在宅の仕事を続けながら、穏やかな日々を送っていた。

……少なくとも、最近までは。

 海外出張から戻ってきてから少しして尚哉は、どこかおかしくなっていた。

やたら残業が増えたし、休日も「ちょっと出かけてくる」と言って一人で外出することが多くなった。以前はリビングに放りっぱなしだったスマホにもロックを掛け、風呂やトイレにまで持ち歩くようになっていた。

怪しい……。

そう思い始めると、全部が怪しく見えてくる。

以前なら帰宅後すぐ娘と遊んでいたのに、最近は帰宅すると真っ先にシャワーへ向かう。服から香水とも柔軟剤とも違う、甘ったるい匂いがする日もあった。

今日も珍しくスマホを忘れて家を出たかと思ったら、数分後、玄関のドアが勢いよく開いた。

「俺のスマホ見た?」

息を切らしながら尚哉が聞いてくる。

「見てないけど」

「本当だな?」

「そんな事で嘘つかないわよ!」

一瞬、険しい顔をした尚哉だったが、すぐに目を逸らし、テーブルの上に置きっぱなしになっていたスマホを手に取ると

「悪い……行ってくる」

と言って出て行く。

「いってらっしゃい」

玄関のドアが閉まる。

私は無意識にため息を吐いていた。

すこぶる怪しい。

けれど、怪しいだけではどうにもならない。

昔の私なら感情的に問い詰めていたかもしれないが、今の私は知っている。

証拠のない追及は、自分を不利にするだけだ。

私はパソコンを開き、静かに興信所を検索した。

     ◇

 ネットで色々調べ、評判の良かった興信所にアポイントを取った。

渋谷駅近くの雑居ビル。

古臭い探偵事務所を想像していたが、案内されたのはガラス張りの綺麗なオフィスだった。

 受付に名前を告げると、神経質そうな眼鏡の男性が現れた。

「所長の黒川です」

「佐伯玲子です。よろしくお願いします」

「どうぞ、お掛け下さい」

 通された応接室は静かで、コーヒーの匂いがした。

 黒川は無駄のない動作でノートパソコンを開きながら言う。

「ご主人が浮気をしているという事ですが……」

「はい。ただ確証は無いんです。怪しいというか……」

自分で言いながら情けなくなる。

けれど黒川は慣れているのか、特に表情を変えなかった。

「ご主人の写真はお持ちですか?」

「はい。こちらです」

スマホに保存していた家族写真を見せる。

「お預かりしますね」

黒川は写真を取り込みながら続けた。

「では、こちらに貴方の連絡先、ご主人のお名前、生年月日、職場等、知りうる情報をご記入ください」

一通り記入する。

尚哉の勤務先。車種。通勤経路。よく行く店。休日の行動。

書けば書くほど、自分が夫を疑っている現実を突き付けられるようだった。

黒川は書類に目を通すと静かに頷いた。

「先ずは一週間調べてみましょう。それでご主人の行動パターンや浮気をしそうな日時を予測して調べれば費用も押さえられますから」

「分かりました。一週間で費用はお幾らでしょうか?」

「三十万円です。他に諸経費が掛かる可能性もありますが」

三十万。

安くはない。

だが、ここで躊躇して後悔するのは嫌だった。

「分かりました。よろしくお願いします」

     ◇

 それから一週間が経過した。

私は再び興信所を訪れていた。

黒川は前回と変わらず淡々としていたが、その表情には僅かな疲労が見えた。

「どうでしたか?」

私が尋ねると、黒川は小さく息を吐いた。

「ご主人、かなり警戒心が強いようですね。全く尻尾を掴ませません」

「浮気はしてないんでしょうか?」

「いや、おそらくしているでしょう」

黒川は断言した。

「しかし、先日お宅に付けさせて頂いた盗聴器ですが、どうやら見付かって処分されたようです」

「え……」

背筋が冷える。

「尾行も巻かれてしまう事が多く、ホテルに入ったのを一度だけ押さえましたが、一人で入って行ったんです」

「一人で?」

「浮気相手とは別々に入って部屋の中で落ち合っているんじゃないかと思います」

黒川は資料をめくる。

「風俗での利用も多いホテルなので、一人で入っていく女性も多く、誰が浮気相手なのか特定できないんです」

「ホテルから出る時も裏口から気付かれない様に出て行ってるようです」

「周囲への聞き込みでもそれらしき人物は全く浮かび上がらないんです。電話で連絡を取っている様子もなく、かなり周到にしているようです」

私は黙って聞いていた。

ここまで徹底しているとは思わなかった。

黒川は真っ直ぐ私を見る。

「これはかなりの長期戦になりそうです。費用の方は大丈夫でしょうか?それとも、ここまでにしますか?」

私はすぐに返事ができなかった。

「……分かりました。少し考えさせてください」

 三十万円が無駄だった。

事務所を出た私は、渋谷の雑踏の中をぼんやり歩いていた。

しかし、興信所が悪いというよりは、尚哉がバレない様に用意周到に動いているという事だ。

他の興信所に頼んでも同じような結果になるだろう。

スマホ。

盗聴器。

ホテル。

尾行対策。

まるで最初から、誰かに疑われる前提で動いているみたいだった。

どうしよう……。

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