第十五章 盗まれた虫よけスプレー
毎年、地域の子供会で初心者向けのキャンプを開いている。
夏休みに貸し切りバスを借りてキャンプ場へ行き、バーベキューをしたり、川遊びをしたり、虫取りをしたりする恒例行事だ。
参加者の殆どは小学生の子供連れ。
保護者同士も昔からの顔見知りが多く、比較的のんびりした雰囲気の集まりだった。
私の娘、玲香も小学校へ上がったので、その年から私も参加することになった。
準備の話を、たまたま薬局を経営している知人にしたところ、
「子供会で使うなら持って行きなよ」
と、大量の虫よけスプレーを段ボール箱ごと譲ってくれた。
しかも全部新品。
かなりありがたい。
私は当日の朝、その段ボール箱を玄関先へ出し、車へ積み込む準備をしていた。
すると、そのタイミングで携帯電話が鳴った。
私は、
(近所は顔見知りばっかりだし、少しくらい大丈夫でしょ)
と油断し、そのまま家へ戻って電話に出た。
通話はほんの数分。
しかし玄関へ戻った時、段ボール箱が消えていた。
一瞬、頭が真っ白になった。
他の荷物はまだ玄関の中にあったので無事。
つまり、盗まれたのはその虫よけスプレーだけだった。
私は慌てて周囲を見回したが、人影はない。
結局、警察へ通報した。
警察は比較的親身に話を聞いてくれ、被害届もきちんと受理された。
そして翌日。
子供会の貸し切りバス集合場所へ娘を連れて行った時だった。
私は思わず足を止めた。
そこに、見覚えのある段ボール箱があったからだ。
荷物係をしていた田代さんへ聞く。
「これ、どなたのですか?」
「ああ、吉沢さんからの寄付だよ。虫よけスプレー持ってきてくれたんだって」
吉沢さん。
高学年の娘さんがいるお母さんだった。
娘さんは挨拶もしっかりできる良い子で、吉沢さん本人も子供会行事へ積極的に参加している人だった。
だからこそ、私は混乱した。
田代さんが私の顔色を見て、不思議そうに聞いてくる。
「どうしたの?」
私は周囲に聞こえないよう、小声で言った。
「……この段ボール箱、昨日うちの玄関先から盗まれた物みたいなんです。警察にも被害届を出してるんですけど……」
すると田代さん。
びっくりし過ぎて声量の調整を忘れた。
「ええっ!?この荷物、佐伯さんの家から盗まれた物なの!?吉沢さんが持ってきたんだよ!?寄付するって!」
周囲に丸聞こえだった。
「まさか!? 吉沢さんが!?」
一気に周囲がざわつく。
私は内心、
(ああああ……騒ぎになっちゃった……)
と頭を抱えた。
そこへ、誰かが呼びに行ったのか、吉沢さん本人がやってきた。
ただ、意外だった。
取り乱す様子がまるで無い。
むしろ堂々としていた。
「なんか言いがかり付けられてるみたいで気分悪いんだけど」
吉沢さんは腕を組みながら言った。
「これは私が買ってきて寄付した物だから。間違いだって認めて謝罪してくれる?」
私も、田代さんも、一瞬言葉を失った。
あまりにも普通に言うからだ。
周囲も、
(あれ? 本当に勘違い?)
みたいな空気になり始めていた。
吉沢さんは勝ち誇ったように続ける。
「キョンチールの虫よけスプレー、箱買いしたのよ。高かったけど、みんなの役に立てるならと思って寄付したのに、この仕打ち!」
その瞬間。
私の頭の中で、何かが繋がった。
私は段ボール箱を指差した。
「この箱は確かにキョンチールの虫よけスプレーの箱です」
「でも中身は違います」
一瞬、周囲が静まる。
私ははっきり言った。
「中には色んな会社の虫よけスプレーが入ってるんです」
「なんで購入した本人が、それを知らないんですか?」
空気が凍った。
ざわつきが、ぴたりと止まる。
吉沢さんの顔色が変わった。
実際、知人から譲ってもらった虫よけスプレーは、メーカーも種類もバラバラだった。
それを運びやすいよう、たまたま空いていたキョンチールの段ボール箱へ詰めていただけなのである。
つまり。
箱しか見ていない人間なら、“キョンチールを箱買いした”と思い込む。
でも本当に購入した人間なら、中身がバラバラなのを知っているはずだった。
吉沢さんは、その後も認めなかった。
「そんなの知らない!」
「途中で入れ替えたんでしょ!」
などと言い張っていた。
しかし実際に箱を開ければ一目瞭然。
中身は私の言った通り、色んな会社の虫よけスプレーの詰め合わせだった。
結局、吉沢さんは、その場に来た警察に連行された。
私は正直、吉沢さん本人よりも、娘さんが可哀想だった。
キャンプにも参加できなくなってしまったし、あの子は何も悪くない。
後日、吉沢さんの旦那さんが謝罪に来た。
本当に疲れ切った顔をしていた。
「どうか示談にして頂けませんか」
娘さんの事もあった。
だから私は、慰謝料五十万円で手を打つことにした。
帰り際、旦那さんは深々と頭を下げ続けていた。
私はその背中を見ながら、
(盗むにしても、せめて中身くらい確認しなさいよ……)
と、何とも言えない気持ちになった。




