第十四章 五百万円
永嶋秀樹と離婚し、再び本城玲子に戻って二年ほど経った頃。
パソコン強奪事件から一年後くらい。
私は再々婚をした。
相手は佐伯尚哉。結婚当時、尚哉は四十二歳で、私より二歳年上だった。
それから二年が過ぎた。
娘は保育園に通っていて、私はそこで町田響子さんという母親と知り合った。
同じクラスの子のお母さんで、五人の子持ち。PTAでも同じ部になったので、顔を合わせる機会はそれなりにあった。
ただ、正直言って苦手な人だった。
子だくさんを理由に、下準備や面倒な作業はほとんどしない。それなのに打ち上げや食事会にはきっちり来る。そういう人だった。
ある日、その町田さんから、
「相談があるの」
と言われた。
家に来たいと言われたけど、絶対に上げたくなかった。粘られたが、私は近くのファミレスを指定した。
席に着くなり、町田さんは食べた。
食べる。食べる。さらにデザート。ついでにビールまで頼む。
私は自分のコーヒーだけを前にして、しばらくその様子を眺めながらICレコーダーの録音スイッチを押していた。
「それで、要件は何ですか?」
私が聞くと、町田さんは悪びれもせず言った。
「五百万貸してほしいの」
私は一瞬、聞き間違いかと思った。
「とりあえず明日までに二十万必要だから、それだけ先に貸して。五百万の方は今週末まででいいから。両方の旦那には内緒でね」
「絶対無理です。そんなお金はありません」
「家建てるんでしょ?ローンに上乗せしたら旦那さんにはバレないよ」
「お断りします」
私は即答した。
すると町田さんは、急に被害者みたいな顔をした。
「今週末までに五百万用意できないと家を取られるの。私も離婚される。子供たちが可哀想じゃないの!?人でなし!」
「五百万のローンって、いくら金利が掛かるのか分かってるんですか?」
でも響子さんには馬耳東風だった。
結局、話にならない。
私は自分のコーヒー代だけを払って出ようとした。
すると背中に声が飛んでくる。
「私の分は払ってくれないの!?酷い!泥棒!守銭奴!」
「自分の分は自分で払ってください」
私はそれだけ言って帰った。
当然、それで終わるはずがなかった。
翌日から響子さんは周囲に根回しを始めた。
本人からはしつこく連絡が来る。
「二十万は?」
「これ以上何かしたり、お金をゆすったりするなら出るとこ出ますよ」
「二十万、何時に取りに行けばいい?」
話が通じない。
さらに周りの保護者からもメールが来た。
「ダメだよ。借りたお金はちゃんと返さなきゃ」
「町田さんが頭金貸してくれたから家建てられたんでしょ?」
私はそこでようやく、響子さんが何を言いふらしているのか理解した。
私が町田家から家の頭金を借りた。
それを返さない。
そういう筋書きらしい。
しばらくして、響子さんからまたメールが来た。
『これから二十万取りに行くね。五百万も、は・や・く・ね♪』
私は返信した。
『私は貴方に頭金を借りた覚えはありません。本当ではない事を言いふらしたのであれば、出るところに出て判断して頂きます』
すると、すぐ返ってきた。
『え~?何の事~?それよりさぁ、お子さん、これからたぁいへぇんなことになるかもぉ~(笑)』
『おかーさんが借りパクするなんて噂出ちゃったら、い・じ・め・られちゃうかも☆キャハ』
『ウ・フ・フ☆』
私は、その文面を見た瞬間に顔から血の気が引いた。
私一人ならまだいい。
でも娘を巻き込むなら話は別だ。
私はすぐ娘を母の家へ避難させた。
その足で近所の交番へ行く。
しかし対応は最悪だった。
「知り合い同士なら、上手く話し合って解決を」
最寄りの警察署でも同じだった。
「知り合いなんでしょ? 大げさな。上手く話し合って解決してください」
怒りで手が震えた。
私は警視庁へ連絡した。
すると、ようやくまともに話を聞いてくれた。
メールの内容を読み上げ、録音もあると伝えると、対応した人の声色が変わった。
その後、最寄りの警察署へ電話して叱ってくれたらしい。
やっぱり録音は強い。
それは警察相手でも同じだった。
その頃、響子さんからまたメールが届いていた。
『三十万取りに家に行ってあげたのに、家にいないなんて失礼ね』
『逃げても無駄。もっと増やしちゃうぞ☆』
ちなみに最初は二十万だったのに、いつの間にか三十万になっていた。
待たせ代らしい。
意味が分からない。
尚哉は最初、
「変な冗談言う奴がいるんだなー」
くらいの反応だった。
でもメールと録音を見せると、流石に顔色が変わった。
保育園の担任にもすぐ事情を説明した。
そして保育園で話し合いの場を作ってもらった。
私は録音した音声とメールを提示しながら言った。
「このように、子供に危害を加えると思われることを言われています」
「大体、友人でもない相手と大金の貸し借りをすると思いますか?」
「警察にも相談済みです。これから弁護士にも相談に行きます」
しかし先生たちは最初、まだ事態を軽く見ていた。
「そんな大げさな」
「話し合いで何とか」
「冗談ではないんですか?」
私は静かに言った。
「先生方、ニュースを見ていませんか?」
「万が一、この嘘の噂で娘がいじめられたり、自殺したりしたら責任取れるんですか?」
「実際、この噂を信じた方がそちらに連絡したんですよね?」
そこで、ようやく黙った。
結局、来週クラス会を開いてもらうことになった。
その後、私は以前お世話になった松元先生に相談へ行った。
松元先生はメールと録音を確認し、眉をひそめた。
「一見ふざけているように見せかけていますが、これは悪質ですね」
「あのファミレスでの録音が本音でしょう。これからメールの口調はどんどん変わっていくはずです。証拠なので、絶対に削除しないでください」
その言葉通りだった。
松元先生は、録音データを証拠に名誉毀損で裁判も辞さない姿勢を示し、関係者へ内容証明を送付してくれた。
すると、空気は一気に変わった。
響子さんの旦那さんが謝罪に来た。
保育園でも話題になり、嘘がバレた響子さんは一気に肩身が狭くなった。
結果として、町田家は自宅を売却して引っ越すことになった。
響子さん本人は最後まで、
「あたし悪くない! 金持ってるのに寄越さない玲子が悪い!」
と言っていたらしい。
でも実家へ返され、通院させられることになったそうだ。
響子さんに賛同していた人たちは、後からヘラヘラしながら、
「ごめ~ん」
と言ってきたが、全員切った。
保育園にも、今後同じクラスにならないようお願いした。
後日。
響子さんの旦那さん名義で、慰謝料百万円の振り込みがあった。
五百万円貸せと言ってきた話が、百万円払う話になった。
世の中、欲張ると高くつく。




