第十二章 姓名判断 第二節
呼び鈴を押すと、丁度、玄関のドアが開いた。
出てきたのは林家の息子、郁夫だった。
三十歳くらいのサラリーマン風の男で、スーツ姿のままネクタイを緩めている。
仕事を終えて今帰ってきたばかりといった感じだった。
そして、私の顔を見た瞬間、目に見えて顔色が変わった。
「あ……本城さん……」
完全に動揺している。
「あなた、私がAV女優だとか嘘の噂、広めたでしょ?」
そう言った瞬間だった。
郁夫はいきなり玄関先で土下座した。
「申し訳ありません!」
私は思わず目を瞬かせる。
「僕の迂闊な一言で、こんなことになるなんて……!」
「……どういう事?」
郁夫は青ざめた顔のまま説明を始めた。
三日前。
林家の夕食時のことだったらしい。
父の貢二がビールを飲みながら言った。
「お前、そろそろ結婚しないのか?」
「うーん……なかなか良い人いないんだよね」
「どういう女が好みなんだ?」
「別に好きな芸能人とかもいないしなぁ……」
「女に興味ないのか?」
「そういう訳じゃないよ」
そこで郁夫は何気なく口にしたという。
「近所の本城さんとか、綺麗だしスタイル良いし、しっかりしてそうで、ああいう人なら良いかもな」
それを聞いた父の貢二が苦笑した。
「確かに見た目は良いが、バツ二の子持ちだぞ」
「え? バツ二なの?」
「ああ。確か前の姓は永嶋だったかな。その前は知らんが」
「ふーん……永嶋玲子か」
そこで郁夫は、軽い雑談のつもりで言った。
『ナガシマレイコってAV女優いたな……』
すると、その瞬間だった。
母の真須美が急にスマホを取り出したらしい。
「ナガシマってどういう字?」
「永遠の“永”に、左に山の“嶋”だったと思う」
「そうか。AV女優の方は“長い短い”の長だから別人か」
「いや、そもそも芸名だろ。本名で出る訳ないじゃん」
「それもそうか」
二人で笑っていた、その時。
真須美がどこかへ電話を掛け始めた。
「もしもし、上野さん?ちょっと聞いて。近所の本城さん、AV女優だったんだって」
「母さん!違うって!」
「しかもバツ二なのよ。やっぱり普通じゃないわよねぇ」
「だから違うって!」
「うちの郁夫までたぶらかそうとしてるのよ」
「してないってば!」
「こういう女って近所にいると迷惑よねぇ。噂広めて追い出しちゃいましょうよ」
「母さん!」
しかし真須美は全く聞く耳を持たなかったらしい。
「それじゃ、よろしくねぇ」
そこで電話を切り、郁夫を睨みつけた。
「アンタもアンタよ!あんなバツ二の子持ちに惚れるなんて」
「だから惚れてないって」
「何が違うのよ。あんな年増女に騙されて」
「だから違うって!」
――という流れだったらしい。
話を聞き終えた私は、深々とため息を吐いた。
「で? お母さんは?」
「い、今、買い物に行ってて……もうすぐ帰ってくると思います」
「そう」
私は靴を脱いだ。
「分かりました。じゃあ待たせてもらうわ」
「えっ」
郁夫が慌てるが無視して上がり込む。
「パソコン持ってる?」
「え?は、はい……」
「ちょっと借りるわよ」
「ど、どうぞ……」
私は郁夫のノートパソコンを立ち上げ、検索履歴から問題のAV女優を探し出す。
ほどなくして玄関が開いた。
「ただいまー」
真須美だった。
そして私を見るなり悲鳴のような声を上げる。
「ちょっと!?本城さん!?何してるの!?」
更に顔を真っ赤にして叫んだ。
「分かった!息子をたぶらかしに来たのね!このアバズレ!」
「あんたの息子になんて興味ないわよ!」
「何ですって!?」
「それより、私がAV女優だって噂、広めたでしょ?」
「事実なんだからしょうがないじゃない」
「事実じゃありません!」
私はノートパソコンの画面を真須美へ向けた。
そこにはAV女優・長嶋玲子のサンプル動画が映っている。
「これと私、どこが同じなんですか?」
真須美は画面と私の顔を交互に見る。
「別人だって一目瞭然ですよね?」
だが、真須美はなおも強気だった。
「姓名判断ってあるでしょ。名前が同じなら、あんたもふしだらに決まってるわ」
一瞬、沈黙。
そして私は吹き出した。
「プッ……」
「な、何がおかしいのよ!」
「姓名判断?名前が同じなら同じ?」
私は笑いを堪えながら言う。
「あんたの名前、和歌山カレー事件の犯人と同じ名前じゃない」
真須美の顔が引きつった。
「名前が同じなら、あんたも殺人犯って事ね」
「なっ……!」
「しかも旦那さんは耳かき店事件の犯人と同じ名前、息子さんはオウム真理教幹部と同じ名前じゃない」
「名前が同じなら同じなんでしょ?」
「だったら私じゃなくて、犯罪者一家の林家の方こそ近所から追い出されるべきじゃない?」
「そ、それは……!」
その時だった。
再び玄関が開く。
「ただいま」
帰ってきたのは夫の貢二だった。
真須美はすぐさま駆け寄る。
「あなた!本城さんが息子をたぶらかしに来たのよ!早く追い出して!」
だが郁夫が慌てて事情を説明する。
説明を聞き終えた貢二は、顔面蒼白になった。
そして、いきなり私の前で土下座した。
「申し訳ありません!」
真須美が叫ぶ。
「ちょっと何やってるのよ!?」
「慰謝料はお支払いします! ですから何とか示談で……!」
「慰謝料!?何でそんなもの払わなきゃいけないのよ!」
私は冷たく言った。
「別にいいですよ。名誉毀損で訴えますから」
真須美は鼻で笑う。
「訴えれば?誰もアンタの言い分なんて信じないわよ」
すると貢二が怒鳴った。
「バカッ!!」
真須美が固まる。
「お前は本当にバカだな!」
「事実無根の噂で人を貶めたんだぞ!?しかも、お前が話した上野さんが証言したら完全に終わりだ!」
「それにな……」
貢二は苦々しい顔で続ける。
「お前の名前で裁判になってみろ。それこそ噂に尾ひれがついて、本当に殺人犯扱いされるぞ」
「そうなったら、うちの家族が近所に住めなくなるんだ!」
そこでようやく真須美は理解したらしい。
膝から崩れ落ちた。
「そ……そんな……」
私は静かに言った。
「慰謝料は百万円請求します」
三人の顔が強張る。
「ただし、もう一つ、条件があります」
そして私は、一つの条件を提示した。
それから数日間。
林一家は近所を一軒一軒回り、頭を下げながら噂の撤回をして歩く事になった。




