第十二章 姓名判断 第一節
成田夫妻との騒動から三ヶ月ほど経ったある日、美桜から電話が入った。
「もしもし、美桜?どうしたの?」
しかし、電話口の向こうの美桜は妙に歯切れが悪い。
『それがね……ちょっと言いにくいんだけど……』
嫌な予感がした。
「何よ。もしかして、また莉乃さんが何かしかけてきたの?」
『そうじゃないんだけど……』
「何?ハッキリ言ってよ」
少し沈黙した後、美桜が意を決したように口を開く。
『うん……あのね……玲子、AV女優……やってた……?』
「はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「やってないわよ、そんなの!」
『だよね!?私もおかしいと思ったんだよ!』
「何それ!どういう事なの!?」
『実は最近、近所で噂になってて……』
「は!?意味分かんないんだけど!」
私は思わず声を荒げた。
「言っとくけど、私は職業に貴賤なしと思ってるから、AV女優って仕事そのものを馬鹿にする気はないわよ?でも私はやってないし、そんな嘘を広められるのは話が別!」
『うん……ごめん……』
「謝るのは美桜じゃないでしょ。それより、その噂の発信元分かる?」
『そこまでは分からないの。私は恵に聞いただけだから』
坂本恵。
高校時代からの友人で、この前のお茶会にも参加していた。
「分かった。恵に電話してみる」
『もし出所分かったら教えるね』
「お願い」
電話を切ると、私はすぐに恵へ電話をかけた。
『もしもし?』
「恵。ちょっと聞きたいんだけど」
『な、何……?』
妙に動揺した声だった。
「私がAV女優してたとか、美桜に話したでしょ?」
『え……あ……うん……』
「なんでそんな事言うの!?」
『いや、私が言い出したんじゃなくて……めいちゃんが言ってて……』
今度は荒川めい。
大学時代からの友人だ。
「分かった。めいに確認する」
『ご、ごめん……』
電話を切ると、間を置かずめいへ発信した。
『玲子?どうしたの?』
「あんた、私がAV女優やってたとか吹聴してるの?」
『ち、違う違う!私は恵に話しただけで広めては――』
「十分広めてるでしょうが!」
『ご、ごめん……でも私も聞いただけなんだって!』
「誰から?」
『上野さん……』
その名前を聞いた瞬間、頭痛がした。
上野真紀。
近所でも有名な“歩く回覧板”。
一度耳に入れた話は、翌日には半径一キロへ拡散される。
「……分かった」
『玲子、怒ってる?』
「怒ってるわよ。当たり前でしょ」
『ごめん……』
「それと、当然だけど事実無根だからね。これ以上広めないでよ」
『う、うん……』
電話を切る。
深く息を吐いた。
だが、怒りは全く収まらない。
よりによってAV女優。
普通の浮気話や水商売の噂と違って、人によっては決定的な悪印象を持つ類の噂だ。
しかも、一度広がった噂は消えない。
否定すればするほど、「必死になってる」と面白がる連中まで出てくる。
(ふざけないでよ……)
私は急いで身支度を整えると、上野家へ向かった。
途中、住宅街の角を曲がったところで、高校生くらいの男子二人組とすれ違った。
一人がニヤニヤしながら声を掛けてくる。
「ねえ、おばさん」
「何?」
「おばさん、AV女優だったんでしょ?俺たちにもやらせてよ」
もう一人も笑いながら、
「いいじゃん減るもんじゃないし」
と言ってきた。
ブチッ、と頭の中で何かが切れた。
「あんた達、高校生でしょ」
低い声で言う。
「生意気な事言ってんじゃないわよ」
二人の顔から笑みが消えた。
私は更に一歩近づく。
「あと、その噂、事実無根だから。これ以上広めたら、親と学校巻き込んで徹底的にやるからね」
二人は顔を引きつらせる。
「す、すみません……」
そして逃げるように走って行った。
私は苛立ちを押し殺したまま上野家へ向かう。
呼び鈴を押すと、しばらくして上野真紀が出てきた。
「あら、本城さん。珍しいわね」
「上野さん。私がAV女優だって噂、広めてますよね?」
真紀は一瞬目を逸らした後、悪びれもなく答えた。
「ああ……何人かには話したわね」
あまりにあっさり認めたので逆に呆れた。
「事実じゃない事を広めて人を貶めるなら、名誉毀損で訴えますよ」
「え?でも出てたんでしょ?」
「出てません!」
強めに言い切る。
真紀は困惑した顔をした。
「でも林さんが言ってたのよ。息子さんが見つけたって」
「はぁ!?」
私は思わず眉をひそめた。
(林家の息子……?)
林家には社会人の息子がいたはずだ。
「とにかく事実無根です。これ以上広めたら本当に訴えますから」
「わ、分かったわよ……」
真紀は少し怯えたように頷いた。
私は踵を返す。
向かう先は決まっていた。
――林家だ。




