第二十一話 なんか、朝から照れくさいです。
朝の仕込みの時間。
階段を降りてくると、アゼルはもう厨房に立っていた。
いつも通りだった。
野菜を刻む音。スープを煮る匂い。窓から差し込む朝の光。
何も変わっていない。
でも、何かが変わった。
「おはよう」
あたしが声をかけると、アゼルが振り返った。
いつもと同じ顔だった。
でも、一瞬だけ、耳が赤くなった。
「……おはよう」
あたしも少し、顔が熱くなった。
二人で少しの間、黙っていた。
「……テーブル、拭いてくれるか」
「うん」
「グラスも」
「わかった」
「五分同じところを磨かなければいい」
「……見てたんだ」
「ずっと見てたと言った」
あたしは思わず笑った。
アゼルの耳が、また赤くなった。
※ ※ ※ ※ ※
十五時、開店。
最初に来たのは、常連のおじさんだった。
席に座って、あたしとアゼルを交互に見た。
「……なんか、変わったか?」
「何も変わってないですよ」
「そうか?」
「そうです」
おじさんはオムライスを注文しながら、またちらちらと見てきた。
「アゼルの奴、なんか顔が柔らかくなった気がするけどな」
「そうですか?」
「お前も、なんか明るいし」
「いつも明るいです」
「違う明るさだ」
あたしは笑顔のままお水を補充した。
「オムライスは何の絵にしますか、ご主人様」
「……ハートにしてくれ」
「かしこまりました」
おじさんがまた、にやにやした。
「いや、なんでもない」
※ ※ ※ ※ ※
夕方、商人の娘さんたちが来た。
いつものようにパフェを注文して、にやにやしながら言った。
「マミちゃん、なんか今日雰囲気違う」
「そうですか?」
「違う違う。なんかふわっとしてる」
「ふわっと、ですか」
「ねえ、マスターと何かあった?」
あたしは少し固まった。
「……何もないですよ」
「ほんとに?」
「ほんとです」
二人が顔を見合わせた。
「でも、マスターがさっきからこっちをちらちら見てる」
あたしはさりげなく厨房の方を見た。
アゼルがこちらを向いていた。
目が合った。
アゼルがすっと前を向いた。
「……何もないです」
「絶対何かある」
「ないです」
「ならなんでマミちゃんの顔が赤いの」
「……暑いんだと思います」
「今日は涼しいけど」
「そういうこともあります」
二人が声を上げて笑った。
あたしは次のテーブルに向かった。
心臓がうるさかった。
※ ※ ※ ※ ※
閉店後、二人で片付けをしていた。
「アゼル」
「うん」
「さっき、こっちを見てたでしょ」
アゼルが少し手を止めた。
「……見てない」
「見てた。娘さんたちにも気づかれた」
「……気のせいだ」
「気のせいじゃない」
アゼルはグラスを丁寧に棚に戻した。
しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「……つい、見てしまう」
あたしは少し嬉しくなった。
「昨日からずっと?」
「……昨日からじゃない」
「いつから?」
「……最初から、と言った」
「猫耳と尻尾が生えてた日から」
「ああ」
「それって、ずっと見てたってこと?」
「……そうなる」
あたしはアゼルの横顔を見た。
少し照れているのに、目が真剣だった。
「アゼル」
「うん」
「あたしも、ずっと見てた」
アゼルがこちらを向いた。
「……知ってる」
「知ってたんだ」
「グラスを五分磨いてたから」
あたしは思わず笑った。
「それ、ずっと言うんだ」
「言う」
「恥ずかしいからやめて」
「マミが先に言ったことだ」
「言ってない」
「行動で言ってた」
あたしはエプロンで顔を隠した。
アゼルが珍しく、少し声を上げて笑った。
※ ※ ※ ※ ※
片付けが終わった頃、アゼルがミルクティーを二つ作ってくれた。
カウンターに並んで座った。
いつもの時間だった。
でも、いつもより少しだけ距離が近かった。
「アゼル」
「うん」
「これから、何か変わる?」
「何が?」
「あたしたちの、関係とか」
アゼルは少し考えてから、答えた。
「……変わらないと思う」
「そうかな」
「毎日一緒にいる。一緒に料理する。一緒にお店を守る。それは変わらない」
「じゃあ何が変わるの?」
アゼルはしばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「……見てることを、隠さなくていい」
あたしは少し目が熱くなった。
「……それだけでいい」
「十分だ」
二人でミルクティーを飲んだ。
甘くて、温かかった。
向かいのリリウムは、もう消えていた。
空には星がたくさん出ていた。
「アゼル」
「うん」
「明日も、このお店、一緒に開けようね」
「……当たり前だ」
「ずっと」
「ずっと」
今夜のオスティウムは、静かで、温かくて、あたしの大好きな場所だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
「見てることを、隠さなくていい」……アゼルらしい、不器用だけど確かな言葉でした。
おじさんと娘さんたちに気づかれちゃいましたね(笑)
次回、新メニュー開発が始まります。付き合い始めの二人の料理開発、どんな化学反応が起きるでしょうか?
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