第十二話 アゼルがいない日の、オスティウム。
翌朝、アゼルは仕込みを済ませてから言った。
「午後からリリウムに行ってくる。夜には戻る」
「わかった。お店はあたしが回すから大丈夫」
「一人で大丈夫か?」
「アゼルが仕込みしてくれたんだから、あとはあたしがなんとかする」
アゼルは少し迷うような顔をした。
「……無理するな」
「するつもりないよ」
「困ったら閉めていい」
「閉めない」
アゼルがこちらをじっと見た。
「……マミ」
「うん」
「ありがとう」
「何が?」
「マリーのこと」
あたしは少し驚いた。
アゼルが自分からお礼を言うのは、珍しい。
「あたしが好き勝手に決めたんだから、お礼はいらないよ」
「それでも」
アゼルは静かにそう言って、リリウムへと向かった。
あたしはその背中を見送ってから、エプロンを結び直した。
さて、一人でやるか。
※ ※ ※ ※ ※
十五時、開店。
最初の一時間はのんびりしていた。
常連のおじさんが来て、オムライスを注文した。
「アゼルは?」
「今日は出かけています」
「そうか。マミちゃんが作るのか?」
「はい。アゼルに教えてもらいましたので」
おじさんは少し心配そうな顔をしたけど、出来上がったオムライスを食べると、ほっとした顔になった。
「……うまいじゃないか」
「ありがとうございます」
「アゼルには及ばないけど、マミちゃんの味だな」
「マミちゃんの味、ですか」
「うん。なんか、優しい味がする」
あたしは少し嬉しくなって、ケチャップで大きなハートを描いた。
おじさんが笑った。
※ ※ ※ ※ ※
夕方になって、お客さんが増えてきた。
十七時を過ぎると、テーブルが埋まってきた。
一人でホールと厨房を回すのは、正直きつかった。
注文を取りながら料理を作りながらお水を補充しながら——。
それでも、一人一人のお客様の顔を見る余裕だけは持つようにした。
グラスが空いている人。料理を待ちくたびれている人。初めて来たらしくて緊張している人。
「お待たせしました」「ゆっくりしていってください」「初めてのご来店ですか?」
全部に声をかけると、全員がどこかでほっとした顔をした。
人って、見てもらえると嬉しいんだな。
あたしはレストランで働いていた頃のことを思い出した。
忙しくて、余裕がなくて、お客様の顔を見る暇もなかった。
でも今は違う。
このお店が好きだから、ちゃんと見たい。
※ ※ ※ ※ ※
二十時頃、扉が開いた。
アゼルが戻ってきた。
少し疲れた顔をしていたけど、表情は穏やかだった。
「おかえり」
「……ただいま」
あたしは驚いた。
アゼルが「ただいま」と言ったのは、初めてだった。
「どうだった?」
「リリウムのシェフは腕がある。教えることはそんなにない」
「じゃあ何をしてたの?」
「……マリーと、少し話した」
あたしはアゼルの顔を見た。
「昔の話?」
「……少しだけ」
アゼルはカウンターに入りながら、静かに続けた。
「マリーとは、昔知り合いだった。俺がまだ、今と違う仕事をしていた頃」
「今と違う仕事」
「……剣を使う仕事だ」
あたしは黙って聞いた。
「マリーは当時から変わってない。プライドが高くて、真面目で、不器用で」
「……アゼルも人のこと言えないと思うけど」
アゼルが少し苦い顔をした。
「……そうかもしれない」
「仲良かったの?」
「……よくわからない。ただ、あの頃のマリーは、今より辛そうだった」
あたしはしばらく考えてから、聞いた。
「今は?」
アゼルは少し間を置いた。
「……今は、楽しそうだった」
「そっか」
「マミのおかげだと思う」
「マリー様はマリー様自身が変わったんだよ」
アゼルはあたしを見た。
「……マミは、どうしてそういうことが言えるんだ」
「え?」
「自分の手柄にしない」
「だって本当のことだから」
アゼルはしばらくあたしを見ていた。
それから、静かに言った。
「……マミ、今日一人でよく頑張ったな」
「見てたの?」
「戻ってきた時に、少し外から見てた」
「もっと早く入ってきてよ」
「……忙しそうだったから、邪魔したくなかった」
あたしは少し笑った。
「邪魔じゃないよ。アゼルがいるだけで、お店が落ち着くんだから」
アゼルが動きを止めた。
「……そうか」
「そうだよ」
しばらく沈黙が続いた。
お店の中では、残っているお客様たちが静かに話している。
向かいのリリウムにも、まだ明かりが灯っている。
アゼルが、静かに言った。
「……マミ」
「うん」
「俺も、このお店が好きだ」
あたしはアゼルの横顔を見た。
厨房の明かりの中で、アゼルは少し照れたような、でも真剣な顔をしていた。
「……知ってるよ」
「知ってたのか」
「毎日楽しそうに料理してるから」
アゼルは小さく笑った。
今夜のその笑顔は、いつもより少しだけ柔らかかった気がした。
あたしは胸の奥で、何かがじわっと温かくなるのを感じた。
それが何なのかは、まだわからなかった。
でも悪くなかった。
今夜のメイド喫茶オスティウムは、静かに、でも確かに温かかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
アゼルの「ただいま」、じわじわきませんでしたか?
そして「マミ、今日一人でよく頑張ったな」……不器用なアゼルらしい褒め方だと思います。
マリー様との「昔の話」も少しだけ明かされました。
剣を使う仕事……アゼルの過去に何があったのか、続きをお楽しみに。
次回、マミの胸の中の「何か」が、少しずつ形になっていきます。
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