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9/11

出発進行!

 二度目の気絶を果たしたアルフレッドを芝生に放置したまま、俺たちは屋敷へと戻った。

 風邪を引くかもしれないが、自業自得だ。

 それに過保護な使用人の誰かが後で回収するだろう。


「まったく。手のかかる兄貴ね」


 アルシェリナが呆れたようにため息をついた。

 俺も全く同感だ。

 だが屋敷に足を踏み入れた途端に、その弛緩した空気は一変した。

 テーブルの上に、一枚の豪奢な封筒がポツンと置かれていたのだ。

 純白の封筒には金色の蝋で封がされている。


「おや」


 ペリウルスがそれに近づき宛名を確認した。

 彼女の目がスッと細められる。


「お嬢様宛てのようですわ」

「俺に?」


 俺は首を傾げた。

 アルシェリナも怪訝な顔をして封筒を覗き込む。


「アリスに手紙?病み上がりで社交界に出たこともないあんたに?」


 確かに不自然だ。

 この世界での俺はただの侯爵家に引き取られた身寄りのない子供だ。

 外部に知人がいるはずもない。

 ペリウルスがペーパーナイフで丁寧に封を開け、中の便箋を取り出した。


「王都の有力貴族である、マルボロ公爵夫人からの招待状ですわ」


 彼女が内容を読み上げる。


「来週末に公爵邸で開かれるお茶会に、ぜひアリスお嬢様をご招待したいと」


 アルシェリナが顔をしかめた。


「マルボロ公爵夫人?あの派閥争いと権力闘争が大好きな古狸が、なぜアリスを?」


 どう考えても異常事態だ。

 ただの子供を権力者がわざわざ指名してお茶会に呼ぶ理由がない。

 俺の脳裏に昨夜の出来事が鮮明に蘇った。

 月明かりの下で俺の命を狙った刺客。

 そして彼女が放った本気の殺意。

 あの暗殺は失敗に終わった。

 ならば敵が次に取る行動は何か。

 相手の懐に引きずり込み、逃げ場のない場所で確実に仕留めることだ。

 間違いない。

 このお茶会の裏にはあの刺客を放った黒幕が潜んでいる。

 俺の中で点と点が一本の線で繋がった。

 青いインナーに黒いジャケットの女。

 姿は見ていないが俺の直感がそう告げていた。


「罠は引っかかるためにある」


 俺が呟くと、アルシェリナがハッとして俺を見た。


「行く気?馬鹿じゃないの。相手の陣地に丸腰で乗り込むようなものよ」

「断れば、向こうはさらに強硬な手段に出てくるかもしれない」


 俺はテーブルの上の招待状を手に取った。

 指先からかすかに甘い香水の匂いが漂う。

 それが逆に血生臭い陰謀の匂いのように感じられた。


「それに、俺の命を狙う奴の顔を拝んでおきたいから」


 前世の戦士としての血が騒いでいた。

 やられっぱなしで引き下がる趣味はない。

 売られた喧嘩は正面から買ってやる。

 俺の口角が自然と吊り上がった。


「お嬢様がそう仰るなら、私はどこまでもお供いたしますわ」


 ペリウルスが静かに一礼した。

 その瞳にはメイドの忠誠ではなく、暗殺者としての冷たい光が宿っていた。


「勝手にしなさいよ。どうせ止めても行くんでしょ」


 アルシェリナは呆れたようにそっぽを向いたが、その手はしっかりと杖を握りしめていた。

 どうやらこの最強の妹も一緒についてきてくれるらしい。

 俺は頼もしい味方たちを見回し来たるべきお茶会という名の戦場に思いを馳せた。


───


 決戦の日が迫っていた。

 俺の自室のベッドには、最高級のシルクで仕立てられた純白のドレスが広げられている。

 しかし、その光景はどう見てもお姫様の着せ替えごっことは程遠かった。


「お嬢様。裾のフリルにはチタン製の極薄刃を縫い込んでおきました。ターンするだけで周囲の敵の足を切断できますわ」


 ペリウルスが楽しそうに恐ろしいことを言った。

 彼女の手には裁縫箱ではなく、物騒な暗器の数々が握られている。


「胸元のコサージュには即効性の麻痺毒を塗った針を。背中のリボンには絞殺用の鋼線が仕込んであります」


 やめろ。

 ただのお茶会に行くのに殺意が高すぎる。

 自分がちょっと動いただけで自爆しそうな危険極まりない代物だ。


「そんなもん着て歩けるか!重いし、危ないだろ!」


 俺が抗議すると、横からアルシェリナが鼻で笑った。


「安心しなさい。私が完璧な防御魔法を編み込んであげるから」


 彼女はドレスに向かって杖を振るい複雑な詠唱を始めた。

 純白のドレスがぼんやりと青白い光を帯びていく。


「衝撃吸収、熱耐性、毒物分解、おまけに物理反射の結界も付与しておいたわ。これで大砲の弾が直撃しても傷一つ付かないはずよ」


 おまけのレベルがおかしい。


「さあアリス!着てみなさい!」


 二人に急かされ、俺は渋々その決戦兵器に袖を通した。

 重い。

 見た目は可憐なフリルのドレスなのに、着心地は完全にフルプレートアーマーだ。

 一歩歩くたびに布の擦れる音に混じってチャキッという金属音が微かに鳴る。


「歩きづらい!これじゃ暗殺の歩法もクソもないぞ!」


 俺が文句を言うと、ペリウルスは満足げに頷いた。


「問題ありませんわ。防御はアルシェリナ様の魔法が完璧にこなしてくれます。お嬢様はただ、堂々と歩き敵の懐で踊るように暗器を振りまけばよいのです」


 完全に殺戮マシーンの運用思想だ。


「文句言わないの。私の魔力をこれでもかと注ぎ込んだんだから感謝してよね」


 アルシェリナも腕を組んで自慢げにふんぞり返っている。

 魔法と物理の二大巨頭が謎の協調性を見せた結果、俺は歩く武器庫兼移動要塞へと変貌を遂げてしまった。

 鏡の前に立つと、そこには純白のドレスを着こなす銀髪の美少女が映っている。

 見た目だけなら儚げで可憐な侯爵令嬢そのものだ。

 だが、中身は前世の脳筋戦士であり、外装はチート級の装甲と武装に身を包んでいる。


「よし。これでどんな罠が待ち受けていようと、正面からぶっ潰せるな」


 俺は鏡の中の自分に向かって、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。

 お茶会という名の戦場が今から楽しみで仕方ない。

 鏡の前で自分の姿を確認していると、背後からバタンと勢いよく扉が開いた。

 いつの間にか気絶から復活していたアルフレッドだ。

 彼は俺の姿を見るなり、目をひん剥いて叫んだ。


「破廉恥すぎる!それに物騒だ!」


 どうやら暗殺の歩法を邪魔しないようにペリウルスが勝手に入れた、深いスリットと歩くたびにチラ見えする大量の刃が気に入らないらしい。

 過保護な当主様は顔を真っ赤にして抗議してきた。


「僕の可憐な天使になんて格好をさせるんだ!太ももが見えすぎているし、そこら中からチャキチャキ音が鳴ってるじゃないか!」


 すると横からアルシェリナがジト目で口を挟む。


「好きじゃないの?こういうの」


 痛いところを突かれたのかアルフレッドは急に言葉に詰まった。

 しどろもどろになりながら視線を泳がせている。

 図星らしい。


「う、いや……その……なんかこう、アリスにはこういうのは似合わないというか解釈違いというか……」


 解釈違い。

 オタクみたいなことを言い出したぞこのイケメンは。

 彼の中の『理想の可憐な妹アリス像』から大きく外れているということらしい。

 なるほど。

 俺はここで少し悪知恵を働かせることにした。

 前世の脳筋戦士だった頃には絶対にやらなかったであろう『か弱い少女』の演技だ。

 俺はスッと目を伏せて、声のトーンを限界まで落とした。

 そして少しだけ肩を震わせる。


「お兄様……似合わなくて、ごめんなさい」


 上目遣いで涙ぐんだふりをして、アルフレッドをそっと見つめた。

 効果は絶大だ。


「あっ!いや!違うんだアリス!似合ってないわけじゃないんだ!むしろ最高に可愛いんだけど、僕の心臓が持たないというか!」


 アルフレッドは頭を抱えて、完全なパニック状態に陥った。

 さっきまでの抗議の姿勢はどこへやらである。


「あぁ!泣かないで僕の天使!僕が間違っていた!そのドレスは世界一君に似合っている!スリットも暗器も全てが尊い!君が望むなら、そのドレスで王城にだって行こう!」


 彼は床に崩れ落ちて完全にひれ伏した。

 チョロすぎる。

 俺は心の中でガッツポーズを決めながら、ペリウルスとアルシェリナにウィンクを送った。

 これでこの無敵の装甲ドレスで堂々とお茶会に乗り込む権利を勝ち取ったわけだ。

 俺は少しだけ申し訳なく思いながらも、涙を拭うふりをして微笑んだ。

 アルフレッドが床に這いつくばって歓喜の涙を流している。

 その異常な光景を冷ややかな目で見下ろしていたアルシェリナが不意にため息をついた。


「兄貴が理解してくれたのはうれしいけど、やっぱやめよう」


 彼女はそう言うと杖を振るった。

 俺の身体を包んでいた青白い魔力の膜がふわりと消滅する。

 さらにペリウルスが仕込んだ恐ろしい暗器の数々も、魔法でどこかへ転送されてしまった。


「おい!何するんだ!」


 俺が抗議する間もなくアルシェリナはいつの間にか用意していた別のドレスを俺に押し付けてきた。

 フリルの少ない落ち着いた水色のドレスだ。

 上質な絹でできているが、スリットもなければ装甲もない。

 ただの典型的な貴族令嬢のドレスだった。

 アルシェリナの手際の良い着せ替えによって、俺はあっという間に普通の可憐な少女へと変貌させられてしまった。


「うん、これが一番」


 アルシェリナは腕を組んで一人で深くうなずいている。

 その顔はどこか誇らしげだった。


「けど、これじゃ自分の身すらも守れないんじゃ?」


 俺は不安になってドレスの裾を摘んだ。

 魔法防御も暗器もない、丸腰の状態で敵の懐に飛び込むなんて自殺行為だ。

 前世の戦士としての本能が警鐘を鳴らしている。

 俺が文句を続けようとした、その時だった。

 アルシェリナが一歩前に出て、俺の右手を取った。

 そして恭しく跪くと、その手の甲にそっと唇を落とした。


 ちゅっ。


 柔らかい感触が肌に触れる。


「えっ」


 予想外の行動に俺の思考が完全に停止した。

 顔から火が出るほど熱くなるのを感じる。

 女同士だぞ。

 いや俺の中身は男だが、今は可憐な少女の姿だ。

 そんな美少女の妹から騎士のような口づけを受けるなんて、想定外すぎる。

 俺は極度の羞恥心で完全に黙り込んでしまった。

 アルシェリナは俺の手を握ったまま真剣な瞳で見上げてくる。


「私がいる。私が守る。これ以上アリスを傷つけるのは許さない」


 それは魔法の誓約よりも重く強い決意の言葉だった。

 普段のツンツンした態度はどこにもない。

 ただ純粋に妹を案じる姉の真摯な想いがそこにあった。

 俺は胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じて、小さく頷くことしかできなかった。

 静寂に包まれた美しい姉妹の空間。

 だがその感動的な空気を切り裂く鈍い音が背後から響いた。

 ゴガッ。


「あべっ」


 振り返るとアルフレッドが再び白目を剥いて、床に突っ伏していた。

 その後ろには分厚い辞書を構えたペリウルスが立っている。


「お嬢様とアルシェリナ様の尊すぎる姉妹愛……私としたことが感極まってつい手元が狂ってしまいましたわ」


 彼女は感動の涙をハンカチで拭いながら、悪びれもせずに言った。

 八つ当たりで気絶させられた当主様が不憫でならない。


 その夜、ベッドに倒れ込んだ途端に意識が途切れた。

 慣れない特訓と感情の乱高下で身体は限界だったのだろう。

 泥のような深い眠りだった。


───


 気がつくと、俺は真っ白な空間に立っていた。

 いつもの血生臭い前世の戦場の夢ではない。

 音もなく、風もない。虚無の世界だ。


「あなたはだれ?」


 不意に背後から声がした。

 鈴を転がすような、細く頼りない声。

 振り返るとそこには、一人の少女が立っていた。

 銀色の長い髪と、透き通るような白い肌。

 鏡で見慣れた姿だが、纏っている空気が全く違う。

 間違いない。

 今、俺が宿っているこの身体の元の持ち主だ。

 転生する前の『本来のアリス』である。

 彼女は大きな瞳を瞬かせながら、不思議そうに俺を見つめていた。


「どうしてここにいるの?ここは私のお部屋なのに」


 彼女は全く状況を理解していないようだった。

 自分がすでに死んでいて、別の魂が入り込んでいることすら気づいていない。

 怯える様子もなく、ただ純粋な疑問符を浮かべている。


「俺は……」


 なんと説明すればいいか迷っていると、彼女は小さく首を傾げた。


「青いお洋服のお姉様が言ってたの。ここでずっと眠っていればいいって」


 青い服。

 俺の脳裏にあの暗殺者を差し向けた黒幕の姿がフラッシュバックする。


「あのお姉様が私に冷たいお水を飲ませてくれたの。そしたら痛いのも苦しいのも全部なくなって……」


 それはおそらく毒殺だ。

 この純真な少女は、自分が殺されたことすら理解していないのだ。


「でも、変なの。私の中にはもう誰も入れないはずなのに。あの怖い実験の魔法陣も消えちゃったし」


 実験。

 魔法陣。

 孤児院で侯爵家に引き取られる前の彼女に何があったというのか。

 ただの不遇な孤児ではなかったのか。

 この身体には俺の知らない恐ろしい秘密が隠されているらしい。


「あなたはだれ?私と一緒にお話ししてくれるの?」


 無垢な笑顔を向けてくる少女に、俺は胸が激しく締め付けられる思いだった。

 前世の戦士としての本能が、静かな怒りとなって湧き上がる。


「ああ。俺がお前の代わりに全部終わらせてやる。ゆっくり眠ってていいぞ」


 俺がそう誓った瞬間。

 白い空間がピキリと音を立ててひび割れ、眩しい光が視界を覆い尽くした。


───


 眩しい朝日に照らされて、俺はゆっくりと目を覚ました。

 ふかふかのベッドの上で身体を起こす。

 窓の外では鳥が囀り、平和な王都の朝を告げていた。

 だが、俺の心の中には静かで冷たい炎が灯っている。

 夢の中で出会った本来のアリス。

 彼女は自分の死すら理解できないまま、あの白い空間に囚われていた。

 青い服の女。

 毒の入った冷たい水。

 そして得体の知れない実験と魔法陣。

 この可憐な身体に隠された秘密はまだ分からないことが多い。

 だが、俺がやるべきことはたった一つだ。

 俺の命を狙い、この身体の元の持ち主を無残に殺した奴らを決して許さない。

 前世の戦士としての誇りにかけて、必ずあの純真な少女の無念を晴らしてやる。

 俺は胸の奥で固く誓いギュッと拳を握りしめた。


「お嬢様。お目覚めですか」


 ノックの音と共に、ペリウルスが部屋に入ってきた。

 彼女の顔はいつものメイドのそれではなく、完全に戦場へ向かう暗殺者の顔つきだ。

 手には昨日アルシェリナが用意した水色のドレスが丁寧に掛けられている。


「おはようペリウルス。今日は、よろしく頼む」


 俺がいつもより低い声で言うと、彼女はわずかに目を見開きそして満足げに深く一礼した。


「承知いたしました。この命に代えても、お嬢様をお守りしますわ」


 着替えを済ませてエントランスへ向かうと、アルシェリナが腕を組んで待っていた。

 彼女もまた侯爵令嬢としての洗練されたドレスに身を包んでいる。

 だが、その手にはしっかりと愛用の杖が握られていた。


「遅いわよ、アリス。覚悟は決まった?」


 アルシェリナが鋭い視線を向けてくる。


「ああ。いつでもいける」


 俺が迷いなく頷くと、彼女はふっと口角を上げ、いつもの不敵な笑みを浮かべた。


「いい顔ね。私の教え子なら、それくらい強気じゃなきゃ困るわ」


 俺たちは三人で並んで屋敷の扉を開けた。

 すでに侯爵家の紋章が入った立派な馬車が待機している。

 気絶から目を覚ましたアルフレッドが、二階の窓から顔を出して「アリス!僕も行くよ!」と泣き叫んでいたが、ペリウルスが無言でどこからか投げた石を当てて再び沈黙させた。


 馬車がゆっくりと動き出す。

 車輪が石畳を叩く音が静かな車内に響く。

 俺は窓の外を流れる王都の景色を見つめながら、静かに呼吸を整えた。

 これから向かうのは華やかなお茶会ではない。

 見えざる敵が待ち受ける死地だ。

 だが恐怖はない。

 隣には最強の姉がいて、向かいには最凶のメイドが控えている。

 そして俺自身の中には、前世で培った戦士の魂があるのだから。


「さあ。茶しばきの始まりだ」


 俺は誰に聞こえるでもなく小さく呟き、マルボロ公爵邸へと続く道を見据えた。

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