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7/11

剣士から暗殺者にジョブチェンジ!?

お久しぶりです。


 アリスの右目に突き刺さった氷塊が溶けるよりも早く。

 その静寂を破って動いたのはペリウルスだった。

 彼女は芝生を蹴る音すら立てずに、倒れ伏すアリスの傍らに膝をついた。

 躊躇なくその血まみれの右目に手をかざす。

 その瞬間だった。

 裏庭の空気が物理的な重さを持って軋んだ。

 光だ。

 圧倒的で暴力的なまでの純白の光が、ペリウルスの掌から溢れ出した。

 先ほどアルシェリナが気絶した兄を起こすために放った、規格外の蘇生魔法。

 あの『エゲルシス』すら、まるで児戯に思えるほどの魔力量だった。

 次元が違った。

 桁が幾つも違う。

 大気が震え、芝生が波打ち、空間そのものが膨大な魔力の濃度に耐えきれずに悲鳴を上げているかのようだ。


 光が激しく収束していく。

 アリスの顔面を覆っていた夥しい血と、眼球を破壊したはずの鋭利な氷。

 それらがまるで時間を巻き戻すかのように跡形もなく消え去っていた。

 傷跡一つない。

 完璧な回復魔法だった。

 いや回復という枠すら超えた神蹟に近い何かだ。

 あまりの出来事にアルフレッドは呆然と立ち尽くしていた。

 やがてゆっくりと唇を震わせて言葉を紡ぐ。


 「君は、ペリウルスさんだったか。どこでそんな魔法を。いや、そもそも君は一体......」


 言葉は最後まで続かなかった。

 突風が吹いたかと思った。

 ペリウルスが先ほどの暗殺者をも凌駕するとてつもないスピードで、アルフレッドの眼前まで迫っていたのだ。

 そしてスッと人差し指を彼の美しい唇に当てる。


 喋るな。


 言葉に出さずとも、その冷ややかな瞳がそう告げていた。

 底知れぬ実力者を前にしてアルフレッドは息を呑んだ。


 「分かったよ。それでもこれだけは聞かせて欲しい。その魔力は、今までどうやって隠していたんだい?」


 アルフレッドは静かに問うた。

 これほどの魔力を持つ者が、一介のメイドとして屋敷に潜り込んでいたのだ。

 当主として気づけなかったことは異常事態である。

 だが、ペリウルスは唇から指を離すといつものメイドらしい丁寧な微笑みを浮かべた。


 「伯爵様。これは魔力ではなく、愛ですよ。今まで見えてなかったのは当然ではありませんか。お嬢様がお目覚めになられていなかったのですから」


 狂っている。

 常軌を逸した魔力隠蔽の理由が『愛』であり『アリスが目覚めていなかったから』だと言うのだ。


 まるで意味が分からない。

 だが、彼女の中ではそれが絶対の真理らしい。

 圧倒的な力と狂信的な愛情を前にして、アルフレッドはもう何も言い返せなかった。


 彼はそっと視線を横に向ける。

 そこには自分の魔法が引き起こした惨劇と、ペリウルスの神業を見て硬直している妹がいた。


 「アルシェリナ。僕はペリウルスさんから好かれていなかったってことかな?」


 情けない声で妹に同意を求めた。

 アルシェリナは、まだ混乱から完全に立ち直ってはいない様子だった。

 だが、兄の呆れた問いかけには即座に本来の毒舌で反応した。


 「当然じゃない。いかにもイケメンです、って顔をしておいて名前も覚えてないようじゃ器が知れるってことよ」

「それはそうだな......猛省しないと」


 アルフレッドは肩を落として深くため息をついた。

 自分の屋敷にいるメイドの名前すら、今の今までうろ覚えだったのだ。

 主としての威厳も何もない。

 そんな奇妙で的外れなやり取りが交わされる中。

 芝生の上に横たわっていた銀髪の少女がピクリと指先を動かした。

 長い睫毛が震える。

 破壊されたはずの右目も含めて。

 アリスはようやくゆっくりと重い瞼を開けた。


 ───


 重い瞼を開けると、真っ青な空が見えた。

 後頭部に柔らかな芝生の感触がある。

 俺は裏庭で倒れていたらしい。

 起き上がろうとして、ズキリと頭が痛んだ。

 何があったんだ。

 確かアルシェリナと模擬戦をしていて……そこから先の記憶がすっぽりと抜け落ちている。

 靄がかかったように頭が働かない。

 俺がぼんやりと瞬きをしていると、視界がいきなり暗転した。


 「お嬢様ぁぁぁん!!」


 凄まじい勢いで抱き着かれた。

 ペリウルスだ。

 彼女は俺の身体を強く抱きしめながら、ボロボロと大粒の涙を流している。

 普段の余裕はどこへ行ったのかと思うほどに取り乱していた。


 「おい、苦しいって。ちょっと離れてくれ」

「よかった……!本当によかったですわ!一時はどうなることかと……!」

「泣きすぎだ。俺に何があったんだ?」


 俺が尋ねると、ペリウルスはビクリと肩を震わせた。

 そして少し離れた場所に立つアルシェリナの方をチラリと見る。

 アルシェリナは気まずそうに顔を背けた。

 何だその反応。

 ペリウルスは再び俺に向き直ると、深く頭を下げた。


 「申し訳ございません。突然空から凶暴な魔鳥が襲いかかってきたのです」

「魔鳥?」

「はい。上空からお嬢様の死角を突いて急降下してきました。私の反応が遅れたせいで……お嬢様に怪我を負わせてしまいました」


 ペリウルスの声は震えていた。

 魔鳥か。

 なるほど、この世界の空にはそんな物騒な生き物が飛んでいるのか。今まで聞いたことないぞ。

 それにしても、この規格外なメイドが守りきれないほどの速度だったとは。

 記憶がないのがもどかしいが、俺の右目に微かな違和感が残っている。

 きっとその魔鳥の攻撃をまともに食らったのだろう。


 「私の責任です。この命に代えても守り抜くべきでしたのに……本当に申し訳ございません!」


 ペリウルスは芝生に額を擦りつける勢いで謝罪を繰り返した。

 だが、俺に怒りは湧かなかった。

 彼女が俺を大切に思ってくれているのは、これまでの態度で痛いほど伝わってくるからだ。

 それに怪我も完全に治っているらしい。

 俺はゆっくりと手を伸ばし、ペリウルスの頭をポンポンと撫でた。


 「気にするな。もう痛くないし、お前が無事でよかったよ。許すから顔を上げてくれ」

「お嬢様……」


 ペリウルスが涙ぐんだ目で俺を見上げる。

 俺は自分の細い腕を見つめ、小さく拳を握りしめた。

 前世の技術があっても、この身体の反応速度では不意打ちすら避けられなかったのだ。

 それが途方もなく悔しかった。

 守られるばかりの自分が情けなかった。


 「俺の方こそ……弱くてごめん」


 ぽつりと漏れたその言葉は、紛れもない俺の本心だった。

 戦士としての誇りが傷ついた惨めな謝罪だ。

 それを聞いたペリウルスは目を見開き、アルフレッドとアルシェリナも息を呑む気配がした。


 俺の言葉が落ちた裏庭には、重い沈黙が降りていた。

 ペリウルスは涙ぐんだまま固まっている。

 アルシェリナは俯いて拳を強く握りしめていた。

 誰も何も言わない。

 気まずい空気が流れる中でふわりと温かい匂いが近づいてきた。

 アルフレッドだ。

 彼はいつの間にか、俺のそばに膝をついていた。

 そして一切の躊躇なく、俺の身体をふわりと抱き上げた。

 いわゆるお姫様抱っこだ。


 「なっ……何するん、です!」


 俺は慌てて足をバタバタさせた。

 中身はゴリゴリの戦士だぞ。

 こんなイケメンに抱きかかえられるなんて、羞恥心で死にそうだ。

 だが、アルフレッドは腫れた頬を微かに綻ばせて、優しく微笑んだ。


 「今は休むのが仕事だよアリス」


 甘い声だった。

 有無を言わせない優しさがそこにあった。


 「君は病み上がりなんだ。魔鳥の襲撃なんていう不測の事態に巻き込まれて、疲れただろう。今日はもうお部屋に戻って、甘いものでも食べよう」


 彼はそう言うと、俺を抱えたまま屋敷へと歩き出した。

 抵抗しようにも、腕の中にすっぽりと収まってしまって力が入らない。

 俺は真っ赤になった顔を隠すように、彼の胸元に顔を埋めた。

 ペリウルスが慌てて立ち上がり、ハンカチで涙を拭う。


 「そ、そそそうですわね!すぐにお茶の用意をいたします!」


 彼女はものすごい勢いで屋敷の中へと駆け込んでいった。

 あとに残されたのは、俺を抱えるアルフレッドと黙りこくったアルシェリナだけだ。


 「アルシェリナも来るだろう?アリスが心配でたまらない顔をしている」


 アルフレッドが振り返らずに声をかける。


 「……別に。心配なんてしてないわよ」


 アルシェリナはそっぽを向いたが、その足音はしっかりと俺たちの後ろをついてきていた。

 自室のベッドに下ろされると、すぐにペリウルスがワゴンを押して現れた。

 ワゴンには湯気を立てる紅茶と、色とりどりの焼き菓子が並べられている。


 「さあお嬢様!特製のハニーマフィンですわ!」


 甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 俺は促されるままに、マフィンを一口かじった。

 濃厚な蜂蜜の甘さが疲れた身体に染み渡っていく。

 美味い。

 前世の硬い干し肉とは比べ物にならない至福の味だ。

 ふと視線を感じて顔を上げると、アルシェリナが俺をじっと見ていた。

 彼女は俺と目が合うと、プイッと顔を逸らし、無言でクッキーを一枚俺の皿に置いた。


 「あ……ありがと」


 俺が礼を言うと、彼女は耳まで真っ赤にして紅茶をすする。

 アルフレッドはそんな妹を微笑ましく見守りながら、俺の頭を優しく撫でた。


 「ゆっくりでいいんだ。君はここで僕たちと一緒に、少しずつ強くなればいい」


 その言葉に俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。

 戦士としての誇りは傷ついたままだ。

 いつか必ずこの理不尽な世界で自分の身を守れるくらいには強くなってやる。

 だが、今はもう少しだけ、この甘いお菓子と過保護な家族の優しさに甘えてもいいのかもしれない。そう思ってしまう。


 「魔法の基礎を教えてくれ」


 紅茶のカップを置いた俺は、真正面からアルシェリナを見据えて言った。

 驚いたように彼女の手が止まる。

 アルフレッドもクッキーをかじる口を止めて目を瞬かせた。


 「急にどうしたのよ」

「強くなりたいんだ。あんな魔鳥みたいな不意打ちを二度と食らわないために」


 前世の剣技だけではこの身体の弱さを補いきれない。

 遠距離から攻撃できる魔法の手札があれば、生存率は格段に跳ね上がるはずだ。

 俺の真剣な目を見て、アルシェリナは少しだけ嬉しそうに口角を上げた。


 「いいわよ。この私が直々に魔法の基礎を叩き込んであげる。感謝しなさい」


 腕を組んでふんぞり返るアルシェリナ。

 こうして俺の魔法特訓が唐突に幕を開けた。

 場所は再び裏庭だ。

 アルフレッドとペリウルスは、少し離れた木陰から保護者のような顔で見守っている。


 「まずは魔力の感知よ。自分の中にあるエネルギーの流れを感じ取りなさい」


 アルシェリナが先生らしい顔つきで指示を出す。


 「エネルギーの流れだな。よし分かった」


 俺は目を閉じて指に力を込めた。


 ふんぬっ。


 前世で重い剣を振るう時に使っていた腹圧の掛け方だ。

 気合で筋肉をパンプアップさせるイメージで全身に力をみなぎらせる。


 「ちょっと!なんでそんな顔を真っ赤にして力んでるのよ!」


 アルシェリナの鋭いツッコミが飛んできた。


「違う!魔力を練り上げてるんだ!」

「そんな物理的な力み方で魔力が出るわけないでしょ!もっとこう、精神を落ち着かせて自然と一体になるのよ!」


 言われている意味がさっぱり分からない。

 前世の俺は魔力適性ゼロの純度百パーセントの脳筋戦士だったのだ。

 魔法使い連中がブツブツと呪文を唱えている間に、距離を詰めて殴り倒すのが俺のスタイルだった。

 精神を落ち着かせるだの自然と一体になるだの言われても困る。


 「もういいわ。実践あるのみよ。手のひらに炎を思い浮かべて『火よ(イグニス)』って唱えなさい」


 アルシェリナがため息をつきながら実技に移行した。

 なるほど。

 イメージして言葉に出せばいいんだな。

 それくらいなら俺にもできそうだ。

 俺は手のひらを前に突き出し、全神経を集中させた。

 燃え盛る炎をイメージする。

 前世で野営の時に使っていた焚き火の火だ。

 いや、もっと強い火だ。

 敵の拠点を焼き払った時のあの業火のイメージだ。

 脳内に血生臭い炎の光景がフラッシュバックする。


 「火よ(イグニス)!」


 俺は腹の底から裂帛の気合いと共に、呪文を叫んだ。


 ボムッ。


 可愛らしい音がした。

 俺の手のひらの上に現れたのは、マッチの火よりも小さな頼りない火だ。

 ふらふらと風に揺れて今にも消えそうだった。


 「……」

「……」


 俺とアルシェリナの間に気まずい沈黙が流れる。

 木陰からは「まあ!なんて愛らしいお嬢様の初めての魔法!後世に語り継がねば!」というペリウルスの拍手が聞こえてくる。


 「あんた……魔力の才能、絶望的にないわね」


 アルシェリナが哀れむような目で俺を見た。

 嘘だろ。

 この銀髪美少女の身体なら、チート級の魔力が眠っているのがお約束じゃないのか。

 なぜ中身の俺の才能のなさを引き継いでいるんだ。

 俺は手のひらの上の小さな火を見つめながら、絶望に膝から崩れ落ちた。


 アルシェリナは頭を抱えてどうフォローすべきか悩んでいるようだ。

 そこへ、静かに歩み寄ってくる影があった。

 ペリウルスだ。

 彼女は俺の背中にそっと手を置いた。

 慰めてくれるのか。

 そう思って顔を上げると、彼女の目は異様にギラギラと輝いていた。


「お嬢様!落ち込む必要など、一切ございません!」


 ペリウルスの声が裏庭に響く。


「魔法などという小賢しい技に頼らなくても、戦う術はいくらでもあります!むしろお嬢様は暗殺術の方が向いておりますわ!」


 あんさつじゅつ。


 今このメイドはっきりとそう言ったな。

 名家の使用人がお嬢様に向かって口にしていい単語じゃない。

 アルシェリナも「は?」と素っ頓狂な声を上げている。


「あの刺客の矢を見切った反射神経!木の枝で応戦した体捌き!お嬢様には間違いなく物理に特化した武の才能が眠っております!」


 ペリウルスは俺の手を引いて、無理やり立たせた。


「さあ本日から私が直々にスパルタで体術を叩き込んで差し上げます!まずは基礎体力作りから!裏庭を百周ですわ!」


 百周。

 このだだっ広い侯爵家の裏庭をか。

 今のこの貧弱な幼女の身体でやったら間違いなく死ぬ。


「無理だ!三周で心臓が止まる!」


 俺が悲鳴を上げると、ペリウルスはにっこりと微笑んだ。


「大丈夫です!限界を超えた先にあるのが暗殺者の極意!心臓が止まっても、伯爵様かアルシェリナ様が蘇生魔法をかけてくださいますから!」


 狂ってる。

 蘇生前提のトレーニングメニューとか、前世の軍隊でも聞いたことないぞ。

 木陰のアルフレッドを見ると「僕の愛で何度でも蘇らせるよ!」と笑顔でサムズアップしている。

 アルシェリナは「もう勝手にしなさいよ」と呆れ返って屋敷に戻ろうとしている。

 助けはない。

 逃げ場もない。


「さあお嬢様!走れ!走るのです!風になり、影になるのです!」


 ペリウルスがどこから取り出したのか、凶悪な鞭をビシッと地面に打ち鳴らした。

 メイドが鞭を持つな。

 俺は涙目で走り出した。

 だが、不思議なことに恐怖よりも、胸の奥で戦士の血が熱くたぎり始めているのを感じていた。


 魔法が駄目なら身体を鍛え上げるしかない。

 前世でやってきたことをもう一度やり直すだけだ。

 やってやろうじゃないか。

 俺の足取りが徐々に前世の洗練された歩法へと切り替わっていく。

 この元英雄が最強の暗殺者兼美少女に成り上がってやる。

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