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剣神の弟子(笑)

 翌朝の応接室は重苦しい空気に包まれていた。


 いや俺の気のせいかもしれない。

 俺はふかふかのソファに座らされている。


 目の前には顔の腫れがすっかり引いたイケメン伯爵のアルフレッド。

 その隣には腕を組んで不機嫌そうに貧乏ゆすりをしている妹のアルシェリナ。

 そして俺の後ろには無駄に胸を張って直立不動で控えるペリウルスだ。


 昨夜の襲撃事件について報告するための家族会議である。


 「それでアリス。夜中に庭に出た君が暗殺者に狙われたというのは本当かい?」


 アルフレッドが真剣な顔で身を乗り出してきた。

 顔がいいから無駄に迫力がある。


 「はい。黒い服を着た女の人でした」


 俺が怯えたふりをして上目遣いで頷くとアルフレッドは机をバンッと叩き立ち上がった。


 「許さん!僕の可愛い天使を傷つけようとするなど万死に値する!今すぐ騎士団を動員して王都中のネズミを駆除してやる!」


 親バカならぬ兄バカが炸裂している。

 こいつの頭の中は俺のことで一杯らしい。

 ありがたいが愛が重すぎる。


 「座りなさいよ馬鹿兄貴。話が進まないでしょ」


 アルシェリナが冷たい声でアルフレッドの服の裾を引っ張って強制的に座らせた。


 さすが最強の妹だ。

 兄の威厳はここでもゼロだった。


 アルシェリナは鋭い視線を俺に向けてくる。


 「それで?あんたはどうやって生き延びたのよ。相手はプロの暗殺者なんでしょ?ただの子供が逃げ切れるわけないじゃない」


 鋭い。

 当然の疑問だ。

 俺がしどろもどろになっていると背後のペリウルスが待ってましたとばかりに一歩前に出た。


 「お言葉ですがアルシェリナ様!アリスお嬢様はただの子供ではありません!」


 ペリウルスの声が応接室に響き渡る。


 やめろ。

 その先を言うな。


 俺の心の叫びも虚しく変態メイドはドヤ顔で言い放った。


 「お嬢様は夢の中で初代剣神バルドゥール様の直伝の教えを受けた武の申し子なのです!昨夜も落ちていた木の枝一本で暗殺者の魔力矢を完璧に見切って打ち払われました!」


 言いやがった。

 俺の苦し紛れの嘘を大々的に発表しやがった。

 終わった。

 こんな設定信じる奴がいるわけない。


 アルシェリナに鼻で笑われて終わりだ。

 そう思って俺は目をギュッと瞑った。


 「……なんだと?」


 アルフレッドの震える声が聞こえた。

 恐る恐る目を開けると彼は両手で顔を覆ってワナワナと震えていた。


 「ああ……なんということだ……!僕の妹は天使なだけでなく剣神の愛弟子だったなんて……!尊い!あまりにも尊すぎる!」


 信じてるよこの男。

 どんだけチョロいんだよ。

 完全に目がハートマークになっている。


 一方のアルシェリナはどうだ。


 彼女は呆れたようにため息をつくかと思いきや真剣な表情で俺を見つめていた。


 「なるほどね。昨日あんたと目が合った時に感じたあの嫌なプレッシャー。あれが剣神の覇気だったってわけね」


 いやそれただの俺の前世の殺気だから。

 覇気とかそんなかっこいいもんじゃないから。


 「木の枝で魔力矢をねえ。……面白そうじゃない」


 アルシェリナの口角がニィッと吊り上がった。

 昨日俺を踏みつけた時と同じサディスティックな悪い笑顔だ。

 嫌な予感しかしない。


 「ちょうどいいわ。あんたが本当に剣神の弟子なのか私が直々に試してあげる」


 彼女はそう言うと指の関節をポキポキと鳴らした。


 おい待て。

 なんでそうなる。

 俺はただの病み上がりの少女だぞ。


 「素晴らしい提案ですアルシェリナ様!さあお嬢様!木刀を準備してまいります!」


 ペリウルスまでノリノリで部屋を飛び出していった。


 「僕も応援するぞアリス!怪我をしたら僕が治してあげるからね!」


 アルフレッドはハンカチを噛み締めながら謎の感動に包まれている。

 誰も俺の味方がいない。

 昨夜の刺客よりこの家族の方がよっぽど命の危機を感じるんだが。

 俺は絶望的な気分で天井のシャンデリアを仰ぎ見た。


 裏庭の芝生の上に俺とアルシェリナが向かい合っている。

 手にはペリウルスがどこからか持ってきた木刀が握られていた。

 ただの木刀じゃない。

 異常に重い。

 だが重心のバランスは完璧だった。


「いくわよ」


 アルシェリナが短い詠唱と共に無数の炎の弾を生み出した。

 空中に浮かぶ赤い火球が俺目掛けて一斉に降り注ぐ。


 速い。

 だが直線的だ。


 俺は木刀を構え最小限の足捌きで炎の雨を躱した。

 躱しきれないものは木刀の側面で弾き落とす。


「へぇ?」


 アルシェリナが目を丸くした。

 俺自身も驚いていた。

 この貧弱な少女の身体でも前世の経験と予測があれば魔法と渡り合える。


 相手の視線と肩の動きそして魔力の収束点を見れば軌道は読めた。


「やるじゃない。本当に剣の心得があるのね」


 彼女の口角が吊り上がる。

 悪い顔だ。

 獲物を見つけた肉食獣の笑みだった。


「ならこれはどう?」


 空気が張り詰めた。

 アルシェリナの周囲に渦巻く魔力の濃度が跳ね上がる。

 おい嘘だろ。

 ただの模擬戦だぞ。

 彼女の背後に氷の槍が無数に展開された。

 殺意が高すぎる。


「少し手加減というものをだな、アルシェリナ!」


 遠くからアルフレッドの悲鳴のような声が聞こえるが妹は完全に無視している。


 彼女の目が爛々と輝いていた。

 完全に興奮している。

 未知の強敵を前にして手加減を忘れ戦闘狂のスイッチが入ってしまったらしい。


「いくわよ!」


 氷の槍が豪雨のように降り注ぐ。

 俺は必死に木刀を振るった。


 弾く。

 躱す。

 いなす。


 技術のすべてを動員して致命傷を避ける。

 だが重い。

 一撃一撃に乗せられた魔力の質量が俺の細い腕を確実に破壊しようとしていた。


 手が痺れて感覚がなくなってくる。

 息が上がる。

 肺が焼け付くように痛い。

 押されている。

 完全に防戦一方だ。

 どれだけ技術があっても基礎となる身体能力の差が絶望的すぎた。


「どうしたの!防いでばかりじゃ勝てないわよ!」


 アルシェリナが楽しそうに笑いながらさらに魔力を高めていく。

 このままじゃジリ貧だ。

 木刀にヒビが入る嫌な音が鼓膜を打った。

 体力の限界が近い。

 だが俺の中の戦士の血が降伏を許さなかった。

 絶対に諦めるものか。

 俺は歯を食いしばり迫り来る魔法の豪雨を睨みつける。


 「手加減しろ!アルシェリナ!」

 再三の、アルフレッドの悲痛な叫びは完全に無視されていた。

 アルシェリナはもう周りの声など聞こえていない。

 完全に理性を飛ばしていた。


 「どうしたの?そんなものかしら!?」


 彼女の顔に張り付いていたのは獲物を嬲る肉食獣の笑みだ。

 嗜虐趣味を隠そうともしない歪な表情だった。

 彼女の周囲に展開された氷の槍がさらに数を増していく。


 空気が凍りつき吐く息が白く染まる。

 ただの模擬戦ではない。

 これは明確な殺意を伴った蹂躙だ。


 俺は軋む身体に鞭打って木刀を構え直した。

 だが限界はとうに超えていた。

 少女の細い腕の筋肉は断裂しそうに悲鳴を上げている。


 前世の技術だけで補える領域を物理的な手数と質量が完全に上回ろうとしていた。


 「あはははは!もっとよ!もっと防いで見せなさいよ剣神の弟子!」


 無数の氷の飛礫が全方位から襲いかかってくる。

 捌ききれない。

 視覚が捉えても脳が指令を出しても肉体が追いつかないのだ。


 右の太ももを氷の刃が掠めた。

 熱い痛みが走る。

 姿勢が崩れた。

 致命的な隙だった。


 アルシェリナが指を弾く。

 それは興奮状態に陥った彼女の無意識の反射だったのだろう。

 彼女自身も自分がどんな魔法を放ったのか理解していないような無造作な一撃。


 だがそれは確実に俺の死角を突いていた。


 回避不能。

 防御不能。


 迫り来る鋭利な氷の切先がスローモーションのように見えた。

 木刀を盾にしようとする腕は鉛のように重い。

 間に合わない。


 グシャッ。


 生々しい音が頭蓋骨の内側に響き渡った。

 痛覚が脳に到達するより先に、視界の半分が真っ黒に染まる。

 遅れてやってきたのは脳髄を直接焼かれるような激痛だった。


 「あ……」


 俺の()()に深々と氷の魔法が突き刺さっていた。


 眼球を貫き網膜を破壊し頭蓋の奥にまで到達しようとする暴力的な冷気と鋭利な痛み。


 どくどくと温かい血が頬を伝って流れ落ちる。

 俺は何も言葉にすることが出来ず、ただ地面に倒れることだけが唯一の選択肢だった。



─────



 熱い血と冷たい氷のコントラストが異様に現実離れしていた。

 アリスの身体は糸の切れた人形のように芝生の上に崩れ落ちた。

 木刀が手から転げ落ちる。


 静寂。


 風の音すら消えたかのような圧倒的な静寂が裏庭を支配した。


 「え……?」


 アルシェリナの口から間抜けな声が漏れた。

 彼女の顔に張り付いていた嗜虐的な笑みがそのまま硬直している。

 自分の放った魔法が何を引き起こしたのか。


 目の前で顔面から血を流して倒れているのが誰なのか。

 彼女の優秀なはずの脳は今の状況を全く処理できていないようだった。


 信じられないものを見るように自分の両手とアリスの姿を交互に見つめている。


 「アリス……?」


 震える声。


「起きなさいよ」


 だがアリスは答えることができない。


 激痛に耐えかねて残された左目も固く閉じ、意識を手放していたからだ。

 少し離れた場所ではアルフレッドが完全に石化していた。

 彼もまた目の前の現実を受け入れられていない。


 口を半開きにしたまま瞬きすら忘れて呆然と立ち尽くしている。

 溺愛する天使が顔面に氷を突き立てられて倒れたのだ。

 精神が崩壊してもおかしくない光景だろう。


 狂乱の兄妹が機能停止に陥る中。

 ただ一人だけ全く違う反応を示している者がいた。


 ペリウルスだ。


 彼女は悲鳴を上げるでもなく慌てて駆け寄ってくるでもなかった。

 ただ静かに。

 ひたすらに静かに俺の姿を見下ろしている。


 その目に宿っているのは焦燥でも絶望でもない。

 底知れぬ暗い光だった。

 彼女の周囲だけ空気がねっとりと重くなっているような錯覚。

 皆、その不気味なメイドの沈黙に誰よりも強い恐怖を感じていた。

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